<おかえりなさい>
何度目かの眠りに落ちていて、額が机に打ち付けられて意識が浮上する。
ゴンガッ♪ といい音がしたので、とても痛い。
痛いからそんな音がしたのかと、ぐるぐるまとまらない思考のまま腰を上げた。
台所からは軽やかな包丁の音がする。
野菜を刻む音。それが心なしかせわしなかった。気のせいの範疇にはいるけれど。
「起きたかぁ゛あ゛あ」
どすどすとリビングに入って来た親友を見て頷いて、ディーノはぐるぐると首を回す。
「首、痛い〜」
「そりゃそうだろうが。っつーかお前はとっとと家に帰れよ」
「ヤだよ」
即答すると、長い腕を伸ばしてきて、ぐしゃぐしゃと髪を乱された。
元々猫ッ毛のきらいあがるディーノの髪はそれでぐしゃぐしゃにからむ。
けれどもそれを止めなかったのは、なんだか手が暖かくて。
とても泣きそうになれたからだった。
きっと、一番辛いのはXANXUSだから、自分は泣いてはいけないのだと言い聞かせていた。
昨日来たベルフェゴールは、止めようとするXANXUSとスペルビを振り切って綱吉の寝ている部屋に入って、枕元で大声でわんわん泣いた。
温かいけれど力の入っていない手を掴んで引っ張って、綺麗に梳かされた髪を引っ張って頬を叩いて。
マーモンも部屋に入って、黙って綱吉の手を握っていて。
ルッスーリアは毎日寝巻きをかえて体を拭いて、泣かないけれど寂しそうで。
レヴィだって顔を見せた。見舞いに持ってきたのはチョコレート。
「スペルビ」
「なんだ」
「……ツナ、目、覚ますのかな」
「覚ます」
断言されて視線を上げた。
「ホントに?」
「……ボスが、俺達がこれだけ待ってるんだ。大丈夫だ」
大丈夫だ、ともう一度言われた。
重ねる言葉に彼の不安を見て、ディーノはごめんと視線を落とす。
不安なのは誰でも同じなんだ。
綱吉が目を覚まさない。もしかしたら永遠に。
死ぬことはないと医者は言った。ただ目覚めないこともあると言った。
そんなことは信じたくなかった。二度と彼が笑わないなんて。
ビーッビーッと警報めいた音が部屋に響き渡る。
バタバタとXANXUSの足音がダイニングをつっきってリビングへと入る。
パッと中央に映像が出た。
『XANXUS』
映し出されたのはセコーンド。
親戚のXANXUSそっくりの凶悪な顔に疲労が濃く浮かんでいる。
『綱吉を113プールで発見し救出。たった今プールからの浮遊を完了し、ネットワークに突っ込んだ』
何も言わず、XANXUSは体を翻す。
一瞬セコーンドのことも気になったけど、ディーノも走ってその後に続いた。
きっと、助かった。
信じよう。誰が信じなくても、自分は。
「綱吉!」
部屋に駆け込むとXANXUSに掌で顔をつかまれる。
「あだ、あだだ」
「静かにしてろ」
小さな、けれどすごむ声で言われてディーノはごめんと小さく呟く。
煩くするつもりはなかったのだと弁解するのも無意味だろう。
唇だけでごめんねと謝罪を重ねて、ベッドの上を見る。
大きいベッドに寝ている分、小柄なのが余計に小さく見える。
胸が動いているのは何度も確かめたのに、それでもまだ疑うくらい生気がない。
駆け寄って手をさすりたかったけれど、斜め前に立っている彼の背中があったので堪える。
案の定、すぐにXANXUSは歩いてそっとベッドに腰掛けた。
大きな手が伸びて綱吉の額をなでる。
一度、二度。
夜もそうしていることをディーノは知っていた。だから体を床にもたらせかける。
三度、四度。
柔らかくなでられる表情に変化はない。
大丈夫、きっと、戻ってくる。
心の底から信じて、手を握る。
「ツナ……ツナ」
溜息のような声で呼びかけながら、蚊のような声に全力をこめる。
「戻って来い、ツナ」
「綱吉」
静かに、XANXUSが綱吉の名前を呼ぶ。
ドキリとするぐらい温かい声で、耳を疑うほどしっとりと。
「目ぇ覚ませ」
確かにその声は綱吉に届いたのだろ思う。
少し、胸が大きく上下した、気がする。
「……綱吉」
もうXANXUSが一度呼びかける。
何だか聞いてはいけないものを、見てはいけないものを見ているような気がする。
だけどディーノは部屋を去らず、無言で拳にこめた力をほどく。
