<A precipice in front, a wolf behind>
こっちだよとクロスに案内された部屋の中央に、蝋燭の明りの中真っ白いモノが置いてあった。
勿論ヴォルフラムやヨザックとは別行動中である。
ちなみにジョウイは誠心誠意遠慮した。
「やあコンラート」
笑んで声をかけたシグールに、白いモノがぎぎぎと動く。
どうやら、雪にまみれ霜が下りた人間らしい。
「し……」
「火炎の矢」
容赦なしに魔法をぶつけられ、今度は燃えたらしいがとりあえずコンラートの雪は溶け、彼の容貌が露になった。
どうやらシグール達がくるまで雪山辺りにでもいたらしいが、そんな事はまずどうでもいい。
「じゃあごゆっくり」
笑顔でクロスが言い、ルック共々部屋を出て行く。
危うく凍死になりそうだったショックから何とかコンラートが立ち直ろうとしていると、いきなり問答無用でぐいと胸倉を掴み引き上げられる。
セノに。
「コンラートさん」
低い声を出している彼の表情は窺い知れない。
「あなたはやっちゃいけないことをやりました」
「セ、」
コンラートが彼の名前を呼ぶのとほぼ同時に、シグールの右手ストレートがコンラートの顔に叩き込まれる。
当然ガードなんてできなかった彼は、ものの見事に吹っ飛んだ。
「立てよ」
冷たい声で吐き捨てるシグールを、切れた唇から流れる血を拭ってコンラートは見上げる。
「今のは僕の分でね。あと十二、三発あるからとっとと立て」
「半分僕がやりますよシグールさん」
ぼきべきと指を鳴らす――こともせず、ただコンラートを見下ろす二人の視線ははてしなく冷たい。
「これは僕の分」
そう言ってセノが踏み込み、無抵抗のコンラートに蹴りを叩き込む。
腹に走る痛みをぐっと堪えて、コンラートはこれも当然かと自分のしたことを思い返す。
ユーリを裏切って、それでも生きて戻れて、この僅かな痛みは彼らを心配させてしまった自分への当然の――
「言っとくけどねコンラート」
右手の手袋を外してシグールは呟いた。
「僕らは君のやった事に興味もないし、別に無事に戻ってよかったねとかも思ってないから」
「……そう、ですか」
「ユーリがきっと何も言わないから、僕らは精々反省と後悔をしてもらおうと思って」
「…………」
セノがいつの間に持ち出したのか彼の武器を構える。
「僕、十二、三発って言ったけど、ちまちまやるの面倒だからね」
「拳で男は語るって言うけど、語る必要もないし」
さて、選択肢をあげようかコンラート。
微笑を浮かべてシグールは言う。
「僕とセノ、どっちが先がいい?」
「…………」
壁にずり上がるようにして立ち上がったコンラートは、その茶の瞳に見慣れた笑みを浮かべる。
「俺には当然の罰、だから」
ぴきり
その場の空気が硬直する。
微笑がこそげ落ち、完全に無表情になったシグールが、ゆらり右手を上げた。
「……セノ」
「はい」
たっとセノが飛び出し、無防備のコンラートにトンファーで殴りかかる。
一発二発三発。きっちり五発叩き込むと、崩れ落ちるコンラートの顎へ最後の一発を入れる。
ぱあんという音ともに、空に浮かび上がりかけたコンラートからセノが離れるや否や、シグールの右手が輝いた。
「裁き」
ぼろくず以外の何物でもない元コンラートの残骸を一瞥し、シグールとセノは部屋を出る。
息も絶え絶えに肉体ダメージの上に精神ダメージまでくらったコンラートは、擦れた視界と命令を聞かない体を持て余しながら、何とか上半身を壁にもたれせて、一息ついた。
感覚は全身ないが、どうやら骨の一、二本は折れていそうだ。
ずいぶんと痛い仕置きだったと思いながらも、それでも彼らなりの心配の証だろうと思うと知らず口元が綻ぶ。
ダンッ
いきなり耳元の壁をブーツが蹴り、文字通り飛び上がったコンラートの髪をぐいとつかんで、ひくーいひくーい呪詛のような声で呟いた人物がいた。
「な〜にが楽しいのか教えてくれよ、コンラートさんよぉ?」
「テッ……ド」
ひび割れた唇でかろうじて名前だけ呼ぶと、ぱっと髪を放される。
「君も、いたん、」
「眞王なんざくそくらえだ」
コンラートの言葉を遮ってテッドが述べた言葉に、沈黙が下りる。
「諾々と従ったのはお前だろうが、なんでユーリにも俺達にも一言も断らなかった」
激しい語調ではなく、淡々とした言葉だけに、痛い。
「どうせ裏切るなら、どうせ側にいられないなら」
ようやく回復してきたコンラートの視界の中で、テッドの視線が空を舞う。
「どうせ側にいられないなら、二度とその面見せるな」
「……俺は」
「お前の意見なんか聞いてない」
ぴしゃりといわれて、コンラートは黙る。
テッドが、目の前でしゃがみ込んでコンラートと視線を合わせる。
「恥じろ」
「っ」
「お前はユーリを兄弟を朋友を裏切った。二度と戻らぬ覚悟なら」
先程クロスがコンラートの縄を切った、短剣を手にしていたテッドが、それをコンラートの顔の真横に突き立てる。
石壁に。
「ここが血盟城とわかった時点でなぜ死ななかった」
「…………」
「ユーリが許してくれると思ったからか」
「…………」
答えぬコンラートの顎に手をかけ、思い切り上を向かせてテッドは言い捨てる。
「共に在りたくても在れなかった奴の気持ちがお前にわかるか」
ずっと側にいたかったのに。
運命なんてもののせいで引き離された。
「ずっと側にいてやりたいと願っていたのに、叶わなかった奴の気持ちがわかるか」
守りたかったのに。
自分の手で、他の誰でもなくて、明るく無邪気に笑う彼を。
ずっと、ずっと、側にいて。
「守ってやると――なのにあいつが一番辛い時に隣にいられなかったその、気持ちが」
俺は、とテッドはその茶の目を細めて、呟いた。
「俺は、お前が憎いよ――コンラート」
自分が手に入れることのできなかった立ち位置に、当然の顔をしているお前が。
「だから俺はお前を許さない」
たとえユーリやヨザックやヴォルフラムが許したとしても。
テッドの手がコンラートの喉へと動く。
ぎりとねじ上げられる痛みに、コンラートは眉を歪める。
何も言わず表情一つ動かさず、その手に加える力だけ増してゆく。
限界になる直前、コンラートの手がテッドの腕を払った。
「……っ、はー……ぁ……」
「生きたいか」
「……ああ」
「裏切った罪を背負っても、生きたいか」
「……ああ」
「ユーリは絶対お前を許す。この城の誰もがお前を許す。許さないのはおまえ自身だけだ」
「わかって、いる」
「なら、生涯後悔し続けろ」
立ち上がったテッドは、服をはたいて扉に手をかけた。
「――隠れて毎晩泣いてたぜ」
その言葉を雫のように後に残して。
***
誰が一番怖いのか。
皆さんの感想の自主性にお任せします。
A precipice in front, a wolf behind:前門の虎後門の狼