<Ti amo 1>
正直に言う。
出発前はうっかり浮かれていたが、今はどっちかと言うと逆だ。
不貞腐れて、綱吉は車の助手席に座っていた。
窓が開けっ放しなので入ってくる風が髪を揺らしている。
最後に窓を全開にして車に乗ったのは何時だろうか。そう思って少し寂しくなった。
「おい」
運転席の男から声をかけられ振り向く。
「何だよ」
「んな顔して見てんじゃねぇよ。綺麗だろうが」
「……まあな」
そう、確かに窓の外に流れる風景はとても綺麗だ。
高速を降りてからの風景は本当に、まるで絵画の中じゃないかと思うほどに美しい。
けれども、綱吉は素直にこの状況を楽しめなかった。
ここはイタリアのトスカーナ。
場所はかろうじてわかるが、ボンゴレ邸からは遠く離れている。
何で綱吉がここにいるかと言えば、先日の嘆願書のせいだ。
不愉快になるが回想しよう。
「……は? 休暇?」
「はい。そろそろバカンスの時期ですから」
「いや、そりゃそうかもしれないけど……え、なにこの日数? 正気?」
こっくりと頷いた右腕の表情に綱吉は眩暈を覚えた。
確かに、十代目に就任してもう一年は経過した。
いろんな意味でぼっろぼろのスタートだったから、守護者もその下の部下もこきつかった。
それは認める。しかし休暇申請が来るとは。
しかも嘆願書で。そんなに休みたいのか。
「二週間!? 二週間も休まれたら職務が滞るだろ!」
今日日バイトだってそんなに休まないぞ。
「それでも譲歩したとは思いますが……去年のバカンスシーズンはバカンス返上でしたし」
「そーなの!? そういうもんなの!」
「十代目は日本育ちですからご存知ないと思いますが、こちらではバカンスは一ヶ月ほど取るものです。二週間は相当譲歩してきたと思います。しかもこの署名、鬼気迫ってますよ……先の春の休暇申請も却下なさいましたね?」
「だって日本では学生以外に春休みはないから……」
二週間!? クソ忙しい時期に二週間!!
なんというイタリアン。なんという自由主義。
経済効率一番の国の綱吉は目を回した。ついでに突っ伏して泣きたい。
……綱吉はそう思っていたが、イタリアだけではなくこれは欧州では共通のことである。
たとえ稼ぎ時だろうが、お構いなし。彼らは休むのだ。
「わ……わかった。日程をずらしていくなら許可しよう。お詫びにバカンスボーナスもつけてやる」
自棄で呟くと、さすが十代目です! と隼人は顔を輝かせた。
早速手配しておきますね、と嘆願書を手にしながら言った彼に、綱吉は呟いてみる。
「じゃあ、俺も休暇とろうかな」
「構いませんよ」
「うわ、ずいぶんあっさり」
右腕君はにっこり笑って、綱吉に頷いた。
「十代目は週休ゼロですからね。もちろん一ヶ月は厳しいですが一週間程度なら都合をつけます」
「自信満々だね……」
部下の仕事は誰かが肩代わりできなくもない。
急なことがあったって、その上司が対応すればいい話だ。
逆を返せば綱吉の仕事ができる人はいない。
「他のファミリーの幹部も休みますから。被っているところなら休暇をとっても問題ないでしょう」
「ナルホド」
そうか皆取るのか。
それなら自分がとっても問題あるまい。
そう思って綱吉は頷いた。
「うん、じゃあせっかくだからもらおうかな。でも、一週間はさすがに心配になると思うから、四日ぐらいで」
「わかりました。都合しておきます」
「うん……あ、あとさっきの休暇許可は守護者にも当てはまるからね? 隼人もどっかで取るんだよ?」
「え……でも、俺は」
「命令」
「はい……ありがとうざいます」
部屋を出て行った右腕を見送りながら、とは言えど、と綱吉はその時思った。
隼人は例えば山本あたりと一緒に休暇を取らして日本にもで行かせればいいものの、綱吉はどうしようか。
さすがに日本へ行くわけにはいくまい。ぶっちゃけ情勢は若干不安定だ。
なにかあった時のためにイタリア国内にはいたい。
足を伸ばしてもせいぜいスペイン・スイスだろう。
しかも一緒に行く相手に守護者を選ぶ……としたら隼人か山本かになる。
正直雲の守護者とバカンスなんてただの自殺志願だし、霧はクロームならともかくあの植物も確実についてくる。
