<Triton among the minnows>
「ただいま戻りましたー」
真っ黒な空間(当社比十六倍)に響いたのは、セノの和やかな声だった。
どろどろとした空気を全く意に介する事なく笑顔を振りまく。
「テッドさん、こっちは無事終わりました」
「……ああ、ご苦労様」
セノの笑顔に、テッドから立ち上っていた赤黒いオーラがほんの少し和らぐ。
相変わらず素晴らしい効果である。
「ジョウイただいま」
「うん、おかえり」
助かったよ、と心底嬉しそうに言うジョウイとルックに、セノは小首を傾げる。
ジョウイは普段と同じだからともかく、ルックまでそんな事を言うのは珍しい。
二人にしてみればテッドのオーラを和らげてくれた事が相当助かったらしい。
「ねぇ、ジョウイ」
シグールさん、どうしたの?
未だ常態に戻っていないシグールを気にかけてセノが尋ねた。
しかしジョウイにしてみても、詳しいことはよくわかっていないのだ。
ただテッドの言葉の端から、おそらくかつての自分とを重ねているようだったけれど。
「あいつは俺がどうにかするから、セノはユーリを頼めるか?」
「あ――はい」
会話に割って入ったテッドに言われて、セノは頷くと意識を失ったユーリへと駆けて行く。
テッドはジョウイとルックに目線だけで向こうに行くよう促し、壁にもたれたままのシグールへと近づいた。
「シグール」
「……テッド」
バンダナの陰から覗く瞳に、日頃の強い光はない。
それでもさっきよりかは落ち着きを取り戻した、らしい。
「落ち着いたか」
「うん」
「無理するな」
バンダナの上からわしゃわしゃと頭をかき回す。
ぐい、とそのまま引き寄せて、諭すように、宥めるように言葉をかける。
「ユーリとお前は違う」
大丈夫だから。
その一言に全てを込めて、吐き出す。
「……テッド」
「なんだ?」
「バンダナがずれた」
全く、とその手を払ってバンダナをつけなおすシグールに微笑んで、テッドはさてと腰に手を当てて視線を巡らせた。
セノの治療のおかげでユーリも回復したらしい。
ユーリの魔法の結果、アーダーベルトは膨大な雪に埋もれて戦闘不能。
コンラートに至っては先程の乱入で失格と見なされ、結果カロリアチームが優勝となっている。
前代未聞な結果に騒然としているであろう人々は置いておいて。
もうひと悶着あるだろうなとテッドは開かれた王族への階段へ視線を向けた。
「大丈夫か」
「おうっ、セノのおかげだ」
にかっと笑ってユーリは仮面を被る。
村田とヨザックを従えて長い長い階段を昇ると、謁見室へと通された。
その内装に、息切れしていたユーリは思わず声を漏らす。
「……うわー」
「目がチカチカするっすね」
「いい趣味してるよ全く」
壁から床から天井まで、あらゆるものが山吹色と黄色で彩られている。
村田が言うには全て希少金属だそうだ。
見事なまでに成金趣味。
謁見室の数段高くなった場所では、これまた金ピカの椅子に、中年男性が座っていた。
彼がベラール四世でありこの国の王なのだと、慌てて膝をつく。
あくまでもここは下手に下手に。
ベラール四世はこほん、と咳をすると、ちらりと一瞬隣に立つ男性を見た。
「えーと、この度はご苦労だったんだな」
三人共が、ぎょっと目を見開いた。
アニメ声。
ものの見事にアニメ声。
しかも美少女系。
……非常にミスマッチ。
堪えなければいけないのは分かっていが、顔は自然と噴き出しそうになる。
仮面を被るユーリはともかく、村田とヨザックは大変だろう。
我慢を越えて思わず噴き出しそうになった瞬間、大声に身を竦ませる羽目になった。
「陛下、余計なことはなさらぬようっ!」
「でも、伯父上の役に立とうと……」
しゅんとする美少女声なベラール四世(中年)。
どうやら傍らに立っていた偉そうな男は、ベラールの伯父らしい。
彼が実権を握っているのかと顔をあげかけ、ユーリは表情を強張らせた。
「陛下、大丈夫ですよ」
泣き出しそうになる陛下に声をかけたのは、コンラートだった。
「コンラート、私は、」
「陛下は優勝した者達に労いのお言葉をかけようとなさっただけなのでしょう?」
そのお気持ちは十分に伝わったと思いますよ。
さぁ、あちらでお休みください。
柔らかな笑みに促されて、ベラール四世は奥の入口から部屋を出て行った。
その間、ユーリはコンラートを凝視したまま微動だにしなかった。
どうして彼が自分以外の事を陛下と呼んでいるのか。
どうしてそんな風に笑顔を向けて言葉をかけるのか。
その笑顔も、言葉も、少し前までは全て自分に向けられたものだったのに。
じくり、と胸が痛んだ。
動かないギルビット卿を不審に思ったのか、ベラール二世が声をかけた。
「ギルビット卿は、このウェラー卿と知り合いか?」
「え、いや、その……」
言葉を濁してユーリは僅かに顔を背けた。
実際のところギルビット本人とコンラートには面識はないのだから、初対面の振りをしなければならなかったのだ。
しかし今更初対面を装っても、あれだけ凝視した後だとかえっておかしく思われる。
「……以前私がお会いした時は、他の方を陛下と呼ばれていたようだったので」
その言葉に、そうですねとにこやかにコンラートは返した。
「先の主はいつもご自分で「陛下」と呼ばないようにと仰っていましたが」
『先の主』
その言葉に胸が痛んだ。
「さて、それではお前達の望みを聞こうか」
その言葉に視線を彷徨わせる。
「……私達、は」
箱を。
国の独立を。
そのどちらかを選ばなければならない。
自分達は箱を取り戻すためにこの大会に参加した。
しかし、ギルビット卿としては国の独立を取るのだろう。
視線を後ろに向けると、村田は小さく頷き、ヨザックは目線だけで好きにしてください、と言った。
「そういえば」
割り込んできたコンラートに全員の視線が集まる。
「以前私が使えていた王は強力な武器を手にする機会に恵まれました」
モルギフ。
古くから伝わる魔王だけが使えるという武器。
その力は強大で、世界を掌握するに足る強さが手に入るという。
「しかし王は、起爆剤と呼べる重要な部分を部下に命じて破棄させてしまったのです」
は、とベラール二世が鼻で笑う。
「なんとももったいない事をするものだな」
「そうですね」
頷いたコンラートに、ユーリは俯いて唇を噛み締めた。
「けれど」
ユーリの耳に、コンラートの静かな声が届いた。
「あれが最良の選択だったと俺は今でも信じています」
はっと顔をあげた。
仮面越しに、視線があって微笑まれた気がした。
―――俺は、自分の思った事を貫いていいのだろうか。
不意に、いつだったか言われた言葉が頭に浮かんだ。
『後悔だけはしないように』
後悔だけは、しない、ように。
俺が貫くべき……事。
ぐっと顔をあげて立ち上がると、手を広げてユーリ……ノーマン=ギルビットは高らかに宣言した。
「我らは、カロリア独立と永久不可侵を希望する!」
***
コンラートの馬鹿ーと相変わらず叫ばれる。
Triton among the minnows:鶏群の一鶴