<あいしてる>




俯いて指がパンをちぎっていく。
小さいパンは彼の大きな手の中でなおさら小さく見えた。
くい、とひねる手首の動作から、ごつごつとした手の平から、指。
指先は外見に反して器用なのを佐助は良く知っている。
(あ〜、俺様の彼氏ってほんっといい男♪)
そんなことを思いながら、彼の手元から口へ運ばれていくパンを視線で追う。
少し薄い唇に飲み込まれるパンをちょっとだけうらやましく思った。

「猿飛」
どうした、と聞かれて、なんでもないよと笑う。
穏やかな日光がそそぐ時間、珍しく二人きりで外食だった。
場所は小十郎のマンションのすぐ傍のレストランなのだけど。
一応、デートってことで。
これをデートというか世間一般は疑問かもしれませんが、俺達同棲してますからこれでもデート!
こんな家にすぐ傍でもデート!

嗚呼早く大人になりたい、と思う佐助はまだ十九だ。
大学二年生なのだから当たり前だが、早く大人になりたい理由が佐助にはある。
「片倉さん、そういうカッコも似合うね」
薄青のシャツに黒のジーンズ生地のジャケットは、佐助のリクエストによるものだ。
ジャケットは実は佐助のもの、というか古着屋で発掘したものの佐助には全くサイズが合わなかったもの、という品。
片倉さんにはぴったりなんじゃないかなと思って着せてみたら案の定だった。
心なしか袖が足らない気もしたが問題なさそうだ。

早く大人になって、成人して、稼げるようになって。
追いつきたいなあ。
そう思いながらうっとりと目の前のいい男を見ていると、何だか微妙な表情をされる。
「食べないのか」
「もうお腹いっぱい。ここ、結構美味しいね」
昼間だったのでお得にコースを頼んでみたが、前菜にメインにデザートにとついて、さらに焼きたてのパンが食べ放題。
さすがにつまみすぎかなと思ったが、パンの配膳係がしょっちゅうテーブルに来てくれるものだから、遠慮なくもらった。

何でか? あはは野暮だねえ。
そんなのこの人がカッコイイからのきまってる。


「さっきから百面相だな。この後の予定は立ったのか」
含み笑いとともに聞かれて、佐助はこくりと頷いた。
「やっぱり政宗に奨られたやつにする」
「そうか」
「で、その後は片倉さんのシャツを買って、俺様の靴下買って、買い物しておしまい」
何かしたいことある? と尋ねられた小十郎は首を横に振る。
ぱくり、と最後の一口になったパンも消えた。

指先についていたパンの欠片を、小十郎は舌をわずかに出して舐める。
格式ばった席ではないからとの行為なのだろうけど、その姿に昨晩の行為を思い出して佐助は思わず赤面する。
何でこの人いちいち心臓に悪いんだろう。
「ああ、そうだ、猿飛」
いきなり話しかけられて肩「も」跳ねる。
なんなんだまったく。
「再来週末なんだが」
「はいはい」
ゆっくりと皿がさげられ、すぐにデザートが運ばれてくる。
たぶん出張が入ったとか、政宗に仕事があるから幸村を頼むとかそんな内容なんだろうな〜……デートなのに仕事の話はちょっとヤだな。
そんなことを思いながらも、さくりとケーキにフォークを突きたてながら、小十郎から視線は外さない。

「空いているか」
「……再来週、末」
ちょっと待って、と首をかしげる。
再来週末は……再来週末は……なにか特殊なことがあったと思ったのだけど。
学校行事でもバイトでも友人との約束でもなかったので、佐助は思い出す努力をやめた。
「バイトのシフト入ってる、けど」
「ずらせるか」
「うん、まあ」
俺様たくさん働いてるし、と笑えば、少しだけ小十郎の表情が緩む。
「大学は」
「うん、大丈夫だよ。木曜日までにデカいレポートがあるけど」
試験はまだ先だしね、と言うと。
じゃあな、と言われた。


「旅行に行かないか、二人で」

「りょ……りょ、こう?」

思わず佐助は呆然とする。
旅行。その二文字が頭をめぐる。他にりょこうなんてないと思う。
「な、なんで? え、ほんと?」
「嘘言ってどうする。まあ、そんな遠くじゃねぇが……金曜の夜に出て日曜の夜には戻るが」
それでもいいか、と聞かれて。
もちろんいいよ、と佐助は笑う。
「うそ、みたい。片倉さんと旅行とか」
土日でも会社に出かけている小十郎が、週末旅行に連れて行ってくれるなんて。
ワーカホリックというか一日一回会社に行かないと死ぬんじゃないかと思ってた。割合真面目に。