雷と晴で二人きりはちときつい。
そもそも隼人と綱吉がセットで休むとボンゴレが大変なことになるし……
ふむ……
「あれ? なんでお前とバカンスになってんの? おかしくね?」
「不満か」
運転手は静かに返す。
いや不満とかそういう問題じゃないんだが……
「いや不満ってか不思議っていうか……」
隣の空気の温度が徐々に下がっていく。
これが下がりきると一気に沸騰して大爆発するのだ。それを知っている綱吉は慌てた。
「いやいや、嬉しいよ!? イタリア案内だってしてもらってるし! でもなんか、俺とお前がセットで休むのってまずいかなあって!」
あ、温度ちょっと上がった。
ホッと胸をなでおろすと運転者のほうへ視線を向けることにした。
「お前だって俺の運転者兼ガイド兼護衛とかヤだろ? せっかくの休みなのに」
「本邸にいたってテメェが仕事くれやしねーから関係ねーよ」
「……はは」
軽く笑って頬杖をつく。今度は前の風景を見ることにした。
視線を左側に向ける。林が見えた。いやあれは森か。
そちらを見るフリをしつつ、運転者を眺めた。
ハンドルを握る手はごつごつしていて指も長い。
手を合わせたことがあるが、関節分ぐらい違って軽くへこんだ。
暑いのでシャツを捲り上げているが、二の腕にはがっつり筋肉がついていて、そこにちらちら見える傷跡はむしろプラスだ。
横顔に視線を移すと、傷の残る顔は精悍と言う言葉が誰より似合う。
(……これはヤバいんじゃないか?)
思考の片隅で考えた。
バカンスの同行者がXANXUSだと知ったのは出発直前だった。
隼人に連れて行かれて助手席を開けられて、乗り込んだらXANXUSが車を発進させたのだ。
そこで綱吉は一気にテンションが上がった。同行者がXANXUSだったから。
けれども数時間して一気に冷や水を浴びせられた状態でテンションが下がった。
何で計ったようにXANXUSなのか? よりによってと言っていい。
真っ先に綱吉が思ったのは、隼人に気がつれたのでは、ということだった。
(いや……リボーンにだって悟られないようにしてんだ。まさかな……)
まさか、という思いと。
もしかして、という思いでせめぎあい、正直道中は全くこれっぽちも楽しめなかった。
これで休暇のつもりかよと優しい右腕に当たり散らしたくなって自分に自己嫌悪って不貞腐れ。
というコースをたどって今はこんな感じだ。
溜息をつくと、視線を向けられたのがわかる。
「どうした」
「いや、ちょっと疲れただけ」
「さっき寝とけばよかっただろうが」
高速に乗った時にXANXUSは寝ておけと簡潔に言ってくれたのだけど。
(……いやムリ。お前が隣に座った状況で寝るのはムリ)
運転してるのもカッコイイなーとか沸いた頭で考えていたぐらいだ。寝れるわけもない。
(あー……頑張れ俺。っつーか滞在中にヘンなコトしてくんなよXANXUS)
ちょぴり無駄かもしんない言葉を脳内だけでかけつつ、綱吉はまた窓へ視線を移す。
(セクハラで片付いてた頃はよかったなあ……)
遠い目で思わずそんなことを考えた。
XANXUSのセクハラ暦は結構長い。
明らかな嫌がらせとしてされていたそれは、罵声暴力には慣れっこだった綱吉を結構げんなりさせた。
おまけにあの手この手を変えてくるもんだから、家庭教師や雲の守護者の暴力には慣れっこになってしまった綱吉は、いつまでもげんなりしていたのだ。
それが何でか。いつかの時点から。
(なんでかねえ)
優しくしてもらった覚えはあんまりない。
セクハラは綱吉が嫌がって絶叫しだすと大体切り上げられていたが。それが数少ない優しさか。
(なんでかねえ……)
埒の明かない思考で、ちらりと横目でXANXUSを見る。
ヴォリュームを絞ったラジオからのジャズを背景に、XANXUSの視線が少し動いてぶつかった。
「なんだ?」
「いや、明るいなあとね?」
「夏だからな」
(あ、ダメだ。ときめいてる)
慌てて視線を逸らして、やっぱり窓へと向けた。
風景なんて見えないけれど、バクバクいう心臓の音が気取られそうで。
(……ヤバいって。うかつに喜ぶんじゃなかった……XANXUSに気がつかれたら終わる……!)
