<兄弟の一日>
かったるい身体に渇を入れて引きずり起こす。
下半身は掛け布団の中に突っ込まれていたが、鈍い痛いがあるのでどうやらヘマをしたらしいことはわかった。
最中はいつも意識が半ばトんでいて気がつかない。
気遣う仕事はジョットの担当でもないし、やはり容赦してこなかった弟が悪いのだろう。最も容赦してほしいわけでもないのだが。
ベッドサイドテーブルに手を伸ばし、引き出しを開けて煙草を取り出す。同じく引き出しに入っていたライターでカチリと火をつける。
浅く煙を吸う。ニコチンが脳に響き渡るのを確認してから灰皿に押し付けた。
「ジョット」
咎めるように名前を呼ばれる。すでに服を着ている弟が眉をしかめてジョットの方へ歩いてくる。両手を伸ばすと、溜息をついて肩に大きなバスタオルをかけられ、それごと抱き上げられた。
「吸うなと言っただろう」
「なら箱ごと片づけておくのだな」
言い返すと黙ってしまう。首に腕を回してくすくすと笑った。
弟はジョットに甘い。反吐が出るほど甘い。
だからこんな関係を強要されてずるずると、ずるずるともう二十年も続けている。
「ジョット、どうした」
しっとりと響く低音に尋ねられて、ジョットは弟の首筋に噛み付いた。
「早く湯に入れろ」
「下ろすぞ」
言われて足をタイルの上に下ろされる。さすがに腰が抜けることはない。
弟が湯船に手を入れて温度を確認している。ずるずると引きずってきたバスタオルを床に落とした。
「なあセコーンド」
「なんだ」
湯の温度を確かめた弟が振り返る。数歩歩んでその頬に手を添えて笑いかけてやる。特に驚いた様子はない。慣れてしまうのも考えものだ。
「まだ朝の挨拶を聞いていないぞ」
わざとらしいぐらい甘く囁いて、相手の返事を待った。
弟は溜息をつく。
人の目の前で吐くなと何度も教えたというのに、こればっかりは改まらない。
「……おはよう」
前に下りている前髪を大きな手で上に上げ、あらわになった額に口付ける。
くすぐったさにジョットは笑う。すでにこれをやらせて二十年だ。
いい年になった男が情夫にやらせることではないとは思ってはいるが、世間一般論など知ったことか。
そんなことを気にするぐらいなら、最初から実の弟を情夫になどしていない。
「セコーンド」
温めの湯に胸の辺りまで浸かりながら、頭に柔らかくシャワーを当てられつつジョットは弟を見上げる。
「今日の予定は?」
「午前中は先日伝えたとおり。目を閉じろ」
指令通りに目を閉じると、しゃくしゃくと頭を泡立てられる。
弟に丁寧にシャンプーをされる一時は至福の時だ。
ゆったりと和やかに身を任せる。
「午後もおおむね同じだが、四時から防衛庁との会談が入った」
「非公式か?」
「ご法度な方面でのな」
含みを持たせた返事に、ジョットは愉快な気分になって微笑む。
弟の指が止まった。答えるように喉を逸らすと、温い湯が髪にかけられる。
続いてはリンスだ。いきなり落とすと冷たいので、掌で温めてからゆっくりと髪になじませる。
熱心に人の髪の世話をする彼の顔のある方向へ手を伸ばす。
目を閉じていたからあてずっぽうだ。
それでも彼の頬に触れた。
「午後六時以降の仕事だがな」
ざらりともしない。髭の手入れは完璧だ。ベテランの床屋だって惨敗だ。
「全てキャンセルしろ」
「となると防衛庁との会談で今日の仕事は終いになるぞ」
かまわん、と答えて手を湯船の中に戻す。
それを合図にして弟はジョットの髪を柔らかくすすいだ。
それを終えると清潔で新しいタオルを出し、ぐるぐるとジョットの頭に巻きつける。
そこでやっとジョットは目を開けた。
「何を食べる?」
立ち上がった弟に聞かれて、つま先を伸ばしながら答えた。
「卵かけご飯」
「……ずいぶんとささやかなリクエストだな」
かすかに笑われたので、笑って返す。
「それに味噌汁。プラスで納豆」
「わかった」
そう言ってバスルームを立ち去ろうとした弟を呼び止める。
振り返った彼に、ジョットは笑顔で尋ねた。
「貴様がそうやって俺を甘やかすのは、俺をだめにして一生傍に居続けるためか?」
弟の表情は変わらず、彼は淡々と返す。
「二十年それに甘んじてきたお前の方が確信犯だ」
そう言って出て行く。
残されたジョットはくつくつと笑った。
露骨に見上げるわけではないが時計で時刻を確認し、ジョットは内心舌打ちをした。
目の前に居るのは初老に入りかけの男と、その秘書だかなんだか知らないが四十代ぐらいの若手だ。
「で、用件をまとめろ」
いい加減意味の無い議論には飽きたので高飛車に言い放つと、初老の方が顔色を変える。
対して若手のほうは不愉快そうな表情をしただけだ。
どうやらそこそこに物知らずらしい。
