<ふうふのひとつ>
 



片倉小十郎は、なんとも言えぬ感情をもてあましていた。
元々表情に幅がある性質ではないので、はたから見ているとしかめっ面に見えたらしい。
だが小十郎は断じて怒っているわけではないのだ。

「片倉さん、どうしたの」
「いや」
正面で朝食を食べていた佐助が、ちょっぴり上目で見上げてくる。
「ご飯、美味しくない?」
「いや」
全く同じ抑揚で同じ言葉を返してから、なんだかしゅんとした佐助を見て付け足す。
「美味い」
「……お仕事、忙しいの?」
「……いや」
忙しいは忙しいが、小十郎にとって仕事はとても喜ばしいものである。
こなすことにより政宗の助けになるならと思うと、休日なんて取りたくないくらい仕事は好きだ。

ぐるぐると考えつつ食べていた小十郎の前で、佐助もぐるぐる考えていたらしくこちらは手が止まっている。
「おい」
ちゃんと食え、と言われて佐助は慌てて手を動かしだした。






「いってらっしゃい、片倉さん」
「ああ」
玄関先まで見送りにきた佐助は、ずっしりとつまった黒い鞄を小十郎に渡してふうと溜息をつく。
「今のバイトで鍛えてンじゃなかったのか」
肉体労働だと嘆いていたのを揶揄すると、そりゃある程度は持てるけどさあと口を尖らせる。
「片倉さんの大事な鞄だもん。力も入るってわけですよ」
なんと返せばいいかわからなかったので、短く呟く。
「…………そうかい」
その返事に佐助がへらりと笑う。

「今日は何時?」
「日付は越えねぇ」
「ここ、終電早くていいよねえ」
へらへらと笑う佐助はとても幸せそうだ。
その半分くらいは自分のせいだろうとわかってたので、小十郎も少し気分が軽くなる。
「バイトは」
「俺様今日は九時まで。昼は空いてるし畑も見てくるよ。美味しい料理作って待ってますよ〜」
いってらっしゃい、と午前中の授業がない佐助に見送られつつ小十郎は玄関で靴を履く。
鞄を持って外に出かけて、もう一度振り返った。

きょとんとした顔で、手は振られっぱなしだ。
「……佐助」
「忘れ物?」
「…………いや」
気をつけろよ、と珍しく労わってやると、なんだか複雑な表情をされた。










家から駅は徒歩五分程度である。
ホームにて電車を待っていると、heyという声と共に肩を叩かれた。
「Good morni' 小十郎」
「おはようございます、政宗様」
「ふぁああ……眠ぃぜ」
スーツを着て鞄を持ってはいたが、がしがしと髪をかく姿からしてつい先ほど起きたという風体である。
「昨晩は遅かったのですか」
「遅かったっつーか、Bed in は早かったんだけどな」
ニヤリと笑った政宗に小十郎はわざとらしくため息をついた。
人のことは言えないが、この人はもうちょっと自分を労わってくれないだろうか。
「今日は重役会議ですよ」
「No problem! この俺がヘマしたことなんかあったか小十郎」

いっそ楽しげに言った上司に、小十郎は諦め半分感嘆半分の溜息を漏らす。
しかしながら彼には違った風に取られたらしく、柳眉を上げて顔を覗き込んできた。
「どうした? 妙にblueじゃねーか」
「そのようなことは」
「いや、blueだな。佐助となにかあったか?」
「……いえ」
「なんかあったのか。じゃなきゃなんかしたんだろ」
この人の中で俺とあいつはどういうふうに見られているのだろうか、と小十郎は頭が痛くなってきた。
なんか一方的に小十郎が悪いみたいだ。

これ以上しらを切っても会社まで一緒である以上、政宗はどこまでも尋ねてくるだろう。
それは自分の精神衛生によくないと判断し、小十郎は口を開いた。
「佐助が」
「が?」
「……いえ、やはり」
一瞬冷静に戻り、これは他人に相談するべき事柄ではないだろうと考える。
そう思って瀬戸際で思いとどまったのだが、政宗はそこでやんわり思いとどまらせてくれる上司ではなかった。
「とっとと言え」
「……一応、籍を入れて一月経つのですが」
「Ah……そういやそうだな」
「未だに、「片倉さん」と」
「……………………それは佐助が悪ぃ」
きっぱりと嫁が悪いと言われて、小十郎はそこはかとなく安堵した。
安堵はしたが、問題は何も解決していないのである。

「俺に任せとけ小十郎、必ず佐助にDaringて呼ばせてやるからな!」
「ご厚意感謝いたします」
そして小十郎は忘れていた、あるいは目をそらしていた。

彼の主が絡んだ瞬間、物事は派手に面倒になっていくと言うことを。