次に、綱吉の閉じていた目が。
開いた。
「……ぁ」
唇が動くけれど声にはならない。
部屋の湿度は高めに保たれていたけれど、喉がかれているのだろう。
なぜだかディーノは冷静だった。彼が目覚めると信じていたからかもしれない。
「しゃべるな、飲め」
枕元においてあった水差しをとってXANXUSがコップに水を注ぐ。
起きれるか? と優しく言われて、綱吉はふるふると動いている。起き上がれないらしい。
「……ったく、カスが。何日寝込んだと思ってやがんだ」
「…………?」
「四日目だ。やらなくていいことやりやがって。挙句ドジ踏んで」
「………………」
綱吉が何て言っているのかディーノは判らなかった。
判らなかったけど、なんとなくわかった。
それに、XANXUSの声に滲んでいる感情も。
「……っ、ご、ごほがほっ」
「おい、無理に声出すな」
甲高い泣き声みたいな声が部屋に響く。
それが、声が出せない綱吉の訴えだと気が付き、ディーノは一瞬詰まらせた息を吐き出した。
「判った。息を止めてろよ」
XANXUSが綱吉に飲ませようとしていたコップを手に取り、自分の口に含む。
起き上がれない彼の頭の下に片手を滑り込ませ少しだけ持ち上げ。
もう一つの手で開いている手を押さえて。
「っ!」
びくりと綱吉の体が跳ねたが、XANXUSはしっかり押さえ込んでいて、彼を放そうとはしなかった。
水を飲ませるだけにしては妙に長い時間の後で、ようやくXANXUSが体を起こす。
「っあう……ざん、」
「もう少し飲んでおけ」
声は出るようになったけれど、まだガラガラ声の綱吉にXANXUSは小さく笑って、もう一度コップの水を口に含む。
ディーノの立っている場所からでも判るぐらい綱吉の顔は赤い。
耳まで真っ赤だ。
(あ、なんだ)
そこでざっくりイロイロ合点がいって、思わずフムフム頷いた。
てっきり可愛い弟分みたいな綱吉をXANXUSが可愛がっているだけなのかと思っていた。
他に頼る人もいない綱吉は、半ば強制されてこの乱暴なわりに優しい男と住んでいるのかなとか思っていた。
スペルビに余計なお世話だろとか言われたけど、本当に余計なお世話らしい。
「ざ、XANXUS……も、もういい」
「もう少しぐらい飲んどけ。おきたくねえつったのお前だろうが」
「も、もういいからぁ! あの、XANXUS……怪我、ない?」
「……ねぇよ」
コン、とコップがテーブルに置かれる。
「よかった」
まだかすれたままだったけれど、とても穏やかな声で綱吉はそう言った。
XANXUSの手が額を撫でて前髪をかき上げると、今度は違う色の声で言う。
「あ、じゃあね、約束守ってくれる?」
「……ムースなら今冷えてるぞ」
「食べる!」
「あと今日はチャーハンを昼に作るが」
「食べるー!!」
「……それはやめとけ」
「えー!?」
漫才みたいな会話になってきたところで、ディーノは静かに部屋を出た。
身振り手振りで説明しきったディーノに、スペルビは苦笑した。
「そぉかぁ」
「スペルビ、知ってたんだな」
「まあ、見てりゃあなぁ゛……最初に指摘したのはルッスーリアだけどよぉ゛」
それでなんか合点できた。あのオカマは色々鋭いといつも思う。
「でもなんかさー、ちょっとさびしーっつーか」
座っていたダイニングの椅子から数歩歩いて、スペルビが座っているソファーの横にどっかりと沈み込んだ。
ついでに横に置いてあるクッションを抱え込む。
「何だぁ゛あ」
話を聞きながら流していた音楽のヴォリュームを下げながら、スペルビの視線がディーノのほうを向く。
「うん、別に、ツナのことそういう意味で好きだったわけじゃないけど。弟取られた気がする……」
「…………めんどくせぇなぁ゛あ゛」
限りなく本音に近いらしいセリフを言われて、ディーノはだってさーとクッションに顔を埋める。
寂しいというのが近いと思う。
XANXUSは友人で、ツナは弟分で。
どっちも大切だったから両思いなのは喜ばしいのだと思う。思うのだけど。
思うのだけど。
「今日もさ、俺お邪魔だったみたいだし……」
「……まあなあ」
