<初代の命令>
エレベーターを上がり、赤い絨毯の廊下に足を踏み出す。
肩に羽織っていたコートをばさりと落とす。
セコーンドは何も言わずにそれを拾い上げた。
ジョットは目の前の扉を開ける。
セキュリティは相変わらず彼の眼中にはないらしい。
「死んでるかXANXUS!」
大きく笑い声をあげた彼を、しかし騒音が迎えた。
「ッザけんじゃねえ! そんなことできてたまるか!」
「はぁあ!? ザけてんのはテメェの方だろうが! うだうだ文句言ってんじゃねぇよカス!」
「オレがカスならXANXUSはくそったれだ! オレは人殺しなんてしない! させない!!」
何があったのかはしばらく聞いていればなんとなくわかったので、溜息をついた。
ジョットもそれに習うように肩をすくめる。
収まるまで待つかと思った瞬間に彼が動いた。
大人しくしておいてくれるタマではないが。
「ドカス二名、そこになおれ」
冷ややかに晴れやかに。ジョットはそう命じた。
二人はぴたりと言い争いをやめ、ソファーに腰をおろす。
「よろしい。で? カス二名がぎゃぎゃあと何をわめいていたのだ? ああ、いう必要はない。どうせくだらんだろう」
いっそ愉快げにも聞こえてくる声は、明らかにジョットが怒っている証拠だ。
今日の午後の仕事が上手くいかなかったのと、まったく時間の無駄になった会談。両方にジョットの機嫌は急降下させられている。さらに尋ねた先で喧嘩中。
……これでジョットがキれなかったらそちらの方がおかしい。
彼はそういう人間だ。
「XANXUS、仕事だ」
「今はそん……っ!」
ジョットが手にしていた靴べらでXANXUSの肩を叩いていた。
木製とはいえかなり痛いだろう。
「俺が許すまで口を聞くな下賎が」
「ざ、XANXUSだいじょ……ッ!!」
靴べらの先を器用に返してジョットはそのまま綱吉の頬を打った。
いくら手加減していようともこれは酷い。
綱吉は声を上げずに横に倒れる。
「ジョット……テメェ……」
XANXUSの声が震え、綱吉は呆然と目を開いていた。
驚きに泣くことすらできないようだ。
「貴様らが俺に意見できるのか? したいのならばしてみせろ、喚くだけなら誰でもできよう。だが貴様らの意見など聞き入れぬ。強者は俺だ。いい加減に理解したらどうだ」
いつものように酷く甘い声でそう言った。
見下ろされたXANXUSは何か言おうと言葉を探すが何も言えず、綱吉は漸く痛みが実感できてきたのか苦痛に声を堪え切れていない。
それにXANXUSの視線が横へずれると、ジョットは笑顔のままで靴べらを振るった。
「屈服する時は俺の目を見ろ」
「くっ……」
今度は頬を撃たれたXANXUSは痛みに顔をしかめる。
さすがに堪えられる痛みではないだろう。
打たれた頬を押さえている綱吉は、終に泣きべそをかきだした。さすがにもう限界だったのだろう。
「……っく、えっ、あっ」
「うるさい」
ジョットの目が細められる。
セコーンドはまた靴べらを振り上げようとした彼の肩を掴んでとめる。
「ジョット」
さすがにやりすぎだ。
XANXUSはともかく綱吉はまだ十五だ。
これ以上強く打ったら歯を折る可能性もある。
ジョットはそこらにまったく手加減をないのを知っていたので、セコーンドは止めた。
しかし、それが逆に彼を逆上させた。
「セコーンド……貴様も、俺に意見する権利などない」
瞳が赤く染まる。
セコーンドが失態を犯したことに気がついた時にはすでにジョットの手に握られた凶器が真っ直ぐに綱吉に振り下ろされていた。
彼をかばおうと動き出して、セコーンドの足が止まる。
ガッ、と嫌な音がした。
「ざ……XANXUS……」
泣き声で呟く綱吉の前に立ち、XANXUSはジョットの振り下ろした靴べらを右手で防いでいた。
「……脆い」
舌打ちをして呟くと、ジョットは靴べらの残骸を投げ捨てる。
ぱっきりと真ん中で折れた靴べらがカーペットの上に投げだされ、綱吉が悲鳴を上げる。
「XANXUSっ! XANXUSッ!!」
「……んな声だしてんじゃねぇ……問題ねぇよ」
「でも! でもッ……」
泣き声で自分をかばったXANXUSに綱吉は泣き声ですがり付いて抱きついた。
靴べらを放ったジョットは、視線をつうっと横に動かす。
代わりに手ごろなものを探しているのだろう。
その目が一点で止まる。
セコーンドは視線の先を追ってぞくりとした。
それはやめてくれ。
「……」
立てかけてあったくるくるワイパーだ。
細いは細いがあれは柄の部分は金属製だ。