日ごろの彼を知っているだけに、喜びは一入だった。
でも、再来週って。
「ホテルとか、大丈夫?」
「予約はしてあったんだがな。仕事のメドがついたのが今朝だった。悪いな、急で」
「ううん! 俺様暇だから!」
全然問題ない! と首を横に振ってから、佐助は彼の言葉を噛み締めた。



りょこう。
二人で。

金曜の夜から日曜の夜まで、小十郎を独り占め。
(うわぁ……!)
思わず頬に手を当てるとかいう乙女ポーズをとる。家だったらごろごろ転がっているところだ。
凄く嬉しい。何て表現すればいいかわからないほど嬉しい。


だから佐助は、「ゆめみたい」と言った。
そうしたら小十郎は、「夢でいいのか?」と笑った。











うん、やっぱり夢みたい。
部屋に入った佐助は正直にそう言った。

香るのは檜。あしもとには艶やかな畳。
涼しい風が部屋を通り抜ける。
なんて素晴らしい日本家屋。旅館の鏡。



広さをのぞけば。




「…………片倉、さん?」
先に部屋に入っていた小十郎は、さっと襖を開ける。
その奥にも和室があるという事実からは音速で目を背けつつ、みごとな夕焼けに染まる空に佐助は思わず溜息をついた。
「綺麗だねえ」
「ああ」
「……あの、小十郎さん」
ここ、なに?
思わず入口で固まっている佐助を小十郎は振り返る。
「電気」
「あ、はい」
ぱちりとスイッチを弾くと……やっぱり広いよ!

「どうした猿飛」
入って来い、といわれたのでそろそろとすり足で中に入る。
荷物は入ってすぐのところにおいておいたけど……残念ながら修学旅行でもこんな規模の部屋に泊まったことはない。
「部屋に風呂がついているからな」
「え?」
「温泉。外は絶景だ」
日が沈んでからでも、星がきれいだ。
そこまで言われて、やっと彼がここに連れてきてくれた理由がわかった。



佐助の体には、酷い傷がある。
昨日今日でついた傷ではないのだけど、それはどうしても目立つ。
人目にさらされるのはやっぱり嫌で、大学の宿舎にいたころも極力シャワーで済ませていた。
温泉でのんびりしたことなんて、ない。
高校の時の修学旅行では何とか隠し通したのだけど。

「おぼえてて、くれたんだ」
「ああ」
のんびり、温泉に浸かってみたいなあ。
そんなことを、傷の話をする時に言った。

佐助はもう数歩の距離を埋めると、部屋の説明をしている小十郎の腕に自分の腕を絡ませる。それから頭を擦りつけた。
説明をやめた小十郎の胸に手を当てて、そっと指を這わせて上へと向かう。
首に引っ掛けて背伸びをすれば、優しく唇が合わさる。

しばらく少し乾いた唇を潤そうとついばんで、小十郎の手が佐助の腰に当てられたあたりで離れた。


「かたくらさん」
ありがとう。
呟いてこつんと額を当てれば、優しく頭を撫でられる。
彼の腕の中にこうやって頭ごと抱かれてしまうのは、佐助が好む一つの瞬間だ。
「お風呂、入る? それとも、入らなきゃいけなくなること、しちゃう?」
額をくっつけたままで聞いたら、笑っているのが振動でわかった。
きまってるだろう? と耳に囁かれて、佐助も一緒に笑った。











夕食はとても美味しかった。
温泉にもゆっくり浸かった。
その後小十郎と少し将棋を指したけれど、佐助はあっさり負けた。
浴衣を着流す恋人に見とれすぎてというのもあるのだけど。
二つ進んで右か左に行くという、奇妙な動きをする桂馬がどうしても捨てられなかった。

「クセだね」
と言うと、小十郎は少し嬉しそうに笑う。
いつか聞いた「前の猿飛佐助」もそうだったのかな、と考えていると、それを見透かしたように「ちがう」と短く言われた。
「桂馬は、忍だ。忍は、猿飛佐助。前はお前は桂馬こそ真っ先に捨てていた。それを今は惜しむ。それが……嬉しい」
珍しく言葉とともにこぼされた彼の感情に、佐助は目を見張った。
ああ、この瞬間を撮っておきたかったと激しく後悔する。