ドライバーがこの男だった時点で逃げ出すべきだったのだ。
もし、綱吉の気持ちにこの男が気がついたら。
(さすがにからかわないだろ、ヒくだろ……)
そう考えるだけで涙が浮かびそうだ。慌てて唇を噛み締める。
(いやいや、今までだって大丈夫だったんだ。へーきへーき)
うんうん、と自分を納得させた。
暗殺隊ヴァリアーのトップ様は鼻を鳴らしてアクセルを踏み込んだ。
風景が流れる速度は加速したが、体に振動をほとんど感じない。
「いやあ……運転上手いなあ。車のせいもあるだろうけど」
思考を切り替えるためにどうでもいい話題を向ける。
「値段の検討はつくのか」
からかい混じりに聞かれて肩をすくめた。
……たぶん想像を絶する高級車だろう。中全部革張りだし。
そう思ってため息をつくと、馬鹿にしたような視線を向けられた。
「テメーは乗れんのかガキ」
「戦車も乗り回せますケド」
忘れないぞあの青のアルコバレーノ。
「でもまあ……下手かな」
「モテねぇぞ」
くつくつと笑われて口を尖らせる。
「いいよ別に。というか女性を助手席に乗せるとかめったにないし……っつーかイタリアの男が運転上手なのはそれ!?」
「イタリアの男は基本それだろ」
さらっと言われた。こういうところでこの男はイタリア人だなあと思う。
イタリアはアモーレの国である。
男も女も凄いと思う。いや恋愛だけじゃなくて家族愛とか地域愛とかも。
とにかく愛に溢れた国なのだ。いや、日本だってそうだったとは思うけれども。
(さらっと言うもんなあ……)
真顔で噴出しそうなことを言う。そしてそれが普通。
(こっちは恥ずかしくて死ぬかと思うのに……)
そしてそれは隣でハンドルを握っているXANXUSも例外じゃない。
正直、日本人の中でも輪をかけて照れ屋で奥手な綱吉にしてみればうらやましい……も通り越していそうだが。
やめてほしい、とはたまに思う。
「見えてきたぞ」
言われて視線を前にあげると、小高い丘が見えた。
上には教会が立っている。
とてものどかな風景の中を延々と走ってきて、行く先はやはりのどかなところだった。
抗争から離れられるのは素晴らしい……がちょっと懸念もある。
「ウチのシマ?」
バカンスとかいいつつ問題ごとの始末に来たんじゃないだろうな、という懸念をはらんだ質問だったのだが、XANXUSにあっさり否定された。
「マフィアはいねぇよ」
「え、そなの?」
「田舎だからな」
マフィアはイタリアの隅々まで居座っていると思っていたのに。
ちょっぴり意外な言葉に首をかしげた。
「ホント?」
「定期的に回りに来るだけだ。ド小せえ町だからな」
「ナルホド」
あまりにも小さい町にマフィアを養うだけの闇はないだろう。
それこそ町というより村、そんなところなのだろうと察せられた。