<最凶家庭教師>
綱吉は専用電脳空間に入る。
ただのだだっ広い白い部屋にしか見えなかったが、実際その通りだろう。
「ええと……育成プログラム「リボーン」起動」
教えられた通りに呟くと、目の前に黒い影が出現した。
「チャオッス」
そう言ったのは黒スーツの……赤ん坊。
どう見ても赤ん坊でしかなかったので、綱吉は首をかしげる。
「お前、どうしたんだ?」
「なに寝ぼけたコト言ってやがんだ」
そういうが早いか赤ん坊から飛び蹴りを食らった。顔面に。
痛くて泣きたくなる、半分ぐらいは情けなくて。
何やってんだオレ。
「オレはリボーンだぞ。おめーの家庭教師だぞ」
「……は? 何で?」
「とっとと道具を見せやがれ」
ぐずぐずしているとまた蹴りが飛んできそうだったので、慌てて綱吉はオンラインになる前にXANXUSに説明されたことを思い出す。
「ええと、憑依型? と装備型?」
「なんだ、意味もわかってねーのか。ホントにダメツナなんだな」
「な、なんでお前がその呼び方知ってるんだよ!?」
学校でからかい混じりに呼ばれている呼び方をされて、綱吉は思わず突っ込む。
赤ん坊はにんまりと笑った。
「はじめるぞ、ダメツナ」
「その呼び方すんなー!!」
怒鳴った綱吉に赤ん坊はまたも飛び蹴りを食らわす。
今度こそ地面に突っ伏して、綱吉は情けない声を上げた。というか痛い。
「ったく、情けねーぞ。とっとと出しやがれ」
「出すって……どうやっ、へぶっ」
ビンタされて綱吉はじんじん痛む頬を押さえた。
なんだこの容赦のないお子様は。
「しかたねーな、ダメツナはダメだから説明してやる。戦闘電脳で使う道具は三種類あるんだぞ。一つは憑依型で一つは装備型で一つは展開型だな」
「そう言ったじゃ、ぎゃっ、もう蹴るな!!」
ふんず、と綱吉の頭を押さえつけて楽しそうに赤ん坊……リボーンは笑った。
「憑依型と装備型の違いはわかるか?」
「わっかんねーよ!」
「憑依型は頭ん中の容量を食うからな、一人一つしかねーよ。わかったかダメツナ」
「いちいちダメとか言うな! あと人の頭から足のけろ!!」
綱吉の必死の抗議だが、悦に入っているらしいリボーンには届いていないようだ。
彼は涼しい顔をして続ける。いい加減泣きたい。
「装備型はいわゆる武器だぞ。てなわけでとっとと展開してみやがれダメツナが」
「え……えーっと、展開ね、展開」
展開? と頭の中ははてなマークで満たされていたが、わからないと言えばまたリボーン先生の攻撃を受けそうだったので、綱吉は必死に思い出す。
XANXUSが一度説明らしきものをしてくれたことはしてくれたのだが、初めて聞く単語の羅列に綱吉はまったく理解できなかったのだ。
――ついでに理解することもしなかった。
「えーっと、ヴェンデ?」
「シエロディヴォンゴレ だダメツナ」
「う、ちょ、ちょっと忘れてただけだろ! ……シエロデボンゴレ」
「意味は知ってんのか」
首を横に振ると、先生はヤな笑顔を浮かべた。
教えてくれるのだろうか、どうせオレはバカツナのダメツナですよ、内心そうすねているとにやりと笑う。
「スねんなスねんな。意味は簡単だぞ」
リボーンは上を指す。
突然そこに大空が広がった。
「ボンゴレの大空、だ」
「ボンゴレの……大空」
武器の名前をつけたのはジョットだった。
XANXUSがとても嫌そうな顔で名前を教えたのは覚えている。
あまり好かれている気はしなかったので、思っていたよりキレイな名前で意外だった。
「うん、わかった」
「展開は簡単だぞ。命じればいい」
「ええと……展開、シエロ……「大空」じゃだめ?」
「問題はないぞ」
「じゃ、展開。「大空」」
名前を呟くと、頭の奥で音がした。
