<Strike while iron is hot>
監禁生活は三日目に突入しようとしていた。
「……限界ですね、ユーリが」
牢の奥の方に座るセノへ、格子近くに立ったシグールが、左手を這わせながら呟く。
薄暗いので、少々離れた場所にいる相手の表情は読みにくい。
「そうだね、生真面目に言いつけ守らなくてもいいと思うけどね」
「……寧ろ君らはなんで食べてるんだ」
ユーリは教育係のギュンターに申し付けられた「見知らぬ人からの物は口にするな」の言いつけを固く守り、ここ三日間何も食べていない。
村田の食べ物の中には睡眠薬しか入っていないようだが(ボランティア精神に溢れたネズミによる動物実験の結果)しびれ薬めいたものがシグールとセノの方には混入してあったので、口をつけ
られないのはこちらも同じだった、はず。
「僕はたいていの毒には耐性ありますもん」
「……なんで」
村田の至極当然の問いに、セノは笑って答える。
「料理の好きだけど壊滅的な腕の姉がいましてー」
「食べられるはずの食材で調理して、食べられないものがでてくるワケ?」
「そうなんですよー、おかげで何でも食べられるし何食べてもまずおなか壊しませんねー」
「……ああ、そう」
君は? と聞かれてシグールは苦笑する。
残念ながら、セノほどほほえましい話ではない。
「僕は嗜み。毒ごときで死ねるかって、ね」
毒への耐性を嗜む必要がどこにあるのか。
その質問への答えは案外簡単に記憶の中から見つかって、村田は小声で唸る。
それは、古今東西、貴族には必須の嗜みだった。
「そろそろ出ないと、ユーリが辛そうだね」
「そうですね……」
「ねーねー看守さーん」
大声でシグールが呼ぶと、何だと煩げな顔をした看守が寄ってくる。
「ひ・まv」
「…………」
「とーっても暇なんだよねー? そろそろ出してもらえないと、ほら、暇を持て余してこんなことしちゃうよー?」
左手でむんずと格子を掴む。
そのままぐいっと無造作に引っ張ると、鉄製のはずの格子が、ぐにゃんと曲がった。
「?!?!?!?!!!!」
悲鳴をあげてすっ飛んでいった看守を笑いながら見送ったシグールは、手につけていた何かをカランと落とす。
村田が寄って行って拾ってみると、陶器の欠片だった。
「さすがにそのままはねー」
「うわー見事に曲がりましたねー」
「何したんだよ」
「鉄は熱いうちに打てってね」
「……強引な」
呆れ果てた村田が見やった格子は、赤くはなっていないが、彼の手にある陶器の欠片は確かに温かい。
……たぶん、鉄を熱したって事だろうが、こんな状況下でどうやって。
「烈火に換えておいてよかったですね」
「ほんとにねー」
よくやるよ、と村田が呟いた丁度その瞬間、青ざめたフリンが入って来ると、大シマロンへ即急に輸送すると言い渡したのだった。
一行は馬車に乗せられ、左右を逃亡防止のためマッスルな人間に固められ……ていたのはユーリ、シグール、村田のみ。
「ええ!? すごいですねー、他には何があるんですか?」
「ほかにはなぁ、例えばこうやって」
「うわーすごーい」
セノは、牢から引っ張り出された所を見事にすっ転び、涙目になっていたのでフリンが溜息混じりに治療を命じ、治療をしてくれたおじさんにすっかり懐き――というよりおじさんにすっかり気に入られていた。
「セノ君はどうして牢屋になんか入れられちゃったんだい、怖かっただろう、かわいそうに」
「そんなことないですよ、食事も美味しかったし」
((それは君だけだ))
シグールと村田が同時に心の中で突っ込む。
牢の食事は無論不味くはなかったが、痺れ薬入りの食事を本気で美味いとは普通言えないだろう。
そんなこんなやっている間に、いきなり馬車が急停止。
「何っ!?」
セノの横に座って話していた男性は、とっさにセノの身体を庇う。
対して、村田は半ば投げ出されそうなところを両隣のマッチョご婦人に支えてもらい、シグールは若干前に移動しただけで、平然と座ったままだった。
「羊……」
目の前には羊。
羊が一匹羊が二匹、羊が五十匹……百匹……
羊の交通渋滞ですか? とユーリが突っ込みたそうにしている。
フリンが馬車から降りて、羊の大群の向こうに現れた、見事なアフロヘアの男性へと歩み寄った。
何事かもめていらっしゃるが、スルーしてシグールは手にしている物を確認。
ちらと別の馬車にいるはずのセノを見るが、中の様子が覗えない。
まあ一人でもいいかと思いなおし、左右の様子を覗った。
このまま懇切ご丁寧に捕虜のまま大シマロンなんざ行きたくない。
「お父様っ!」
フリンの苛立った声に、シグール・セノ、村田の内心は一致する。
あれお父様!?
