<Sound argument is impracticable in real.
2 >
――一国は重い、責任は大きい。理想論だけで国は動かない。
シグールに投げつけられた言葉は、ユーリの胸に確かにしこりを生んでいた。
あの後、さりげなく気をまわしてくれるコンラートや何か言いたそうなヴォルフラムから離れて、一人で座り込んで考えていた。
戦争はいけない、それは変わらない。
平和が大事だ、それも変わらない。
みんな仲良く、憎み合わずに、平和に暮らしていくべきだと思う。
思うけど。
「どうしたのユーリ?」
聞き慣れた声をかけられて、ユーリは顔を上げる。
赤いバンダナをなびかせて、クロスが彼の隣に座って微笑んだ。
「悩み事?」
「……シグールに」
「何か言われたの?」
「……俺の、考えは、理想論だ、って」
「君の考え?」
首を傾げて話してごらんと言ったクロスに、ユーリはぼつぼつと先刻の出来事を話し出す。
平和を理想とする自分の考えは間違っているのだろうか?
そんな疑問を抱きながら、何とか話し終えたユーリがクロスの顔を覗うと、その顔は打って変わって厳しくなっていた。
「……ユーリ、あのね」
結論から言わせてもらうとね、とクロスの顔は厳しいままだ。
「君のその平和ボケな考えは、君の出身国と眞魔国がとても恵まれた国だからだよ」
「どういうことだよ」
はーあと溜息を吐いて、クロスは無表情に近い顔になる。
それは、ある人物にとっては記憶にあった顔で、廊下の端でそれを見かけた彼は驚いて此方へ歩いてきた。
「「ニホン」には、戦争がないんだろう?」
「ない。だって、日本は「もう戦争はしない」って明言したんだ。もうこんな事はやめようって」
「周りの国は?」
「……え」
「周りの国は、なぜそれを容認したの? それとも手を出すと何かあるの?」
ユーリは言葉に詰まった。
日米保安条約、それにより日本が他国より攻撃を受けてもアメリカの軍が守ってくれる事となっている。
つまり。
「……アメリカが、軍の基地を置く代わりに」
「じゃあ、属国なんでしょ、本国の戦力があるんだ」
「だけど、日本はっ」
あのねユーリ。
冷えた目で見られて、ユーリは言葉が凍る。
こんなクロスは。
「それは詭弁だ」
「っ」
「「戦争はしません」「そんなことは止めましょう」そう言いながら他国の軍を在留させている、それはただの詭弁だ」
まさしくそれは。
そう。
「虎の威を借る狐だね。」
「ちがっ――違うっ。本当に俺達は平和を望んだんだ、それで――」
「何が違う!?」
叩きつけるように声を荒げたクロスに、ユーリはびくっと身体を硬直させる。
「平和? 平和なんてものは幻影だ、手に入れようとするその過程中こそ気がつかなくても、本当に手に入れたらその瞬間全て崩れ去る。自国の軍をなくしても、本国の軍に頼るその
どこが平和主義なんだ!? のうのうと自分達だけ理想主義者の偽善者面で、必死に足掻く他国を非難して楽しいか!
非難するなら誰にでもできる、先頭を切って犠牲を払って、血にまみれてそれでも先に進んで、国のために君が「平和」と呼ぶそのささやかな平穏のために、どれだけ苦しんだ人がいたかもしれない、それなのに君は争いを否定するのか
」
「……クロス、落ち着け」
背後からぐいと肩を掴まれて、クロスはふっと息をつく。
テッドが心配そうな視線をユーリへやり、完全に圧倒されガタガタ震えていた彼の背中を撫でた。
「……ユーリ、お前の言い分は解る」
平和。
それは、ささやかな人生を生きたい人皆が願うこと。
この平穏な日々が続けば、そう常に思って、毎日噛締めながら、生きている。
「だけど、やっぱお前は甘いよ」
「っ」
テッドの言葉に回復しかけたユーリの表情が凍る。
「お前のその考えは、戦火の無い国で育って、強い国の王になったから、だ」
飢えたことも死の恐怖に慄いたこともない子。
だから彼はきっとどこまでも明るく前向きで、人をひたすら信じられる。
相手の良心を、疑わない。
「いつ死ぬかもしれない生活を送っていたら、そんなことは思えない」
目の前の相手が信じられるような気がしても、きっと裏切られると心の声が囁く。
「――で、で、も」
「シグールは「戦争」の反対が「平和」じゃないと言ったんだろう」
先ほどよりやや落ち着いた様子のクロスが、ユーリから視線を背けて言う。
固い口を必死に動かして、ユーリは言葉をなんとか押し出す。
「……ああ」
「意味はわかる?」
「え」
戦争の反対は平和じゃない。
それは。
「戦争の反対はね、ユーリ」
―――衰退だよ。
「……え?」
「病気や怪我が無いのが健康かい?」
「……じゃねぇの?」
「家族が病気で必死に働かなきゃいけなくて、毎日借金取りが家に来てても?」