ある程度防衛庁に、この国の政治に関わっている人間なら誰でも知っている。
ボンゴレのトップを、ジョットを怒らせるほど怖いものはないと知っている。
だから老人は顔色を変えたのだ。そして若手はその意味がわからない。
「ですから――「戦争」が全世界で今激化している。近々大戦が」
「それはもう聞いた。目新しい話はできぬのか」
目を細めて言い放つと、老人は口を開けたまま固まる。
まったくお話にならなかったのでもう一人の方に視線を向けた。
「防衛庁としては、ぜひ、ボンゴレ機関の全面協力を――願いたいのです」
若手の発言を鼻で笑い飛ばした。
ジョットがボンゴレ本部をこの国に構えているのは、この国は電脳やセキュリティが発達していてかつ人々が他人の懐に入ってこようとしないからだ。
あと島国ならではの奇妙な文化もある。
もとより生まれ育ったのはこの国ではない。
「忘れているのか? 俺はこの国の出身ではない」
せせら笑う。無知な彼らに思い知らせるために。
「俺はこの国に思いいれなどない。ただ、文化が気に入ったからここにいるだけだ」
ジョットの体にこの国の血などカケラも流れていない。それは弟も同じだ。
だからこの国に思いいれも義理もない。
「首相に伝えておけ。ボンゴレは企業でこれはビジネスだ。守ってもらいたいのなら金を積め」
ジョットの欲求はシンプルで適度だ。
守る代わりに金を。力を貸す代わりに金を。
ボンゴレ本社を受け入れたがっている国はいくらでもある。
海の向こうの大国は、この国からせしめている金額の五倍を提示してきた。
それでもこの国にしてやっているのはそれなりにワケがあるのだが、このボンクラどもに教えてやる必要はない。
「会談は以上だ。今期分の振込みは二週間後だとだけ忠告しておく。セコーンド」
指を鳴らして名前を呼ぶ。影からすっと弟が現れた。
「お二人を外へ送ってさし上げろ。丁寧にな」
言葉に含んだ意味を弟は正しく察するだろう。
老人の方は意味も理解することだろう。
セコーンド。それは弟にジョットが与えた名前。そして権力。
弟はジョットがいないところならば、彼と同等の力を持ちそれを振るうことを許されている。
つまり名実共にセコーンド、二代目なのだ。
出て行った三人を見送って、ジョットはパネルにデーターを表示させる。
それにはここ二週間の綱吉の戦闘データーの変移だった。
「リボーン」
プログラムの名前を呼ぶ。名付けたのは当然ジョットだ。
スクリーンの中に赤ん坊が姿を現した。いつもの余裕っ面ではないが。
「後どのぐらいで使い物になる?」
『プリーモ。あいつを壊すつもりじゃねぇならあと一週間は待て』
ジョットは晴れやかな笑顔を見せる。
「一週間? 構わぬ。その程度なら三下でもとめられる」
『……本気であいつを「戦争」に参加させる気か? 人に対しては蹴り一ついれられねぇんだぞ』
「そんなこは承知している。それをさせるために今晩尋ねるのだからな」
赤ん坊は表情を変えない。ポーカーフェイスだ。
だけれども内心は動揺している。それを見切ってジョットは声を立てて笑う。
「だいたいそれをどうにかするのが貴様の仕事だ。違うのか? 最強のヒットマン」
『まあ……そうだが……てめぇの親戚だろ、そんな簡単に折れるたぁ思えねぇよ』
苦い声で呟かれ、ジョットは微笑んだ。
愉快だ。綱吉の成長速度はジョットの予想を超えている。
正直、二週間でこれほどとは。すでにヴァリアーの面子の半数には勝てるだろう。
才能だ。
確かにこれは才能。血に愛され、呪われた。
「ではリボーン。七日だ。七日後に綱吉を前線に出す。殺されぬようにしておけ」
『……了解した』
小さく返す声に笑いかける。
甘くささやく。甘く強く。絶対の権利を持って。
「頼んだぞ、俺の虹」
『…………』
回線が切れた。向こうから強制的に切ったらしい。
最後の最後でポーカーフェイスが少し緩んだリボーンの顔を思い出すと、笑いがこみ上げてくる。
ひとしきり声を立てて笑ってから、ジョットは上着を投げ捨て靴を脱ぎ捨てて足を椅子の上に上げる。
膝を抱え込んで、その上に顎を乗せた。
弟が戻るまであとどのぐらいだろうか。目を閉じてそんなことを考える。
息を吸って吐くのすらわずらわしく感じて、呼吸を止めた。
そしてそのまま意識がゆるりと闇に沈む。
「ジョット」
声が耳朶を打つ。顔をゆっくりと上げるとわずかに息を切らした弟が立っていた。
「どうした――仕事は終わったぞ」
顔を覗き込まれる。だから手を伸ばした。
「セコーンド」
弟を引き寄せる。太い首に腕を回す。そして囁く。
「今は五時だろう」
「少し前だが」
「ならまだ時間はある」
