<雲と霧の場合>



「やあ。よくきましたね」
クフフと笑うと頭の上でヘタが揺れる。
あと十年は否応なしにこのヘタとの縁が切れないかと思い、雲雀はげんなりした。
けれどこの顔がこれからどんな風に歪むのかを想像すると、歓びに胸がざわつく。

雑魚の返り血に塗れた雲雀は、トンファーを横に提げたまま哂う。
それを余裕だと勘違いして、椅子に座ったまま骸は挑発的な笑みを浮かべていた。

ここに至って、雲雀は確信していた。
やはり、「戻って」いないのだ。
あのいけすかない連中と情報を交換した結果、どうやら記憶が戻るのは「ツナヨシと目を合わせた」「守護者」らしかった。
赤ん坊も中華娘も、笹川了平の妹も、戻った素振りは一切見せないという。
まだ現れていないあの連中はどうかは知らないが、この状況でいけば、ツナヨシと目を合わせれば骸も記憶を取り戻す可能性は高かった。

けれど、今はまだ何も知らない。
ツナヨシと出会っていない骸は、当然戻る事もない。
そして知らないからこそ暴挙に出られる。

骸の「暴挙」の中には、屈辱的にも雲雀が一度膝を折るというプロセスがあったが、あいにく今回はそんなヘマをするつもりは更々なかった。
けれど、ここで噛み殺すつもりもない。

ただ自分は笑いにきただけだ。
今はまだ余裕に満ち溢れている、まだ自分が上であると確信している愚か者を、嘲笑うためにここまで出向いてたのだ。

ここから先は――あの草食動物に任せておけばいい。



「君がこのイタズラの首謀者だろう」
「クフフ、そんなところですかね。そして君の街の新しい秩序」
雲雀は哂う。
凄絶に、かつこの上なく楽しそうに。

「それは叶わないよ」
ここでこれを噛み殺してしまうのもいいだろう。
けれど、それではあの草食動物は育たない。
弱いままのアレに興味はない、強くなってもらわなければ意味がない。
あの子が弱弱しいただの草食動物から牙を研いだ草食動物に変わるために、骸は必要だった。

だから今は、手を出しはしない。


「僕はここで手を下すつもりはない。君はすぐに後悔する」
「……どういう意味です?」
訝しげな男に笑みだけを向け、答えを与えずに雲雀は踵を返した。

このまま姿を晦ませば、綱吉は雲雀を追ってここまでやってくるだろう。
それを見物し、終わってからゆっくりと噛み殺せばいいと、雲雀は珍しくも上機嫌だった。
 

 

 

***
(知らぬが仏。)