<Miracles are those who believe in them>





それは、悪夢の始まりだった。
箱が開くと同時にTぞうは毛を逆立て身を伏せると低く唸りをあげた。
ぞわりと身の毛がよだつような生温かい空気が箱から流れてくるのが目に見えるようだった。

次の瞬間、足元が揺れ、南から北に向かってまっすぐに地割れと隆起があちこちで不規則に起こり出した。
立っているのがやっとの揺れの中、人は皆這うように裂傷から逃げ惑う。
法術士が作った逃亡防止の壁など何の役にも立っていなかった。
囚人も見物人も区別なく、できた裂け目の中に落ちていく。


セノの天蓋の守りも地盤まで効果はなく、少しでも足場のしっかりしたところへ行こうと視線を巡らす。
ユーリはヨザックに抱えられるようにして歩き、シグールは村田を、セノはフリンを支えながら細かく罅割れた地面を進む。
Tぞうはちゃっかりとユーリに掴まっている辺り要領がいいと言うか何と言うか。

なす術もなく落ちていく人々を見ていたユーリが、ヨザックの腕を振り解いて村田に掴みかかった。
ああ、怒ってるなとシグールはユーリの様子から見て取る。

この状況でユーリが怒るのは予想がついていた。
目の前で多くの人が地に飲み込まれていく。
彼にはそれが許せない。

胸倉を掴まれても冷静な顔をしている村田に向かってユーリは怒鳴る。
「お前が何者かは今聞いてる暇ないから置いといて、この状況をどうにかする方法はないのかよ!お前ならどうすればいいか知ってるだろ、どうすれば地震が止まるか知ってるんだろ!?」
「……悪いけど、僕にもわからない」
息を詰めたユーリに、僅かに目線を伏せながら村田は続ける。
「これは箱を開けた報いだ。「地の果て」に封じられた地の創主の力が暴れまわってる」
「でもなにか方法が」
「正しい鍵を持つ者が正しい順序で開けたなら制御できた可能性もあったかもしれないけど……あくまでもかもしれないってだけだけど」
「じゃあ、このまま見てろって言うのかよ」
このまま全員が飲み込まれるまで。

「やり過ごすしかない。運がよければ他の土地にいくか、飽きて沈静化するかもしれない。……でもおそらく半永久的に暴れ続ける。そしたらこの大陸はもうだめだ」
「そんな……」

緩んだユーリの手から抜け出て、村田は未だ裂け続ける地面に目をやる。
「急ぐよ、ここも危ない」
「シグール……落ち着いてない?」
「これくらいなら経験あるからね」
紋章術の「震える大地」の大規模版と思えば歩くくらいはできた。
僅かに苦笑気味に呟いて、シグールは村田の腕を引いて歩を進めていく。

足場は次々に割れていく。
すでに頑丈そうな足場は人で埋め尽くされていた。
「本当にアレを止める方法はないの?」
「……普通の法術なら術士を倒せば止まるけど、あれはそうはいかない」
「箱を壊しても?」
「枷をなくすようなものだよ。それこそ歯止めが利かなくなる」
「そっか」
打つ手なしか、とシグールは目を細めた。



足場の近くまで辿り着くと、一段と大きな揺れが襲ってきた。
誰も立っていられず地面に手を付き必至でやり過ごす。

「渋谷、この土地で、人間の土地で強い魔術は無理だ!」
叫び声に顔をあげると村田がユーリと言い争っていた。
「ほっとけよ!」
「危険すぎる。許すわけには……」
「許すってなんだよ! このまま見てろっていうのか。こんな時に役に立たないならこんな力意味がないっ」
内容からして魔力を使うか使わないか。
以前聞いた話からすると、精霊との契約云々の関係で魔族は人間の土地で魔法を使えないはずだ。
……使えるのか?

「……どうするんだ」
「今よりはマシにする」
「自分自身がどうなってもいいんだな」
「後悔はしない」
ユーリの意志が揺らがないのを見て、村田は深く溜息を吐いた。
観念したように頷いて、苦笑めいた笑みを浮かべる。
「なら好きにするといい。僕は何もかも見届けるよ」
そう言って村田は一歩下がる。

よいしょっと足場に上がって、シグールは村田と視線を合わせると軽く笑う。
「説得失敗だね」
「まぁね」
なんとなく分かってたけどと付け足して、村田は目を閉じて集中するユーリを見つめる。
「使えるの? 魔法」
「無理矢理使役させる事になるんだけどね……消耗は激しいよ」
それこそ命を落とすくらいに。

無茶苦茶だなと笑ってシグールは上がってきたセノの手を取る。
フリンもどうやら無事辿り着けたらしい。
心配そうなセノに小さく頷いて、ユーリに視線を移す。
お手並み拝見といこうじゃないか。










どこからか現れた青く澄んだ水が溜まっていく。
裂け目に落ちる人は流れに巻き込まれ、皆岸に向かって必死に泳いでいく。
確かにこれなら怪我の危険は少なくなりそうだ。
小さな支流は大きな流れを作り、地面の隙間を満たしていく。

一際大きな揺れが生まれ、水の流れを許さず大きな峡谷を作り出した。
淵に立っていたユーリがそれに飲み込まれ、崖っぷちに手を引っ掛けてなんとか踏みとどまる。

シグール達が助けようにも峡谷の反対側では助けようがない。
何せ走り幅跳び世界記録保持者でも半分も超えられないくらいの大きな裂け目だ。
片手ではそう長くはもたないだろう。
その時ずるずると体が下がっていくユーリの向こうに人の姿を見て、シグールは口元を僅かに上げた。

「ヴォル……」
信じられずにユーリはその名を呟いた。
自分の手を握っている彼はここにいないはずだった。
けれど、掴む手の温もりも笑うその顔も、ユーリがよく知っているヴォルフラムのものだ。

ヴォルフラムは笑って言う。
「お前は尻軽で浮気者だからな。世界中どこにいても追いかけられるよう発信機をつけてるんだ。ほら、片手じゃ無理だ、両手を貸せ」
「お前の体重じゃ引き上げられない」
「そうしたら」
ヴォルフラムの笑みが深くなる。
その中に彼の兄の面影を見て、やっぱり兄弟なんだと不意に思った。
「一緒に落ちてやる」
「残念だけどきちんと引き上げるよ」
苦笑気味な声と共に体を一気に引き上げられた。
勢いで地面に倒れこむように座り、ユーリは笑っているジョウイと無表情なままのルックを交互に見上げた。









***
とりあえず合流ということで。

Miracles are those who believe in them:奇跡は信じる人に起きる