<分岐の提示>




酷く長い眠りだった。
けれどその間はずっと夢を見ていた。
目を覚ますのが少し惜しいほど、ふわふわした綺麗で居心地のいい夢だったのだけど。

目を開けたら、XANXUSがいた。
とても――

「XANXUS」
やりかけていた学業という名の宿題(fromスクアーロ)の手を止めて、隣にいた彼の方へ身体を向けて、両手を伸ばす。
すると彼は何かをしていた手を止めて、綱吉を抱き上げる。
そのまま膝の上に座って、綱吉はXANXUSの体温を感じながらその身体に自分を預けた。


綱吉が目を覚ましてからずっと、こうだった。
互いに十分以上傍を離れない。暗黙の了解のように二人はぴったりと寄り添って暮らした。
寝る時も当然のようにあの大きいベッドの上で。
最初のように離れないで、XANXUSの腕が綱吉を抱えて眠る。

「綱吉、夕飯は何がいい」
「おやつは?」
「昨日お前の手から遠ざけておいた分があるから、その上にラズベリージャムでも乗せる」
後ろからXANXUSの手が腰に回る。
後頭部に彼の顔がくっつけられるのがわかって、ぎゅうと胃が痛くなった。
「嫌か? 作り置きのクッキーを焼いてもいいが」
「ううん……昨日のケーキ美味しかったもん。それがいいな」
答えながら、腰にまわされた彼の手に自分の手を重ねる。
少しざらつく肌を撫でて、聞きたいことを飲み込んだ。


ねえ。どうしてここまでしてくれるの?


聞いたら、答えが返ってくる。
それが怖い。
頭の中で幾つか答えを考える――大抵の答えは聞きたくないものだ。
例えば、仕事。
例えば、責任。
例えば、義務。

今まではそういうものだろうと思っていた。綱吉は両親を殺されボンゴレの庇護下にあるかわいそうな少年だ。
その綱吉をXANXUSは義務と仕事と、恐らく少しの罪悪感でかくまってくれている。ついでに世話をしてくれている。
落ち込んだり泣いたり喚いたり忙しい自分のために美味しい食事を作って、好きな食べ物を作ってくれる。
そう思っていた、それでもいいと思っていた。

XANXUSは綱吉より十も大人だ。お金持ちで、背も高くて、頭も良くて、男らしい。
綱吉とは本来交わらない人生だろう。
自分のために時間を使わせているのも申しわけない。全く違う世界にいる人のはずなのだから。

だから、それでいいと思ってた。
隣にいるだけでいいと思っていた。
思っていた、のに。

「XANXUS」
「なんだ。何か飲むか?」
「ううん……ちょっと寝たいな」
「それならソファーに移れ」
「……うーん……」
XANXUSのぬくもりの傍にいたいと、言えれば簡単だったのだろうけど。
そんなことはいえなくて、綱吉は口ごもる。
その逡巡を別のものと捉えたXANXUSは、小さく笑った。笑いが身体を伝わって綱吉に伝わる。
「おやつの時間には起こしてやる」
「うん」
違う理由だとはいえなくて、XANXUSの膝から降りようとする。
するりと身体を滑らそうとしたのに、ぐわっと全身を持ち上げられた。
「わ、わ、」

ふわりと身体が浮く。
気がつけば横抱きにされていて、ゆっくりと運ばれていた。
「ざ、XANXUS……俺、これぐらいは歩けるよ」
気恥ずかしくて視線を床に落としながら呟くと、無理するなと優しくソファーの上に下ろされた。
「後遺症がねぇのか奇跡みたいなモンなんだ。ガタがでてるにきまってんだろうが」
「ホントに平気だよ……」
横になって口を尖らせると、ぽんぽんと頭を数回撫でられる。
それに何か言う前に、XANXUSはほんの少し開いている綱吉の身体で占領されていない部分に腰をおろす。
そして作業を始めた彼を見て、ここにいてくれるのだと思って胸が熱くなる。

さっきまでいたリビングとここはXANXUSにしてみれば数歩の距離だ。
けして遠くはない。視界だって真っ直ぐ利く。
それでも傍にいてくれるのだと思って、本気で嬉しかった。
「ねえ、XANXUS」
身体に不調がないのは本当だけど、XANXUSも他の皆も最大限に気遣ってくれている。
綱吉のような状態がリハビリもなしに完全回復は例がないということだったので、無理もないかもしれないのだけど。

