<Nothing is better than flesh.>





寄せては返る波の音。
目を閉じれば、潮の匂いが風にのって鼻腔へ届く。
ああ楽しいかな船の旅。

……悪夢再び。





カロリア行きの船に乗ったはいいが、五人中三人が船酔い体質だった。
船の縁にしがみついて虚ろな視線で揺れる波を見つめるジョウイは、なんでこんな事になったんだろうと今更ながらに思いを馳せる。

ああそうさ、ただの温泉旅行じゃないのは分かってたさ。
馬車の中で大シマロンに行くと聞いた時もああやっぱりと思っただけで驚かなかったさ。
カロリアまで船なのを忘れていただけで。

船室では今頃ルックとヴォルフラムも似たような状態になっているのだろう。
普段いがみ合いの多い二人でも、さすがにあの状態では言い合いする気力もないのか大人しくベッドで呻いている。
ヴォルフラム達もいるので今回はルックのテレポートも使えないし。

でも群島の時よりはマシかもなぁと、少しだけ回る頭で考える。
あの頃は本当に酷かった。
大型船で揺れが少ないからか、少しは慣れてきたからか。


「大丈夫ですか?」
ダカスコスがそう言って、冷たくしたタオルを差し出した。
ありがとうございます、と受け取ったジョウイは目を細める。
……反射光が目に染みる。

ダカスコスはギーゼラの部下で、今回の旅に同行してくれる一人だ。
太陽の光を反射する見事な禿頭は、以前ギュンターが出家騒動を起こした時に巻き込まれた名残らしい。

首筋に心地よいひんやり感を味わいつつ、ジョウイは未だ何も見えない水平線を眺めやる。
船に乗って早二日経っていた。
「まだ何も見えてきませんね」
「カロリアまでは大分距離がありますから」
辛いでしょうけどもうしばらくの辛抱です、と励ましてくれる言葉が温かい。
セノ以外の人からそんな気遣いを受けたのなんて何年ぶりか……。

感慨に浸りつつ、ふとジョウイはダカスコスに尋ねた。
「そういえばダカスコスさんは今回の旅にどうして?」
「いやー……」
気恥ずかしそうに笑ってダカスコスは答える。
「陛下には、恐れ多くも名前を覚えていただいておりまして、何かとお声をかけてくださるんですよ」
本来なら一兵士など、名前どころか顔すら覚えてもらえなくて当たり前なのに。
笑って話しかけてくれる魔王などどこにもいない、ただ一人を除いて。
「ですから陛下をお助けしたくて」
俺なんかじゃ何の役にも立ちませんけどね、と笑うダカスコスに、ジョウイは微笑む。

こうやって人が慕う、集ってくる。
王の器とはこういうものではないだろうか。
力ではなく、恐怖ではなく、親しみで人を統一できる。
それはとても難しいけれどそうあって欲しいと思う。
自分はそうなれなかったから。

「そうですね、頑張りましょう」
「そう言うジョウイさんはどうして?」
「……半分成り行き、半分は僕も見たいからかなぁ」
たまたま街でコンラートと会って、そこから怒涛のようにここまで来てしまった。
唯一していると思われるテッドは早々に出発してしまったし、正直今も全体を把握していない。


以前、ユーリは言っていた。
人も魔族も共に暮らせる平和な世界を作りたいと。

真の平和など存在しない。それを嫌というほど自分達は知っている。
彼の言う事は理想論で、甘くて、どうしようもなく非現実的だ。

けれど、大事な人を傷つけられて。自分の身も何者かに囚われて。
それでもまだ、その言葉を言えるなら、掲げるなら。


「何を見るんです?」
「理想論の実現する瞬間、ですかね」
「はぁ……」
趣旨が掴めずに首をかしげたダカスコスは、急に揺れた船体にそのまま転がった。

「何だ!?」
縁に掴まって何とか体勢を維持したジョウイは、急に激しくなった揺れに海面を覗き込んだ。
高い波を立てる水面から、伸びる白い何かが船体に巻きついている。
目の前まで迫ってきたそれからジョウイは後ろに下がって距離をとり、改めてソレを凝視した。
―――でかい。
白く長くうねるそれは、側面に丸い吸盤のようなものをつけた不気味な……吸盤?
「クラーケンだ、戦闘準備!!」
船員の鋭い声が飛んだ。

ああなるほどクラーケン。これはまた現実味のない大きさな。
くねくねとダンスを踊るように揺らめいている食指を見て、ジョウイは乾いた笑いを浮かべた。
自分達の世界でモンスターは日常茶飯事なので見慣れているが、それでも驚くくらいの大きさだ。

腰が引けている戦闘員達を眺めて溜息を吐く。
これじゃぁ勝つものも勝てない。
ダカスコスはさすが軍人というべきか果敢に戦ってはいるものの、一人で十本の相手は難しい。
紋章でたたっきろうかとジョウイは考えたその時。

「お前ら何をやっている!」
激を飛ばす声は非常に聞き覚えがあったが、あまりに普段とかけ離れた口調に一瞬本人か分からなかった。
見ればギーゼラが仁王立ちでへっぴり腰の船員達を見据えていた。
「そこっ逃げるな!」
もっと勢い良く剣を突き出せと指示を出すギーゼラを、ジョウイは呆然と見つめる。

近くまできていたダカスコスが苦笑混じりに説明した。
「軍曹モードに入っちゃいましたね」
あの方仕事がからむと人が変わりますので。
「そう、なんですか」
普段あんなにしとやかで優しげな人なのに。
人って変わる者なんだ。

クラーケンの触手攻撃を避けながらしみじみとジョウイが思っていると、
「……煩い」
地の底を這うような声に振り向くと、ルックが船室の入口に立っていた。
顔は白く気分が悪いのは一目でわかるが、同じくらいに機嫌も悪い。
「煩い揺らすな気持ち悪い」
誰のせいだ。

据わった目で辺りを見回し、ぐねぐねとした食指に気付き。
「お前か」
すっと右手をあげ、一言で決着はついた。
「切り裂き」





烏賊の足の膾切り十本分あがり。
 

 







***
なんでジョウイとダカスコスが語ってるのかわかりません。
予定になんてなかったのにね。


Nothing is better than flesh.:新鮮が一番