<甘い生活>
相変わらずあの家庭教師のしごきは鬼だった。悪魔だった。
悪魔と呼ぶのすら温いあのドサドは、鬼畜な笑みを浮かべて綱吉をそれはねちっこくいたぶってくれる。笑顔で。
もうイヤだと限界で叫んでからみっちり三時間はしごかれ、オフラインになった綱吉はそりゃもうぐったりとソファーで横になっていた。
テーブルの上にはXANXUSが用意してくれたココアが湯気を立てていたけれど、手を伸ばす気力すらない。
意識が闇に沈んでいく。
「おい。どうした」
わずかに声を捕らえて覚醒して、ゆっくりと体を起こす。
「あ……うん、へーき」
「ちゃんと糖分はとれ。死にてぇのか」
電脳空間での出来事は全て脳で処理されている。
だから普通にしているよりずっと頭を使う。
頭の栄養分は肉や野菜ではなく砂糖だ。
よってオフラインになったら速攻で糖分を取ることが重要になる。
特に長時間の訓練の後なんて、必須に決まってる。
そんなこと、わかってはいるのだけど。
「うう……ねむいー、きもちわるいさむいー」
猛烈に眠くて寒い。そしてむかむかする。
目を開けているのもしんどくなって、綱吉は目を閉じる。
「おい」
ぐいと肩を捕まれるけれど、目を開けたくなかった。
ざらっとしたXANXUSの手か頬に触れる。温かい。
「うー」
ぬくもりを求めて目の前の男に抱きついてみたけれど、服の上からだとイマイチ温かくない。不満で口を尖らせる。
「……あったかくないぃ……」
「低血糖症状起こしてるだけだろうが!」
怒鳴られた。酷い。
引き剥がそうとXANXUSがぐいぐい腕を押しやってくるけれど、癪なので抱きついたままにしようと腕に力をこめる。
それをさらに押しやろうとされていたが、しばらくすると諦めたのか相手の体勢が変わる。
綱吉の正面に立っていたのが横に座ったようだ。しがみついたままなので綱吉の体は寝そべる格好になった。
「おい、カス。とりあえず口開けろ」
「むー」
ぎゅうと腕に力をこめる。
顔はたぶん男の腹か胸あたりなんだろう。どうにも固い。
「……綱吉、口。甘いから」
「あー」
甘いものと聞けば口を開ける。唇にXANXUSの指が触れた。
「む……ん!」
押し込まれたのは固形でそんなものを飲み込みたくない綱吉はぐずったが、舌に触れた瞬間に広がった味にカッと目を開いた。
「ちょ……ちょ……ちょ! チョコだ〜〜〜!!」
はぐ、と歯を立てるとふんわりとした香りが広がる。
中からとろっとした果実の味が溢れてきた。
不快な感覚が毛穴から抜けるように消えていく。
寒気も気分の悪さもついでに眠気も消滅した。
そこで漸く、目の前の男に抱きついていることに気がついた。
視線を上に上げると、呆れかえった目と合う。そりゃそうか。
「これ、どうしたの? 作ったの!?」
渋々という顔でXANXUSが頷いたので、感嘆はますます増す。
どうやったらこんなものが作れるのか綱吉にはわからなかったが、とりあえずさすがはXANXUSだ。
今更だが彼の料理の腕を褒め称えつつようやく腕をほどいて体を起こす。
起こす途中でXANXUSの指が目に入った。
右手の親指と人差し指と中指が黒――こげ茶になっている。もちろんついているのはチョコレートだ。
チョコレート。
それを確認するや否や、綱吉は視線をそれに真っ直ぐ向けて体を伸ばす。
気がついたXANXUSが手を上に上げる前に、くわえた。
「ん〜!」
甘くて美味しい。まずは中指をしっかりと舐める。
両手はXANXUSの右手を押さえて途中で逃げないようにした。
うん、美味しい。溶けても最高。
特に糖分に飢えているこの体には染み渡るように響いた。というわけでもう一本。
隣の指にもかぶりつく。
中指の時は抵抗しかけたXANXUSだったが、ここに来て諦めたのか好きにさせてくれる。というわけで綱吉は多いに好きにすることにした。