破壊力は木製の靴べらをはるかに上回る。
「じょ、ジョット」
震える声がした。XANXUSではない。
「や、やめて! こんなのおかしい! オレもXANXUSも殴られるようなことしてない!」
綱吉の必死の叫びは無視して、ジョットの手が凶器を掴んだ。
「ジョット!」
制止するべく名前を呼んだが、彼は反応しなかった。
ジョットは怒っている。
理由はあまりにあまりだが、そもそもはXANXUSと綱吉が口論をしていたのが悪い。
だから彼を説き伏せる理由にはならない。
実の父兄の言うことも馬耳東風だったジョットだ、まさか弟のセコーンドや親戚の綱吉に何か言われて静まるとは思えなかった。
「ジョット!!」
綱吉は立ち上がってソファーから動けないXANXUSの前に立つ。そして彼をかばうように両腕をめいいっぱい広げた。
ジョットはその前に立ち、冷ややかな目で見下ろす。
いくらジョットが小柄だとは言えども、綱吉はその上を行く小柄っぷりだ。当然見下ろされることになったが、彼は怖気づいたりはしなかった。
いや――怖気けてはいるし逃げたそうでもあったけれど、そうしなかっただけかもしれない。
「何の真似だ」
「ざ……XANXUSを、殴るなあああっ!!」
恐怖を何とかしようと言うささやかな試みだたのだろう。
必死に大きい声を張り上げた綱吉にジョットはにんまりと笑う。
どうなるかわかって焦りだけが生まれる。
ジョットはこうなったら手加減などしない。
ジョットは予想通り片手を振り上げる。
綱吉はぎゅうと目を閉じる。体が震えている。本当は怖くてたまらないのだ。
「……馬鹿か」
ふん、と鼻を鳴らしてジョットは凶器を投げ捨てた。
綱吉に当てる寸前で止められたそれは床に転がる。
「こんな男を守ったって貴様に得なぞないぞ?」
ゆっくりと目を開けた綱吉の顎に指をかけて上を向かせる。
そっくりな顔立ちがそうしているのはなんとも倒錯的だった。
「何をそれほど怒っていた?」
「あ……あ、え、っと」
「XANXUS」
答えられない綱吉から視線を外して、ソファーにようやく身を起こした男に呼びかける。
その様子には先ほどまでの激情はない。
「……なんだ」
「コーヒーを淹れろ。俺はカフェオレな。ツナにはホットミルクでも用意してやれ……ああ、ココアの方がいいか?」
未だ自分のほうを向かせたままの少年にそう尋ねると、彼は目をパチパチとさせる。
それから、小さな声で言った。
「こ……ココアがいい」
「だそうだ。セコーンド」
呼びかけられてセコーンドは意識をジョットに戻す。
綱吉をXANXUSの横に投げたジョットは柔らかく笑んで命じた。
「XANXUSを手伝ってやれ。左の橈骨が折れててはろくに作業もできないだろうからな」
「……折ったのはテメェだろうが……」
唸ったXANXUSの言葉に綱吉が狼狽した表情になったが、立ち上がった彼の変わりにジョットが隣に座ったので逃げられなくなった。
ああなった以上ジョットが綱吉に物理的暴力を振るうことはあるまい。その点だけは安心できたため、XANXUSの後に続いてキッチンへと向かう。
「大丈夫か」
先にキッチンに立っていたXANXUSは、振り返った。
鋭い視線に、許されていないことを知る。当たり前だ、彼が許してくれるはずもない。
「……XANXUS……すまない」
「テメェが謝ることじゃねぇよ!」
背を向けたまま怒鳴られて、セコーンドは少しだけ安心した。
完全に愛想をつかされたわけではないらしい。
「手伝うことはあるか」
「ココアの缶を開けろ」
「病院にはいかな「問題ない」
言葉の最中でさえぎられて、余計なことを言ったと反省した。
ジョットもXANXUSも己の弱さを見せることは好まない。
「……すまない」
「謝るぐれぇならあいつを止めろ!」
「……それは、できん。俺はジョットの影で補佐だ」
「……それで……それでそこまですんのか!」
セコーンドはココアの缶を開けて差し出し、笑った。
「ああ。俺はジョットの弟だからな」
「そんなもの」
何の意味があるんだ、と言いたかったのだろうか。
XANXUSは残りの言葉を唸り声で押しつぶす。
さらにその上にチンというレンジの音が重なった。
XANXUSは用意のできたコーヒーカップ二つを持ち上げ、セコーンドにはコーヒーカップが二つ押し付けられる。
中身はどちらもブラックコーヒーだ。
ということはXANXUSがジョットへのカフェオレを運ぶということだ。
彼を毛嫌いしているXANXUSがこれまた珍しい。