ただでさえ優しいXANXUSが、もっとずっと優しい今だから。
今だけ。

「膝枕、して?」
「……」
黙ってしまったXANXUSに、ダメだったかなと苦く後悔する。
だけど今しかない。
「あの……ほら、母さんによくしてもらってたし……」
無言で軽く膝をたたく。
それが了承の合図だとわかったので、にじり寄って頭を膝の上に乗せた。
……うん、硬い。
「痛くないか」
「ううん……あと、頭撫でて」
「……」

優しく髪を梳かれる。
うっとりと目を閉じた。
夢みたいだと思った。触れてくる手は優しい。
病み上がりだから気を使っているのだろう。そんなことは判っていたけど。

「綱吉」
呼ばれていたけれど、目を閉じて答えない。
答えたら手を止められそうな気がして。
「……綱吉」
もう一度。
耳に響く名前が心地良い。
「寝たか」
優しげな声に胸を締め付けられたけれど、綱吉は起きようとは思わなかった。
起きたら降りろといわれるだろう。ならずっと寝ていたほうがはるかに良い。


しばらく穏やかな時間が流れる。
髪を梳く手は止まらず、掌の熱でゆっくりと眠気が襲ってくる。
うとりうとりしてしまおうかと思う自分と、ここで寝ちゃいけないと叫ぶ自分がいた。なぜだかは判らないけど。
最終的に眠たい自分が勝って眠りに沈みそうになった時、そっとXANXUSの手が離される。
もういいよ、ありがとう。
そう思いつつまどろみに沈もうと、したら。

「綱吉」
声に鼓動が跳ねる。
「お前は……どちらを選ぶ?」
どちら?

「……愚問か」

優しく悲しく。
一人で納得してしまったXANXUSにどういうことか聞きたかった。
なんでと尋ねたかった。

けれど目が開けられなく、声が発せなく、身体も動かなく。
ワガママで臆病なだけの自分に嫌悪して、綱吉は目尻の涙が落ちることに気がつけなかった。










ようやく過保護なことも言われなくなったと安堵して、リボーンと訓練をしていた時だった。
まだ折り返し点の時間で、いきなりリボーンが終わりだと告げた。
「え、なんで?」
「とっととオフラインしやがれ」
「なん」
で、といい終える前にもうオフラインになっていた。
誰かが勝手にやったんだろう。何て迷惑な。

そう思いながら目を開けると。

「やあ」
にっこりと微笑む隙のない美貌が見えた。もちろん感嘆する暇はない。
「ジョ、ジョ……ジョット!」
悪夢再び、そんなフレーズが脳裏を横切った。
聞こえたとは思いたくないが、ジョットの笑みが深くなる。
「まあ座れ。貴様に話がある」
「ナンデショウ」
姿勢を正して左右を見る。
ここ一週間、綱吉に付きっ切りでドロドロに甘やかしていたXANXUSの姿がなかった。
というかもしかしなくてもセコーンドもいない。
……嫌な予感。

正面に座るジョットのみという恐怖状況で綱吉は思わず生唾を飲み込む。
その様子にけらけらと笑ってから、彼は真っ直ぐに見つめてきた。
「ツナ」
「……はい」
「「戦争」の感想はどうだ?」
「怖い」
するりと答えが唇を通って出て行った。
それを聞いて、ジョットはそうかと頷いた。

何も言われず、少しほっとした。
こっそりと相手を窺うと、目を閉じて難しいそうな顔をしている。
「ジョット……?」
「ツナ、貴様は、」


バタン!
大きな音が、した。

「ジョット! 綱吉!」
駆け込んできたのはセコーンドだった。
いつもきっちりセットされている髪が乱れて、前髪が降りている。
そして。

黒のスーツと白のシャツが。

「どうした」
ジョットは眉を上げただけで冷静に答える。
セコーンドもそれに何か答えていたが、綱吉は頭が真っ白だった。
だって今はオフラインだ。その血は本物の血。
そして、何でだか分かった。

その血は、その血を流したのは。
「XANXUSが」
「XANXUSがどうしたの!? 今どこ!?」
名前を出したセコーンドへ駆け寄って上着を掴む。
「教えてセコーンド! XANXUSはどこ!!」
「落ち着け綱吉」
「XANXUSは、XANXUSはどこ!」
「とっくに病院だ。命に別状はない。ジョット」
しがみつく綱吉を無視し、セコーンドはジョットへ視線を向けた。
「犯人は予想通りと言っておく」
「分かった。XANXUSの傍に付き添え」
「俺も行く!」

声を張り上げると、つかつかと歩み寄ってきたジョットによってセコーンドからひっぺはがされる。
そのまま意外すぎるほどの腕力でソファーの上にぶん投げられた。
「な、なにすんっ」
「貴様はここにいろ」
「何で!!」
「セコーンド、行け」
「俺も!」
身体を起こしてソファーから降りようとする。
足が床に着く前に、ジョットが綱吉の目の前に来ていた。