チョコの味が消えて男の汗の味がするまで舐めつくす。
それすら美味しいと感じていたから、たぶん塩分も不足中だ。
「ん〜♪」
一番べとつきが多い親指は一気にくわえ込むなんてもったいないことはしなかった。
舌先で指の先をぺろりと舐める。
それからゆっくりと舐めたところの左右を舐めあげる。
途中、XANXUSが何度か指を動かしたが、気にせず綱吉はチョコレートを食べ続けた。
最後のチョコの名残を舐め終えると、名残惜しく思いながら口を離す。
ふーとXANXUSが妙に長い溜息をついたが、理由はわからなかったので気にしないことにした。
「……XANXUS……」
あのチョコは一つだけだったのだろうか。もう一個あるならもう一個欲しい。
そんな思いをこめて見上げると、なんだか疲れたような顔で台所を指差す。
「好きなだけ食って来い……」
「わーい!」
叫んで立ち上がろうとした瞬間、腰が抜ける。
ドッンっとベッドに逆戻りになって、目を白黒させた。なんだこれ。
「な、なに……?」
「大方糖分と水分不足。あと疲労か」
XANXUSに容赦なく言われた言葉に涙が出てくる。
だって立てないと何もできない。
目下チョコレートを取りに行くという大事な作業が。
「チョコー」
望みをこめて呟いてみれば、傍らの男は無言で立ち上がる。
彼が台所へ向かったのを期待の眼差しで見送った。
すぐにXANXUSは戻ってくる。片手に皿を持っていて、もう片方にはコップを持っていた。
「飲んどけ」
「チョコ!」
「その前に飲め!」
ぐいと手に押し付けられた中身は水だ。
一度口をつけるとどうしようもなく喉が渇いて、驚くぐらいの速さで飲み干せた。
喉の渇きがなくなったのでコップうを彼の手に押し付け、とっととチョコレートを食べることにして皿の上にあるのを見る。
丸いの四角いの、上にきらきらしたのが乗ってるの。
どれもお店で売っているようなチョコレートだった。
はっきり言う。全部食べたい。
思わず生唾を飲み込むと、ふいと皿が横に動かされ、慌てて皿を掴んだ。
「食べる! 食べる食べるー!」
持っていかれてはたまらない。掴んだ皿の上から一つつまんだ。
ゆっくり口に入れて、噛み締める。
「うまぁ〜い」
うっとりと目を細めると、奇妙な生き物でも見るような目を向けられる。
でもいい。だってチョコが美味しい。
「これどうやって作るんだ? チョコの中に入ってるのがまた美味い!」
「……そーかよ」
もう一つ口に運ぶ。
今度は違う味だった。
さっきのはキャラメルで今度はなんだか甘酸っぱい。
「XANXUS、食べないの?」
三つ目に手を伸ばしつつ聞いてみると、テメェががんがん食ってるだろうがと返された。
「ぜ。全部は食べないよ……たぶん」
もちろんチョコレートは食べたい。
だけど作った本人が食べないのは変だろう。
というわけで綱吉が飲み終えたコップとチョコの乗った皿で両手が塞がっているXANXUSのために、綱吉は丁寧にもチョコレートをつまんで彼の目の前に持っていった。
「はい」
「…………」
「はい、あーん」
「…………」
XANXUSは無言のままで口を開けない。チョコレートは嫌いだったのだろうか? でも今までに綱吉に作った甘い物系はだいたい食べていた(綱吉が全て食べてしまったものを除く)ので、彼が甘いもの嫌いだとは考えにくい。
指先でチョコが溶けていくのがわかって、口まで指を持っていく。
ほら早くーとせかすと、ついに口を開けた。その中にチョコレートを押し込む。
「美味いよな」
「……俺が作ったんだからわかってる」
速攻で咀嚼して飲み込んだのを見て、ああもったいないと内心呟いた。
べたべたに汚れた自分の指を舐めようと思って引っ込めると、途中でXANXUSの手につかまれている。
いつの間にかコップはテーブルの上に移動していた。
「XANXUS?」