「医者なら我等平原組も、サラレギー様のお膝元にもおるでアフロ」
「……っくっ」
堪えきれない笑いを必死に奥歯で噛み殺したシグールは、人当たりのいい(と本人は思っているが実際はどす黒い)笑顔を浮かべて、左右の護衛を見やった。
「平原組ってなにかな?」
「へ、平原組とは奥様のご出身の一族でご、ございましてぇっ」
「それで?」
「へっ、兵士の育成をおもな生業としているのでぇっ」
あそ、としばし考えこんでから呟くと坊ちゃんはもう一度満面の笑みを向ける。
「僕、人に不必要に近寄られるのが嫌いでね」
右手を掲げるまでもない。
「死にたくなきゃどけ★」
時を同じくして、村田は左右に座るマッスルお姉様方の説得に励み、セノはつぶらな瞳でおじさんを見上げて言った。
「あのー、僕たち、ユーリを守んなきゃいけなくて」
「うん」
「ここに捕まってるとそれができないので……あの、離してくれますか……?」
おねが〜い光線(無意識)を放つセノ。
結構年季の入っているはずのおじさん兵は、逡巡の後、言った。
「っ……あ、ああ、君に罪はないからね……ほら、帰り道はわかるかい? お金は足りるかい?」
「平気です、ありがとうございます」
……恐るべき、天魁星。
馬車から降りて、念のため護衛には一発鉄拳を下しておき、シグールは視線をフリンの方へ移してあっちゃーと額を打つ。
なんでそこにユーリがいるんだ、ノーマン=ギルビットの格好で。
「なんか、ノーマンさん出せってフリンさんのお父さんが」
「……ああ、うん、わかった」
婿を出せと言われても、ノーマン=ギルビットはとうに死んでいるらしい。
今まではフリンが、幼いころノーマンが怪我をして以来つけていた仮面を被って、ノーマンの振りをしていたのだ。
……で、すったもんだでもめて、正義感の強いユーリは見逃せなくなったと……そして今一芝居打っていると……まあばれるのも時間の問題だなアレは。
なんで僕が最後尾だったんだろうと毒づきながら、シグールはずんずか前に歩いて行く。
その手には棍が握られていて、一行の先頭へ辿り着いた彼は、棍をいきなりフリンの喉元へ突きつけた。
「名高い平原組とはお前らか?」
「な、何を……」
「有り金財産戴こうか」
「そうはいかんであろー」
割り込んで、シグールの棍を剣で跳ね上げたのは、フリンの父親のアフロだった。
ぽかんとした表情のユーリの袖を、セノがそっと引っ張る。
「平原組と知って挑むとは、みのほど知らずにもほどがあるであろー」
「みのほど知らず? はっ、それはお前の方だろう?」
打ち合いながら、鼻で笑って高笑い。
……そんなに悪役の真似が似合うとは思わなかったと、後ろから出てきた村田は内心呟き、手にしていた瓶を思い切り投げる。
広がる煙幕
パニックになった羊が暴走を始める中、フリンが叫ぶ。
「早くっ、羊毛にしがみ付くのよっ!」
この世界では羊も乗り物らしい。
「でっ、でもシグールはっ!?」
「シグールさんなら大丈夫ですっ」
「彼はきっと楽しんでるよー……」
「待たせたね」
「は、早い……」
「打ち合ってた方はどうしたんですか?」
ん? と笑ってシグールは羊を乗りこなす。
「一人残らず伸びてるよ」
爽やかな笑顔を残して、一同はその場より退避する。
「……? な。ここは……」
フリンの父親のアフロさんが気が付いたときには、全員そろって平原に寝そべっていたらしい。
もちろん、打ち合っていたはずの相手の姿はどこにもなかった。
***
このあたりから原作とは微妙に違います。
Strike while iron is hot:鉄は熱いうちに打て