キュィンという音が響いて、光の粒が綱吉の両手に集まる。
輝いたその武器は――
「ってなんじゃこりゃああああ!!」
白くてふかふかの。ミトン。
手袋ですらない。数字の27はなんだ、ツナか。
「なんだこれ! ミトンか! 手の血流をよくしろってか!」
ふっざけんな! と絶叫した綱吉に向けてリボーンは銃を構えた。
「へ!?」
思わずホールドアップ状態になった綱吉に、家庭教師はにんまりと笑う。
「展開、ラヴェンデッタディシエロ」
「ナニソレ!?」
呪文!? と悲鳴を上げた瞬間に発射された銃弾が自分の体にめり込むのを感じた。
疲れた。
口から魂が出る程度に疲れた。
電脳空間からなんとか帰還した綱吉はソファーでぐったりとしていた。
もう何も考えたくない、瞼を開けておくのだって億劫だ。
「おい、寝てんじゃねぇよ」
「つかれたんだー」
「何か食え」
「からだいたいあたまつかれた」
真上から舌打ちが聞こえたけれども、綱吉は恐怖なんかじゃもう体を動かせなかった。
そんなもん生ぬるい、ミサイルでももってこいな気分だ。
打ち込まれたと思った銃弾は綱吉の中のナニカのスイッチを入れた。
ミトンはグローブに変わり、炎を放った。
それはいい。そこまでは。
しかしあのリボーンと言う家庭教師はスパルタ中のスパルタだった。
オンラインになっていた時間がどれほどかはよくわからないが、もう十年分ぐらいしごかれた気がする。
綱吉の骨も筋肉も精神も悲鳴を上げてから、漸くあのサドは綱吉を解放したのだ。
「もううごけないーにどとくんれんなんかしねー」
「いいから起きろ。じゃねぇと食っちまうぞ」
「へー?」
薄目を開ける。
その瞬間悲鳴をあげて体を起こした。
「な……!」
くあ、と綱吉の目の前で大口を開けていたのは、どこからどう見てもライオン……より大きくないですか?
動物園で見た覚えがあったが、ライオンはもう一回り……二周りは小さかったはずだ。
あとライオンは白くない……なにこれ?
「ちょ、なにこれ!? ライオン!?」
「ライガーだ」
「こんなのいたっけ? って、うわああ!」
ぐあぁと声を上げてライガーは綱吉に前足をかけようとする。
悲鳴を上げてのけぞったが、その両足はすかりと綱吉の胸を貫通した。
「あ……」
「街のど真ん中のマンションでライガー飼ってるわけがねぇだろ、カスが」
「び、ぶっくりしたー……」
思わず手を伸ばす、すかりと通りすぎていった。
物理的に害がないとわかれば怖くない。間近でしげしげと観察する。
「すげー、本物みたい。あ、電脳ペットと同じ理屈?」
そういえば友人の家にこの猫タイプがいたなと思い出す。
ライオンよりかなりデカい獅子の正体は、家に設置された端末から投影された映像だ。
撫でようと手を伸ばすと、あっさりとそっぽを向かれる。
向かい側のソファーに座っていたXANXUSのところに歩いていくと、ライガーは目を細めて顔を擦り付ける。
それは通過してしまうのだけれど、XANXUSは手を伸ばして軽く顎の下に触れる真似をした。
ぐるるる、とライガーは満足げに喉を鳴らす。
「すっご……こんなのいたらもっと早く見せてよ」
ふかふかの毛並みに触れないのは残念だけど、悠々とした姿は見ていてとてもときめく。
人一倍動物だのなんだのが大好きな綱吉は、出し惜しみをしていたXANXUSに非難をこめて呟いた。
「これは展開型だ」
「展開型……? え? 電脳戦闘の道具?」
綱吉自身は憑依型と装備型しか持っていない。
もう一つの展開型は扱うのがそれなりに難しいとリボーン談。
しかし展開型は使用者の脳内メモリーに記録されているのではなく、外付け媒体に記録しておかれるものだ。
ということは家の端末に接続して投影することもできる? のか?
