<heta>


バタバタと足音を立てて廊下を走っていた男は、ひょいと襟首をつかんで引き上げられる。
「ちょ、離しなさいセコーンド!」
「離すのはいいが……」
渋い顔をしたセコーンドが手を離すと、スペードは床にばたりと落ちる。
それからもう一歩足を進めた瞬間。

バタン
ダンダンダンッ

「……!?」
床が開き、落とし穴が出現した。それに落ちるのは見事な反射神経で避けたスペードだったが、次の瞬間天井から槍が降り注いだのだ。

「…………!?」
はくはくと口を動かすスペードを見て、だから言ったんだとセコーンドは溜息を吐く。
「な……な……なんですか今のは!?」
「罠だ」
「僕がそんなに邪魔になったんですかあなたは!」
「どうしてそうなる」
セコーンドは噛み付いてきたスペードの手首を掴む。
離しなさい! と叫んだ彼はまるで無視して、ひょいと先ほどの落とし穴のすぐ傍に進んだ。
「何で屋敷にこんな罠があるんですか!? 意味あるんですか!」
「ジョットが仕掛けた」
「さすがです。無駄のない趣向ですね」
即座に言う事を変えたスペードは、数歩歩いたところでセコーンドの手を振り払った。

「貴方の手は借りません」
「いや……」
「結構です! 僕のほうが誕生日は数ヶ月早いんですからね! 僕のほうが年上です!」
胸を張って無駄なことを威張ったスペードは、そのまま一歩、踏み出す。
「おい、そっちは」
青ざめたセコーンドの言葉は間に合わず、ガタンと仕掛けの作動する音がする。
それは落とし穴でも槍でもなく……縄だった。

「助けるか?」
素で問いかけたセコーンドに、天井に吊り上げられたスペードは涙目で訴える。
「貴方の力は借りないといったでしょう!!」
「では、このままでいいのか?」
これまた素でセコーンドは問う。スペードは無理な姿勢から来る酸欠も合わさって、青いんだか赤いんだか分からないような顔で叫んだ。
「余計なお世話です!!」
「だが……」
「こ、れしき、僕には、ちょご、ざ、ぜーはーぜー」
「…………」

セコーンドが縄を切ってやろうと銃を出しかけた時、廊下の向こう側におあつらえ向きの人物を見つける。
「浅利」
そこはかとなくぼろっとした袴姿の浅利は、恐らく今まで剣の鍛錬だったのだろう。
その手には愛刀も握られている。おあつらえ向きだ。
「よ! …………何してんだ?」
「このロープを」
「貴方の力も借りませんよ浅利雨月!」
スペードはどこからそんな大声が出るのか不思議なくらいの大声で叫んで、もう一度ぜーはーと呼吸をする。
「あはは、スペードもジョットの罠に引っかかったのなー」
「も、ということは?」
「俺も今まで引っかかってたのなー。落とし穴に落ちたらぐさぐさ槍が落ちてきてー」
「……」

そのぼろっとしたのは鍛錬ではなく、罠のせいか。
被害が拡大していることを悟り、セコーンドは額に指を当てた。
「とりあえずスペードを下ろそう」
「じゃあちょっと大人しくしててなのなー」
笑顔でへらりと言って、浅利は刀を構える。
それに慌てたのか、スペードは縄に捕まったままじったんばったんしだした。
正直、蓑虫がうごうごしている様子をものすごく連想させる。
「い、や、で、す! 貴方達の力なんて借りるもんですかーっ!!」
「あ」

思い切り蓑虫……もといスペードが動いた瞬間、浅利の刀がさっと空中を撫でた。
本来縄を切っていたはずの刀の切っ先は確かに届いていたのか、縄は切れ、スペードは床に落ちた。
だが床に落ちたのはスペードだけではなかった。
「わ、悪ぃ、スペード……」
「貴方の力なんていらないといったでしょう!」
「い、いや……」
視線をそらした浅利を不思議そうな顔で見てから、スペードはセコーンドに向き直る。
「なんなんですか?」
「……クッ」
こみ上げる笑いを抑えようとセコーンドは即座に横を向いたが、時すでに遅く、笑い声が漏れてしまっている。

「なんなんですか!?」
眦を吊り上げたスペードの頭頂部。
いつもあるヘタが、


なくなっていた。





「いや……その、ちょっとな」
どうやって本人に伝えようかとセコーンドが悩みつつ言葉を選ぼうとした時、廊下のはるか彼方でけたたましい笑い声が上がる。

「あははははははは!!」
「ジョット?」
彼の声には即座に反応するスペードが顔を輝かせる。
「ジョット、探してたんですよ」
「あははははははははは! やったのは誰だ、雨月か?」
その場に転がりそうな勢いで笑っているジョットを、きょとんとした顔で見ていたのはスペードだけだった。

その彼も数十秒後、理由を理解することになるのだが。





ヘタがないだけで随分と印象が違った、というのはその場に居合わせた全員の共通見解である。
なおスペードは後からセコーンドがが帽子を持っていくまで、部屋でぐすんぐすん体育座りで泣いていた。








***
スペードは当然ヘタがあるはずです。

なかったら認めない。