片手で弟のネクタイをほどいてそれを投げ捨てる。
そのまま上着をはがしシャツに指をかけた。
片手では外しにくいのでしぶしぶ両手を使う。
「ジョット」
「貴様はこの国が好きか?」
ボタンを外しながら尋ねると、弟は手を伸ばしてジョットのネクタイもほどく。一番上のボタンを外されて、二つ目も外された。
「ああ」
「ちゃんと言え」
襟首を掴んで引き寄せる。
ジョットは椅子に座り弟は床に膝をついているので、二人の目線はほぼ並ぶ。
その状況でジョットは命令した。
「この国が好きか? セコーンド」
「……ああ、好きだ」
答えて弟はジョットを抱き上げると、自分の上着が投げ捨ててある場所に寝かせた。床はもともとカーペットが引いてあるからそんなに問題ではない。とりあえず肩が痛くはない。
「ジョット」
「なんだ」
押し倒される格好で弟を見上げると、なんとも形容しがたい表情をしていた。
「……いや、ただ……俺は」
何か言いたげに言葉を飲み込んだ弟の唇にジョットは人差し指を当てて、小さく笑って見せた。
「かまわぬ」
「ジョット……」
「よい。それより早く進めろ」
自ら弟を引き寄せて、甘く辛く口付けた。
気だるい体が眠気に引きずり込もうとするのを無視しながら、ジョットは肩にかけられたコートの裾を引っ張って前に寄せる。
「どうした」
車を運転している弟はちらりと視線を向けたが、すぐに視線を前に戻した。
「眠いなら少し休むか」
「いらん。今日しかチャンスもないしな」
そうか、と弟が言葉少なに答える。ジョットは視線を前に向ける。
左右を街が流れていく。車は少し郊外にあるマンションへと向かっている。もちろんそこに居るのは誰かは言うまでもない。
「セコーンド」
肘をついて、流れる景色を見やる。だから弟の表情は見えないし見たくもなかった。
「貴様は初めて――」
「特に何も」
簡潔に答えは返ってきた。まだ何も言ってはいなかったが。
続いてわしわしと髪を乱暴に乱される。その行動にジョットは眉を上げて振り返る。
「何だ」
「たまにこれだからお前は困る。傍若無人の王なら常にそうしていろ」
「……失礼な奴だ」
思わず笑ってしまった。なんだこれは。どちらが兄だかわからないではないか。
まあ、そんなものはもうどうでもいいのだけれど。そんな拘りなどとうの昔に破棄してしまった。ジョットがほしかったのは弟に兄と慕われ憧憬を抱いてもらうことなどではなかった。
だが弟はどうだろうか。
こんな時にふいと考える。
もちろん彼がなんと思っていようとも何も変える気だけはないが。
「セコーンド」
「何だ」
「……いや」
珍しく言葉を飲み込むことにした。それは口に出さないという暗黙の了解があった言葉だったから。
兄弟という関係は二十年前のあの日に捨てた。
少なくともジョットは捨てた。
それでもジョットにとって彼は弟だ。
今までの三十三年間そうであったように。
しかし弟にとってジョットはもう兄ではないだろう。
そう思わないとやっていられない。
「すまないな」
「何に対してだ」
思い当たる節がたくさんあったらしい。失礼な奴だ、何時ジョットがそれほど彼に迷惑をかけたというのか。
「最後の兄を奪って」
「…………よく言う……」
溜息をつかれた。余計なお世話だ。
弟は一家の末だ。
上にはジョットを含め三人の兄に二人の姉がいた。
これは本家の話であって妾腹を含めると倍ほどになる。
今は、少なくとも本家は、全員いない。
そうしたのはジョットだ。
後悔などない。
ただ、わずかに申しわけない気分はしている。
上に五人も兄姉がいて、今は一人もいないだなんて。
「お前のせいだろうが」
「まあ、そうなんだが」
「後悔もしてないんだろうが」
「もちろんだ」
返すとくっくと笑われた。眉を上げるが弟はその笑いに対して弁明も説明もせず、ただ車を走らせる。
車内に沈黙が落ちる。ちょうど車が交差点で止まったところで、運転席に手を伸ばして、ぎりぎり触れる弟の髪に触れた。
「……?」
怪訝な顔をした彼の髪をくしゃりとする。
それから、ゆっくり撫でた。
昔のように――大昔のように。
「ジョット……?」
「やめた。貴様は可愛くない」
「……三十三で可愛いと兄に言われてもな」
小さく笑われる。
体を椅子に預けて目を閉じた。
「ついたら起こせ」
「わかった」
常備してある毛布を取り出し、自分にかけて口元まで覆う。
シートベルトを外してさらに引き上げて頭まですっぽり入れて、足を引っ込めて丸くなった。
「……兄」
毛布の下で呟いて、ジョットは目を閉じた。
拘らないと言っていた自分に、ウソツキと心の中で嗤った。
***
なんでかセコプリで1話使ってしまった。
今から殴りこみます。