「ベスター、挨拶してやれ」
肉食動物は大きく口を開けて吠えた。
うひゃあ、と悲鳴を上げて綱吉はソファーにひっくり返る。
けれど恐怖より興味がたってしげしげとライガーに視線を向けた。
「べ、ベスター?」
ライガーが頷くような動きをしたので、綱吉はソファーを降りてゆっくり近づく。
「えっと、オレ、綱吉な」
「丁寧に自己紹介する必要はねーぞカス」
「な、なんでさ。よろしくな、ベスター」
綱吉の言葉には無反応だったベスターだが、主のおもむろな一言には素早く反応した。
「ベスター」
ばっ、と巨体が綱吉の上にのしかかる。
当然それはフリだけで、実際には映像が綱吉をすり抜けるだけだ。
けれども綱吉はひゃあと悲鳴を上げてひっくり返った。
「……テメー、ちったぁ学べよ」
呆れた目で見下ろされて、綱吉は口を尖らす。
「だって透けたりしてないし、本物みたいなんだ」
「現実で電脳を本物と思うな。当然、電脳の虚構を本物と捕らえんな」
「?? XANXUS、もーちょっとわかりやすく」
ベスターが綱吉の上からどく。
ひっくり返ったままの綱吉を見下ろして、XANXUSは頬杖をついた。
「電脳で起こったことは実際にあったことだ。だがテメーの体に起こったことは現実じゃねぇ」
「どういうことだ? 電脳でのことは現実で現実じゃない?」
「怪我、疲労、それは全てテメェの想像だ。カスらしくそれを全て反映させる必要はねぇ」
「ど、どういうことだよ」
簡単だ、と言ってXANXUSは指を弾いた。
瞬間、大人しく寝そべっていたベスターは立ち上がるとXANXUSに向かって飛び掛る。
XANXUSは表情一つ動かさず、ベスターが体を通り過ぎるのを見ていた。
「これは虚構だ」
「……」
「同じく、電脳でのことも虚構だ」
「で、でも……」
ぎしぎしと全身が痛い。思い出したように痛くなってきやがって。
そんなことは無理だと反論したかった。あの電脳空間はやたらにリアルだった。叩きつけられた地面の感触ですら覚えてる。あの感覚は本物だ。
「完全に切り離すのは無理だが、少しは軽減するようにしろ」
「な、なんで」
「たりめーだろうが」
それでは説明になっていない。
そう言いたかったけれど、気力が限界にきていたようだった。
瞼が落ちる、床の感覚が頬に伝わった。
これが現実――電脳は虚実。
その違いは綱吉にはわからない、どれほど人が己の感覚を駆使したってわからないように電脳は進化しているのだ。
だからわかるわけがない、それを切り離すようにしろ、できなくとも軽減?
そんなことはできるわけがない、同じ感覚なのだから。
現実を虚実と錯覚してしまうより、マシなんだと思うのだけど。
それを伝えたかったけど口が開かなかった。
盛大な舌打ちが聞こえる。
体の下に手が押し込まれて、体がふわりと持ち上げられた。
わずかな振動が伝わる、それは人が歩く振動だ。
「……現実だよ、虚構も現実……」
薄く開いた唇からなんとか答えを返す。
相手は何も返さない。
「……ベスターもリボーンも、現実じゃ……」
体がマットに沈みこむ。
虚脱感と共に安堵も覚えて、本格的に意識が沈みだす。
ずぶずぶとそれを止めようとしたけれど、抗う気力もほとんど残っていなかった。
「…………」
最後に言った言葉は霧散して、恐らく唇からは出て行かなかった。
***
ギャグだ。