伸ばされた手は襟を掴んで引っ張る。
苦しいぐらい強く引っ張られた。
「う……な、なに」
「愚かな子供よ。教えてやろう」
「な、なに……」
綱吉を見下ろす目はうっすらと赤い。
「貴様は俺と同じで誑かすのが上手いな。XANXUSがあんなにボロボロになったのを見るのは二回目だ」
「ぼ、ぼろぼろ、って」
「貴様は王者の器だろう。あながち血は侮れぬ」
「ジョ、ジョット!」

意味が分からないと綱吉は繰り返す。
彼のことが理解不能なのは今さらではあったけれど、今日は余計に分からない。
病院に行きたいのに、XANXUSが怪我をしているのに。
そう焦る心すら見抜いたように、ジョットは口をゆがめる。
「ツナ」
「な、に」
「XANXUSがどうして負傷したか知りたいか」
「な、なに……?」
聞きたくないと本心では思っていた。
ジョットの言葉はいつも綱吉を深く抉る。
だけど、聞かなくてはいけないとも思っていた。なぜだが心がそう叫んでいた。


聞こう。覚悟はきまらないままに感情をねじ伏せてジョットを見る。
首がそろそろ痛いけれど、ジョットは手を放してくれない。
「貴様の友人を守るためだ。まあ正確に言えば……」
頭が、白くなる。
友人。それは獄寺と山本のことに相違ない。
「ど、どういうこと?」
「正確に言えば、守るだけにすればいいのに勝手に追いかけて戦闘になって負傷したわけだが。同情の余地は皆無だ」
「どういうこと!?」
獄寺と山本が、襲われた。
それは、どういうことだ。

記憶がフラッシュバックする。
両親は。

「ジョ……ジョット」
嘘だと言ってほしかった。
けれどジョットはそんなことはしなかった。
「同じだ、沢田綱吉。貴様は争いを呼ぶ」
「そん……な、俺は」
「普通に生きたいと願うか? それとも、同じ修羅の道へ進むか?」

選択をやろう、と残酷にジョットは言った。

「普通に生きたいと願うのなら、貴様は来週からでも学校へ戻れる。貴様や友人が狙われることもなくなるだろう。話し笑い、京子という少女とデートでもして、大学に行って就職して、結婚すればいい」
だが、とその目の赤さが少し弱まった。
鼻と鼻がかすりそうなほど近くで見ると、ジョットは綱吉によく似ている。
泣きそうな顔をしているからかもしれない。
「XANXUSや、俺と同じ道へ進むのなら。学校へ戻っても貴様は血塗られた人生を歩く。平穏などないだろう、平和などないだろう」

知っている、とジョットは笑った。
「貴様がまだ、オンラインですら誰も殺していないことを俺は知っている」
「…………」
「今なら戻れるだろう。よって選択を与える」
選べ、と鮮やかに強要された。


「……俺は」
日常へ戻るという誘いは甘い。
しかしジョットの目が雄弁に語っている。それによって綱吉が失うもののことを。

学校の友人と、ここに来て得た友人と。
天秤にかけるのは正しいのかすら判らない。かけた結果も判らないけれど。
「そんなの、選べないよ……」
素直に呟くと、ジョットの目の色が濃くなった。
「選べ」
「だってっ……!」
「では一つ」

綱吉はようやく解放され、ソファーに沈みこむ。
その前に立って、腰に手を当て、ジョットは人差し指を立てた。

「山本武と獄寺隼人は貴様の今の状況をわずかに知った」
「えっ……!?」
思わず身体が前のめりになった。
知った?
だって綱吉はほとんど連絡を取らないようにしているし、連絡を取ったって何も言わないようにしているはず。
「彼らは、貴様と共に戦うと息巻いている」
「なんで!」
知るか、と簡潔にジョットは言って。
何かを取り出しリビングの机の上に置く。

コンと音がする。
置かれたのは……指輪。

「これ、なに?」
「証」
「ど、どういうこと!?」

「綱吉」

質問を全て押し込めて、ジョットは言った。
それは最後通牒にも等しく。

「貴様が決めろ。そしてこの世界にいることを決めた場合は、山本武と獄寺隼人も貴様の戦いについていくことになる」
「なんで!」
「デーチモ」
「で……?」
「力を与えよう、十代目。それが俺の答え。貴様はどうする?」

「……俺、は……」






 


***
髪を梳くのは見るだけで幸せです。
指の間を滑る髪が好き。

山本獄寺は消去も考えたけどツナへ戦う理由がほしかった。