「…………」
「健康って何かな、ユーリ」
――健康とは。
「……心も、身体も、元気で健康で幸せ、で?」
「そうだね、じゃあ戦争が、争いがないのが平和かい?」
それに答える事は無く、ユーリは黙りこくった。
テッドはそんな様子の彼を見て、それからクロスへ視線を向ける。
先ほど見た彼は「軍主」の時の顔で。最近は滅多に見ないから、とても驚いたのだけど。
(……無理ねぇか)
シグールもセノもジョウイもルックも、戦争に関してはシビアな意見を持っているだろう。
特にジョウイとルックに至っては巻き起こした張本人ともいえる。
四人とも今の自分が犠牲の上に成り立っているのは自覚しているし、それを罪として背負っている。
戦争は、どんな大義名分を引っさげても、関ったモノ全てに傷跡を残す。
例えそれが「暴政からの解放」であっても、手にかけた血の重さは同じだ。
戦争に善悪はない。
ただ、結果があるだけだ。
それを、クロスは誰よりも重く知っている、とテッドは思う。
一軍の一人としても、軍主としても、部外者としても。
「平和」というものを考える事ができないほどの極限状態において、クロスが何を見ていたのかテッドは知らない。
だけど、ユーリの「戦争は悪い、平和がいい」という一辺倒な考えは。
「戦争は、悪いばかりじゃない」
それは、幾多もの戦乱を見続けてきたからこその意見だろう。
「戦う事でしか上手くいかないこともある。誰もが君みたいなお気楽思考じゃない」
話すだけでは、収まらない。
「……でも、きっとお前は」
後ろからポンポンとユーリの頭をなでて、テッドは言った。
「お前は、信じるんだろうな、会う人会う人を」
「……俺は」
「何度裏切られても、何度騙されても、お前は信じ続けるんだろう?」
たとえ。
「――その結果、何を失うことになろうとも」
「……え」
犠牲のない理想はありえない。
追及するなら、それを信念と掲げるなら、貫かなければいけない。
「裏切られても、許して。騙されても、許して。奪われても、許すんだろう?」
それが彼の言う「平和」なら。
互いに憎み合わず許しあい、手と手を取り合って生きるなら。
「お前の国民が殺されても、奪われても、たとえ」
たとえ。
「愛する人が殺されても、お前は許すんだろう?」
静かに響くテッドの声と、頭に感じる手の平の感触が、ただユーリは怖かった。
のしかかってくるその言葉の重圧。
それは、「責任」と「意思」を問うていた。
まだ十六でも。
「渋谷有利」は一人の少年で、それでも彼の肩にはこの国の未来がかかっている。
あまりに残酷なテッドの問いは、ユーリの一番弱いところを言外に突いていた。
――失った事が、ない彼の。
「お、俺、は」
「お前が理想を語るなら、誰もそれを否定する権利はない」
だから、とテッドは呟いた。
「お前は貫け、偉そうな顔をしていっちょ前に語るなら、その脆くて青臭い信念を貫け」
たとえ、大切な物を失っても。
大事な人を殺されても。
信じた人に裏切られても。
それを理由にして、怒ってはいけない。許せ、許せ、全てを許せ。
「――俺、は」
固い横顔で呟いたユーリに、クロスは溜息を吐いて言葉をかける。
「――仮初の平和の影で、苦しむ人だっている。それを知らない君は、運がいいんだよ」
それきりで立ち上がったしまったクロスに答えることなく、ユーリはその場にうずくまる。
それでも、皆が平和に暮らすのを夢見たいのだと。
全ての子供が恐怖に怯えず、野球にいそしめる国にしたいのだと。
そう思うのに、それが言えない。
間違っているとは思わない、こんなに言われても思わない。
戦争はいけない、悲しむのは嫌だ、死ぬなんて――そんなのいいわけない。
だけど。
だけど。
「……俺は、それでも」
絞り出すような声で呟いたユーリの頭に、もう一回テッドは手を乗せた。
「――やれよ、「魔王陛下」。後悔だけは、しねぇように」
大事な人を失っても、胸を張って前へ歩けるか。
その犠牲は必要だったと納得して、その死によって得た物を最大限に活用できるか。
ほんの僅かな犠牲をも、全て見逃さずその手で幸福にできるか。
「もしも本当にできたら、お前はたいした王様だ」
罪を憎んで人を憎まず。
過ちを認めて過去を忘れて。
ツケは払えども賠償を求めず。
「――ま、結果なんて、誰にもわかんねぇよ。お前はお前で、好きにやれ」
それはあまりに、難しい事だから。
囁かれた言葉に、ユーリは頷いて声を殺して泣き出した。
***
坊は辛辣でしたがクロスは何ていうか(すみません……
相方からのご要望でしたが、私にこういうテーマで話を書かせてはいけない。
この手の話は信条が浮き彫りになりますな。