付き合いだしてから佐助が写真をかじりだした理由を、小十郎は判ってないのだと思う。
そんな話をしている彼の前でシャッターを切ることなんてもちろんしないけど。
「じゃあ片倉さんは、角だね。竜馬かな」
それで政宗が竜王ってかんじ? と笑えば、そうでもねぇよと返された。
「案外香車かもしれん」
「香車……ええと、前にしか進めない奴だよね」
こう、と駒を滑らせる。
駒がない限りどこまでも進む香車。
それに似ていると言った小十郎は。

「……今の俺様ぜったい歩だから、置いていかないでね」
呟いた不安の言葉は半ば冗談だったのだけど。
「守ってやる」
「え」
「だから安心して前に進め」
微笑んだ小十郎の手の平に歩をぺしりと乗せて。
お願いします、と佐助は言った。





夜がふける前に当然布団になだれ込んだ。
どうせ軽い観光の他はぐだぐだするだけだしなあと思いながら、昨晩から何回シてるのだろうとぼんやり考える。
おぼろげに部屋が明るいから、今はもう朝なのだろう。
隣にいるはずの小十郎は居ないけど、水音がするからきっと風呂に入っている。

部屋風呂っていいなあ、しかも露天だし温泉だし。
そう思いながら、佐助はもうちょっとだけまどろむことにした。
朝食を食べるころにはきっと起こしてもらえるだろう、と思いながら寝返りを打って。



「……あれ」

目の前にあるのは自分の手だ。
少し細くて、少し小さい。この場合の少しは平均と言う意味で、だから小十郎よりはずっと小さい。
彼がここにいなくて、寝ているのは佐助だけで。
だから目の前の手は自分、のはずなのだけど。


「あ、れ」
すこし、ささくれのある指に。
銀色が光っていた。


「あれ?」

最初からありましたといわんばかりの銀色に、佐助は起き上がって反対側の手でぐしぐしと目を擦る。
それでもまだ、その色はあって。


「……え」


佐助が寝ている間に指輪がどこからか生えたわけじゃない。
でも信じられなくて、思わず指輪を抜いた。
洗練されたフォルムの内側に。



「………………ッ!!」



思わず、指輪を落としかける。
慌てて拾って、転びそうになりながら立ち上がる。
浴衣の裾で転びそうになるのを必死に押さえて、露天風呂へと駆け寄る。
「か、たく、ら、さん!」
「転ぶぞ」
のんびりと湯船に浸かっていた小十郎は、朝風呂は最高だなと笑う。
彼の指にもやっぱりあって、佐助は思わずしゃがみこんだ。


「ひ、どい、こんなの」
「どうした」
「ふいうち、すぎ」
声に涙が滲んだ瞬間、堰を切ったようにあふれ出す。
手の中に抱えている指輪はみるみる涙に濡れていく。

こっち来い、と低い声で言われて。
佐助はふらりと立ち上がって、ゆっくりと湯に近づく。
「手、出せ」
指輪を差し出すと、そっちじゃねぇよと笑われる。
最初に指輪があった手を引っ張られて、指に指輪を通されて。

「か、たく、らさ」
なんて叫べば、伝わるのだろう。
困るぐらい大きな感情に、佐助は泣くしかできない。
女みたいだとか思いながらも、男でもこんな事されたら泣くよとも思った。

「片倉さんっ……!」
「二十歳、おめでとう」

忘れてた。
あんなに指折り数えた、二十歳だ。
何か色々あって、ぶっ飛んでいた。

「……っ!」
待ち焦がれた、二十歳。



指輪がつけられた手はまだ離されない。
小十郎はその手を引っ張って、

指輪の上に


口付ける。





「……返事は?」

上目に見上げられて、佐助は泣きながら笑った。
笑いながらがむしゃらに手を伸ばして、ずるい男にキスをした。






指輪の裏には彼らしく、ひらがな五つで愛の言葉。














**

ちゃんと 言 え よ ! (爆笑
なお小十郎の指輪には何も刻印されてないので、佐助が後で入れます。

このパラレル世界では同性の結婚も双方が成人間においてのみ合法です。
↑便利設定