零さないようにややゆっくり歩いてリビングへ戻ると、すでにジョットはカフェオレを口にしていた。
その横で綱吉もココアを啜っている。
大人しくしていれば二人ともそっくりでまるで兄弟……年齢を考えれば親子か――のようなのに。
そう思いながら近づいていくと、二人同時にカップを口から放した。
「……熱かったか?」
笑いをかみ殺して尋ねると、ジョットは口を尖らせる。
その横顔はとてもとうに三十路を越したようには見えない。
やはり傍らにいる綱吉の兄で通りそうだ。
「味もわからん」
「前に温いと文句を言っただろうが……」
「そうだったか?」
しれっと答えて、ジョットは熱い熱いとカフェオレを覚まそうと息を吹きかける。
横で綱吉もまったく同じコトをしていた。
そこはかとなく微笑ましい光景にセコーンドの頬が緩んでいたのか、顔を上げた綱吉がへにゃりと相互を崩す。こう見ると全体的な印象はジョットに似ているが、表情がまったく別物なので別人に見える。いや、事実別人ではあるのだが。
「セコーンド!」
怒鳴られる。セコーンドは思わず怒鳴ったジョットのほうを見た。
カタンとカップをテーブルにおいて、ジョットはセコーンドを睨んでいる。
心当たりがなくセコーンドは眉をひそめた。
何か気に入らないことをしたのだろうか。
戸惑っていたセコーンドの前にジョットがやってきていた。
いつのまに、と言うまでに膝の上に彼の膝を乗せられる。
つまるところセコーンドの膝の上にジョットが片膝を乗せて押さえ込んでいる状態になった。
ジョットの指が伸びてきて、セコーンドの顎を掴んで持ち上げる。
さほど視線に違いはなかったが、それでも少しは上を向いた。
「セコーンド」
悠然と微笑んだジョットは綺麗で、そして怖い。
何か失態をしたのは理解したがとんと理解できない。
「貴様、ロリコンなのは知ってたがリアルロリコンはやめておけ」
「……は?」
あんまりな言い草に怪訝な声しかでなかったが、ジョットの思考をたどるのになれていたセコーンドは理由に思い当たった。
おそらく先ほど綱吉を見ていたのが気に入らなかったのだろう。
確かに十五以上も下だとリアルロリコンだ。
「なんだ……あれか」
「何だとは何だ。あの顔が好きなのは知っているがな? 俺と同じだから」
話の概略を理解したらしき綱吉がそろそろと視線を向けてくる。
XANXUSも射るような目をしてこちらを睨む。
その視線を向けられると少々胸が痛んだが、もはやジョットの怒りを静める手段はあまりなかった。
「ジョット」
仕方なくジョットの顔に手を伸ばす。目が細められ花のような笑顔になった。
「セコーンド」
甘ったるく名前を呼ばれて、セコーンドは覚悟した。
なるべくなら隠しておきたかったのだが――XANXUSのためにも。
引き寄せて、ジョットの唇と軽く合わせる。
一度だけ。軽く。
それですぐに相手の体を離した。
これ以上やると本当にXANXUSを怒らせる。
案の定XANXUSは今にも怒鳴りだしそうだったが、それより綱吉の方が大変だった。ひゃあと声を上げて両手で顔を覆い、お約束に指の隙間から視線を向けてくる。
「いいだろう」
セコーンドの膝の上に乗ったままのジョットは笑顔で綱吉に振り返る。どうせたいして気にもしていなかっただろうに、性格がとことん悪く出来ている。
「あ……え、えっと、兄弟って義理の……?」
「いや、本物。父も母も同じだ」
「え、ええと……が、外人さんはスキンシップが過剰デスヨネー!」
声が裏返った綱吉ににやにや笑うジョットは何か言いかけたが、セコーンドは彼の口を掌で押さえた。
これ以上綱吉にショックを与えるのはよろしくないだろう。
「ジョット」
「むー」
「……本題にとっとと入れ。時差を考えても三時間後には起動しないと間に合わんぞ」
散々脱線しまくった彼を促せば、ジョットはセコーンドの隣に座りなおしてやや冷めたカフェオレを手にし、足を組んでにっこりと笑った。
「ああ、そうだったな。ではXANXUS、仕事だが」
「……なんだ」
「三日後、共通時間で午前十時から「戦争」だ。なお、ツナも参加させろ」
「なっ……」
「えっ……」
息を呑んだ二人に、ジョットは聞こえなかったのか? と繰り返した。
「三日後、共通時間で午前十時から「戦争」だ。XANXUSとツナの参加は初代の俺の権限で決定させている。残りの人選は自由にしろ。詳しい情報は明日送る」
そう告げて。ジョットは笑った。
綺麗に。そして獰猛に。
***
セコーンド視点だとジョットが輝いて見える。気のせいか。