<Little betwixt right and wrong>





火のない部屋は冷え切っていた。
図書室らしき部屋は本特有の匂いを漂わせ、暗さも手伝って独特の空間を作り出している。
僅かな明かりだけが灯る中、ユーリは窓際に立って、今は澄んだ冬空を見つめていた。
今は仮面はつけていない。
誰もいないこの部屋ではギルビット卿になる必要はないし、テンカブ優勝パーティーの最中では、ユーリがそのままの姿でいたところで紛れてしまうだけだろう。
今は、ただの渋谷有利でいたかった。

「……なんでだよ、コンラッド」
搾り出すように呟いて、こつんと額を窓ガラスにつける。
息でガラスが白く曇った。


パーティーではコンラートの姿を見ることはなかった。
もしかしたら、と期待していた自分に気づいた時、その場にいるのが堪らなく嫌になった。

コンラッドはどうして大シマロンへ行ったのだろうか。
こんなへなちょこには愛想がつきたのかもしれない。
いつまで経っても成長しない自分を見限ったのかもしれない。
……ずっと側にいるものと思っていたのに。

「でもあのアニメ陛下よりはマシだと……変わんないか」
はぁ、と溜息が漏れた。
なんか最近俺って嫌な奴かも。


「おい」
急に声をかけられて、心臓が跳ね上がる。
振り向けば入口にアーダルベルトが立ってこちらを睥睨していた。

お世辞にも初対面から友好とはほど遠い関係を築いてきているので、脳が逃げろと指令をだす。
しかし逃げ道を探したところで、いかんせん唯一の入口を彼に塞がれてしまっている。
あとは窓からだが……まずもって遠慮したい。

じりじりと窓に背を押し付けながら、ユーリは極力にこやかに訊いてみる。
確実に笑顔は引き攣っているだろうが。
「えーと……俺に何か用」
「あの言葉は本当か」
「へ?」
アーダルベルトが一歩、二歩と近寄ってくる。
避けるまもなく目の前にその体があって、胸倉をつかまれた。
その拍子に襟の隙間からあのペンダントが顔を覗かせる。

アーダルベルトは鬼気迫る顔で言う。
「試合の時、あいつがお前の魂がジュリアのものだと言った」
「……だったらなんなんだよ」

ユーリ自身、村田から自分の前世がジュリアだというのは聞いていたが、へぇという感想しか抱かなかった。
たとえ前世が誰であろうと、今は『渋谷ユーリ』でしかないのだ。

「ジュリアって人が俺の前世かもしれなくても、今は俺だ!」
その言葉に呼応するかのように、本棚が倒れた。

被害……本棚一つ、本多量、アーダルベルト一人。
丁度倒れてきた本棚に下敷きになる形で床に倒れたアーダルベルトを、ユーリは慌てて掘り起こそうとする。
しかし大量の本が収納できるようなつくりの棚は丈夫、つまりかなり重く作られていて、ユーリ一人の力では持ち上げられない。

他の人を呼んでこなければ。
立ち上がったユーリの足首を、アーダルベルトの手が掴んだ。
「ちょっと待ってろって。今人を呼んでくるから……」
「ひとつ、答えろ」
お前の魂がジュリアのものだと、どうしてあいつが知っていた。
「今はそんな場合じゃ」
「言え」
「……俺だって詳しくは知らないけど」
俺の魂を運んできたのは、コンラッドだったって。
それも村田から聞いた話だ。

「そうか……」
なら、真実なんだな。
掠れた声で呟いて、アーダルベルトの体から力が抜ける。
掴まれていた足首にかかる力がなくなったのに気付いて気絶したのだと分かり、早く人を呼んでこないととユーリは部屋から駆け足で出ようとして。
会いたくて、会いたくなかった人がそこにいた。

「誰かいるのか?」
「……コンラッド」
ユーリの声に僅かに顔を強張らせたコンラートは、彼の前で本棚の下敷きになっているアーダルベルトに気付くと無言で足を進めた。
ぐい、と本棚を横にずらして手首を取り、軽く息を吐く。
「こいつ、大丈夫なのか?」
「ええ、単に気絶しているだけのようです」

あなたこそ怪我はありませんでしたか?
そう問われて、胸が締め付けられた。

ああ、いつものコンラッドだ。
向けられた笑顔は記憶にあるものと違わない。

泣きそうになるのを堪えながら頷くと、良かったとコンラートは腕を取って立ち上がらせた。
「彼は放っておけばその内目が覚めるでしょう。あなたは早く舞踏会に戻るといい」
「コンラッド」
「それと、あまり一人で出歩くのはお薦めしない」
「っ――コンラッド!」

戻ってきてくれないのか。
喉まででかかった言葉を飲み込んで、ユーリは目の前にいるコンラートを見つめた。
その言葉を言ったら、本当に終わりな気がした。

「……なんで、あんたは、ここにいるんだよ」
震える声で紡いだ言葉は、笑顔でかき消された。






 

 


「あ、ユーリ見つけた」
こんな所にいたんだ、皆が探してたよ。

しばらくしてからセノが部屋に顔を出した時、部屋の中でユーリは俯いて座りこんでいた。
近くに気絶しているアーダーベルトがいて、何かあったのかと警戒したが、それよりもユーリの様子がおかしい事にセノは気付いた。
「ユーリ?」
「……セノ」
「どうしたの?どこか痛いの?」
「何でも、ない」
それよりこいつ、怪我してるみたいだから治療してやってよ。
そう言って笑ったユーリの目尻に残るものを、セノは見なかったことにして頷いた。



 

 

 


***
コンユ小説書いてるみたいで気分が微妙。

Little betwixt right and wrong:善悪は水波の如し