走る。
しなやかに伸びた足が地面を蹴り、軽々と次の一歩へ進む。
額に巻かれた赤い鉢巻がひらひらと舞い、観衆の視線を一身に集める。
真田幸村は、集団の先頭に立って、35kmを超えようとしていた。
「なあ、政宗」
テレビの前のソファーに座って中継を見ていた元親は、書類を片手に難しい顔をしている政宗に問いかける。
「幸村の調子はどうだ?」
「悪くねぇな。気温が高いのが逆に幸いしてるんじゃねーか」
といいつつ手元の書類をぺらり。見てるんだか見てないんだか。
「真田は暑い方が得意なのか」
隣でノートパソコンを開いている元就は、あまり集中していないのは確実である。
とはいえ一応会話に入ってくる程度には集中していたらしい。
「Ah-, まあな。っつーか暑いのが苦手な選手が多いだけか」
「なるほど」
ぱたり、と元就はノートパソコンを閉じる。
予想外の行動に、え? と元親は瞬きをした。
「そろそろ佳境か」
「That's right. そろそろほかの選手たちも仕掛けてくるだろうな」
政宗も書類を机の上に投げる。
どうやら本腰を入れて見出すらしい。
『今、トップ集団35kmを超えました!』
「佐助、35を越えたぜ」
キッチンに向かって政宗が呼びかけると、ばたばたと慌しい足音とともに佐助がリビングに入ってくる。
「旦那、ちゃんとトップ集団にいる?」
「Of course. ここからが問題だな。去年の日本代表選手も、前回のオリンピック金メダリストもtop groupに入ってる。ほかの面々もトップクラスばかりだ」
「そりゃ、さしもの幸村も危ないんじゃねーの?」
笑って冗談を言ってみると、政宗はいっそ清々しいほど堂々とにやり、と笑う。
「そう思うか?」
「……………………オモイマセン」
「男たるもの初心を貫通せよ、情けない」
「元就! お前よくわからないで突っ込みいれてるだろうが!!」
「気のせいよ」
「ちょ、二人とも静かに、中継聞こえない!!」
佐助の言葉に、四人でしんと画面を見つめる。
『まだ……トップ集団七名はぴったり密集して走っています! どうでしょう、この一糸乱れぬ動き!』
『いやあ、やはり金メダリストの走りは違いますね。彼がこのグループをリードしているといえるでしょう』
『ええ、そしてトップ集団に日本人選手が二名! こちらの真田選手はどうですか』
『彼はいつ見ても楽しそうに走りますね。それに非常に優れた資質を持った選手です。このまま上位層に食いついていければ……』
『メダルも狙えるということですね! そしてもう一人はもちろん日本代表エース格の……』
一瞬だけアップにされた幸村は、口元にうっすらと笑みすら浮かべていた。
過酷なレースである。照らす太陽の中、40km以上走る。
その最中で幸村は笑みすら浮かべて、レース自体を楽しんでいるのだろうか。
「旦那、がんばってー!」
「No problem」
「政宗はやけに自信たっぷりだけどさ、応援くらいしようよ!」
腰に手を当てて口を尖らせた佐助に、政宗は伸びをしながら首を曲げる。こきりと音が聞こえた。
「いらねぇつってたからなぁ」
「誰が?」
「My sweetheartが。今回は準備運動で、俺が応援するに及ばない、ってことらしいぜ」
「…………」
なにそれ、どんな自信。あるいは恥ずかしいのか?
そんなツッコミを佐助と元親はこらえた。
こらえたが口を開くと何か言ってしまいそうになっていると、カチャリと玄関が開く。
「小十郎さん!」
ばっと振り返った佐助が、ばたばたと廊下へ出て行くが、すぐにスーツの上着を持って戻ってくる。
「小十郎、邪魔してるぜ」
「それはかまいませんが……いかがですか」
仕事先から家に帰ってこれば、上司と嫁とその友人二名がテレビ前を独占している状態だったが、小十郎は眉ひとつ動かさずレースについて尋ねる。
そこそこ善戦しているようだ、と元就が答えると、そうかと少しだけ肩の力を抜いた。
中継が止まらずしゃべり続ける間、小十郎の目の前につまみを入れた小鉢と、ビールが置かれる。
「お仕事お疲れ様」
「俺に気ぃ使わず見とけ」
画面を指して言うと、佐助は困ったような顔をした。
「……なんかね、俺様が先に倒れちゃいそうで」
見てらんないんだもん心配で。
そう言った佐助に小さく笑って、つまみを口に運ぶ。
相変わらず美味いなとか、小十郎さんにそう言ってもらえるのが俺の幸せだよーとか、聞いてるほうが耳をふさぎたくなるような甘ったるい言葉を交わしている新婚ですらない夫婦から極力意識をそらしつつ、元親は苦笑する。
「…………俺たちにつまみは出てこないんだな」
「ほしいなら俺が作ってやる」
「政宗のはイラネ」
「たたき出すぞ」
きらめく笑顔で言われて、元親はぶんぶんと首を横に振る。
それに元就がフッと笑って、三人で無言のまま画面を見た。
再び幸村がズームされ終えた後で、元親はようやく口を開く。
「そういえばさ……ランナーにとって大事な素質とかあんの?」
「あるぜ」
「努力とか根性とか?」
「最大酸素摂取能力」
「………………さいだ……はい?」
聞きなれない単語に思わず聞き返す。なんだそりゃ。
「最大酸素摂取能力。平たく言うと細胞が非常に効率よく酸素を取り込めるってことだ」
「それは……有利……か」
酸素を効率よく取り込めるのだから、とりわけ長距離選手には有利だろう。
「Yes. 幸村がもっとも優れているのは酸素摂取力とエネルギー変換率だ。無論筋力やバネ、精神力等にも恵まれてるが……most importantなのはソレだな」
ふむ、と元就はわかったような顔をしていたが元親はよくわからなかった。
まあいいやと開き直って、画面の中走る幸村を見る。
「何考えて走ってんだろうなぁ……」
思わず漏らした言葉に、政宗は言葉を返してくれた。
「Foodらしい」
「……食べ物、と? そのようなことでいいのか?」
元就が首をかしげる。
「試合前にzooに連れて行った日は、知ってる限りの動物を思い出しつつ走ったらしい。案外くだらないことのほうが集中できるってfactだな」
笑みを浮かべて雑談していた政宗の視線が、ふいにテレビに釘付けになる。
それに一瞬遅れて視線を向けると、中継が少し支離滅裂になるほど興奮していた。
幸村が、トップ集団から抜け出たところだった。
***
私「マラソン選手に大切な資質ってなあに?」
父「最大酸素摂取能力」
私「さいだ……………………は?」
※実話です
幸村は海外の大きな大会に出場中です。政宗様もさすがにお留守番。
ナチュラルに小十郎邸に集結中。いいもん俺らまだ学生だし友達の旦那の家だもん。
ところで気を抜くとコジュサスるのは呪いでしょうか。