手を引き寄せられて、男は笑みの形になった唇の隙間から赤い舌をのぞかせる。
それがくいっと動いて、綱吉の指先を、舐めた。
「ひっ」
未知の感覚に思わず手を引っ込めようとしたが、XANXUSに押さえられていてはかなわない。
舌は爪と指の間をしつこくなぞり、指ごとくわえ込んでそして離れる。
ほうと息をついたのも一瞬、別の指に食いつかれ、綱吉はぶんぶんと首を横に振った。
なんかヘンだ。とりあえずぞわぞわする。目の前の光景も色々拒絶したい。そして自分の指を舐めているXANXUSは――なんか、こう、ヘンだ。
「ざ……XANXUS……」
やめてくれとの言葉に、XANXUSは目線だけ上げると、ちろっと指先を舐めて笑った。
「てめぇもしただろうが」
「あ……あ、あー!」
漸く何を言いたいかわかって、綱吉は声をあげる。
いやあの時はその糖分に飢えていまして低血糖の所為といいますかええとうん。
「ご、ごめんなさ――ひゃっ」
ぎゅうと吸われて、舌で爪の奥まで舐められて、チョコがついてないはずの指の付け根の方まで舐められて、綱吉は目を白黒させた。
絶対この状況は何かおかしい。おかしいのに。
おかしいのに、やめろという気はしない。なぜだろう。
回線をつないだ先の相手は、心配そうな声を出した。
画面に大きく顔が映っている。整った顔が今は少し歪んでいた。
『大丈夫っすか沢田さん。その……今、どこに』
「オレは平気。ごめんね獄寺君。学校には……行けそうになくて」
それどころか一般の電脳にもまだ入れない。
綱吉に新しく埋め込まれたチップは、一般の電脳に入るのには煩雑な作業が必要で、綱吉はまだ全部を覚えているわけではなった。だからこうやって画面に互いの顔を映して通信しているのだ。
『っすか……沢田さんがいないと学校つまんねーっすよ』
気落ちしたような様子の獄寺は、実は綱吉が休んだ翌日から学校に行っていない。
いろいろな人を伝わって獄寺の姉からの通信が綱吉に回ってきて、だからこうやって話しているのだ。
「山本だっているじゃない」
『アイツは! オレはアイツ嫌いっすから! 沢田さんがいねーのに仲良くなんかしませんよ』
ぷいっとすねたように頬を膨らませた獄寺に、綱吉は小さく笑った。
獄寺隼人は中学からの親友で、転校してきたばかりの彼が起こした揉め事を綱吉が片づけたというか……巻き込まれてあたふたしていたら終わったというか……とにかくそれ以来よくわからないが慕ってもらっている。
未だに「沢田さん」呼びで敬語はもはやディフォルトだ。
最初はなんだかんだ言っていたのだが、今は文句を言う気も失せている。
山本武も同じく中学からの親友で、彼もちょっとした問題になった時に助けて以来の仲である。
……が、この二人、仲はあまりよろしくない。というか綱吉が間にいないと喧嘩ばかりする。
「喧嘩、してないよね? 獄寺君も山本も強いんだから殴りあったら怪我するだろ」
『……喧嘩、は、してねーっすけど……沢田さん、どこにいるんすか』
「うーん……」
いいあぐねて綱吉は黙った。当然獄寺はXANXUSなんて知らない。
ボンゴレ機関なんて知らない。
他の色々なことも知らない。
だから綱吉は言えなかった。
どこに誰といるか、何をしているか、なんて。
『……沢田さん?』
呼びかけられる。綱吉は慌てて顔を上げた。
「ごめん、今はちょっと秘密! 大丈夫、オレ元気だし。一緒にいる人が料理上手くってむしろ太ってるし!」
顔色はよくなった。自分でも驚いた。
両親のことがショックで告げられた事実がショックで、あまりにショックが大きすぎたのか綱吉の心はシャッターを下ろしてしまったらしい。だから実感はほとんどない。
だけど毎日の料理や訓練や、XANXUSとの会話や訪れるマーモンやベルフェゴールとの戯れは本物だった。そちらの実感の方が大きい。
青い顔して隈作ってたのは最初の数日だ。