ぽんぽんと伸ばされた手で撫でられて、ディーノは心の不安に気がついてしまった。
ディーノもスペルビも真っ当な育ちではなかった。
とはいってもディーノの方は社会的に全うと言えば真っ当だ。
親と最後に会ったのは何時だったか。育ったのは大きな屋敷だった。
十の時に家を逃げ出し、逃げた先に収納された孤児院でスペルビと会った。
彼がそれまでどんな生活をしていたのかについては多くは知らない。
孤児院では優しくはしてもらえた。
けれど、頭がいいわけでも運動ができるわけでも、ましてやマナーや気遣いがあったわけでもないディーノは養子となることはなかった。
本人もなりたくはなかったけれど、だんだんと哀れむ目で見られるようになるのが苦痛だった。
それがイヤで家をでたのに、ここでも同じことになって。
「いらなく、ならないかな」
「はぁ?」
「俺、XANXUSの友達で、ツナの友達で。でもあの二人が幸せになったら、俺はいらなくならないかな」
二人ともそんな奴ではないことなんてディーノがよくわかっていた。
そんなことを言われてスペルビが困ることも判っていた。
判っていたけど。
「遊びに行く数、減るかな……」
「はぁ……くだらねぇなぁおい」
大袈裟なんじゃないかというぐらい大きく溜息が一つ。
それからわしりと頭をつかまれ、思いっきり押し下げられる。
「たたた、いたいいたい!」
「ディーノ」
名前を呼ばれて視線を横へ向ける。
ぐいと頭を捕まれたまま、引っ張られる。
「む」
合わさった唇は冷たいけれど柔らかい。
「ん……」
「アホ馬」
鼻が触れる距離で、真っ直ぐに銀を覗き込む。
ディーノの銀は柔らかく笑って、目尻を下げた。
「足りねぇ頭で考えたって意味ねぇだろうがぁ゛あ゛。素直に祝っとけ」
「うん」
なぜだかその言葉にストンと納得できたので、素直に頷いた。
考えるなといわれた当然だったのだけど、言外に慰められているような。
不安を吹き飛ばされたような、そんなカンジがした。
暗闇に浮かび上がるハニーブロンドにファイアオパールの目。
小さい身体を包むのはグレーホワイトのスーツに、ダークレッドのネクタイ。
男のクセに明らかに華奢な手首は銀色に光る時計で飾られ、足元はグレーのソックスに黒光りする靴で完全装備。
何時見ても溜息が出るほど完全な上司に一通り覚えている限りを話し終えてから、ディーノは息をついた。
「俺が知ってるのはそれぐらい」
「そうか」
声が笑っているようだったのでディーノは首をかしげる。
「ジョット?」
「ふふ、大した事ではない。あいつも大きくなったなと思っただけだ」
初めて見たときは自分の目を疑ったほどに童顔の現在三十五歳のハズのジョットは、組んだ足の上に乗せた手ごと身体を震わす程度には爆笑していた。
クッと噴出す表情は綱吉にそっくりで、なんというか、人類の神秘だ。
「楽しい話をありがとう、ディーノ」
「俺は何すればいいんだ? 今までと同じ?」
そうだな、とジョットは少し考え込んでから、笑みを深くした。
「できれば邪魔をすると楽しいが」
「それは……それはさー」
さすがにしたくない。XANXUSに怒られるのも怖いが、ディーノは綱吉が嫌がることはしたくない。
そんな素直な感情が顔に出ていたのか、分かっているとジョットは肩をすくめた。
「では引き続き監視を。なるべく多目に顔を出すのは構わないだろう」
「了解ー」
監視と言っても、ジョットに数日後とにXANXUSと綱吉の様子を報告するだけだ。
スペルビからの情報も交えつつ話すディーノの話を、何が面白いのかジョットはいつも微笑みながら聞いている。
仕事の一つではあったし、スペルビも知っているし、薄々XANXUSも気がついていることだとは思う。
けれどなあ、と部屋を出て廊下を歩きながらスペルビは首をひねった。
そんなにあの二人のことが気になるなら、自分で直接行けばいいのに。
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うちのサイト内だとどこでもやってないのでディノスクディノ。
ナチュラル同棲です。世間ではこれを同居といいます。
これにて前半?中盤?終了です。