我ながら薄情者だとは思う。だけど、毎日しっかり食事をして訓練をつんでいるから……だから、今こうして笑っていられるんだろう。
画面の中の獄寺にもう一度呼びかけられて、慌てて意識を切り替えた。
「うん、大丈夫」
『沢田さん……すみません!』
ガッと獄寺が頭を下げる。何のことかわからなくて綱吉は首をかしげた。
「ご、獄寺君?」
『すみません! オレ……中学ん時にあんなにデカい口たたいて……なのにオレは沢田さんが一番辛いときにお傍にいられなくて……ホントすみっません!!』
「い、いいんだよ、獄寺君。オレだって……まだ、ぜんぜん、ほんと」
辛くて悲しかったけれど、今はそのほとんどに蓋がされている。綱吉はどんどんたまるそれを見ないフリを続けている。
このままの生活を望んでいる。
だから獄寺は謝る必要などない。
まだ一番辛い時などきていないのだ。
『獄寺! ツナから連絡って……おお、ツナ! ひさしぶりなのなー!』
いきなり画面にもう一人現れた。
獄寺は振り向いて何か怒鳴っていたが、綱吉は気にせず彼に話しかけた。
「山本! 久しぶり」
『なのなー! ツナ、お前今ドコにいんの?』
『沢田さんはそれには答えられねーんだよ! 気ぃ使えアホ!』
『そーなのかツナ? ……言えねー場所ってなに? お前ヤバいことに巻き込まれたのか?』
少し山本の声の調子が変わって、慌てて綱吉は首を横に振る。
山本の勘の良さは付き合っていてしみじみ感じている。気取られるわけにはいかない。
だって。きっとこの二人は。
綱吉の両親が殺されて、そしてこんなところに閉じ込められて、戦闘の訓練をさせられているなんて知ったら。
きっと、きっと、ここがどこでも駆けつけて助け出そうとしてくれるから。
「ここ、親戚の人の家なんだ」
嘘じゃない。確かにXANXUSは綱吉の遠い親戚らしかった。実感はないけど。
「親が死んだから、引き取ってくれる……ってより預かってくれる感じかな。学校は……もうちょっと落ち着いたらってころとでさ」
いつから学校に行けるんだろう? 聞いたらXANXUSは困るだろうか。
だけど知りたかった。
いつから普通の生活に戻れる?
「だから、しばらくはいけないけどさ、大丈夫だよ」
『う〜ん……ツナがそういうならいいけどなー』
納得はしていないと言外に言った山本は、にかっと笑った。
『それじゃ、また遊ぼうぜ! 電脳の方でいいからさ!』
『そうですよ沢田さん、電脳ならどこにいても入れますし……』
「あー……う、うん。そだね。じゃあまた連絡して。この端末へのメールとかだったら受け取れるから」
わかりました! と勢いいい獄寺の返事と、じゃあな〜という山本ののんびりとした返事を聞きながら、綱吉は回線を遮断する。
ソファーに倒れこんで、大きく溜息をついた。
疲れた。
でも、二人には綱吉がどうしたかなんて、知られたくない。
「どうした」
部屋を出ていたXANXUSが尋ねてくる。説明が面倒になってうーんとか返したら睨まれたので、ちゃんと説明することにする。
クッションを抱えてソファーに座りなおす。ため息をついて目を閉じた。
「……ガッコの友達。心配……された。でもホントのこと言えなくて」
「そうか」
ちょんと鼻先に何か触れる。目を開くと目の前に小さなカップがある。
黄色い……あとこの匂いは……
「……プリン?」
「ああ」
「食べるー!」
手を伸ばすと、すっとプリンが去っていく。
プリンの入ったカップ片手にXANXUSはにやにやしながら、単純だなお前はとか嫌味をいってきた。
「単純だし! プリン!」
笑顔で言い切った綱吉に少し唖然とした顔をしたが、結局プリンは無事に綱吉の手に収まった。
***
サブタイはザンツナ的甘さではなく、甘い生活です(文字通り)
レッツみんなで糖尿病。
獄寺と山本登場。リアルに登場できるのはいつの日か\( ̄▽ ̄)/