<子どもの喧嘩>
執務室としてあがわれた部屋は広すぎて落ち着かない。
ヨーロッパはどうしてこうも部屋から家から庭からして広いのだろう、狭いところで暮らしてきた日本人には逆に窮屈に思えてしまう。
「うー……」
ペンを放して手首をぶらぶらと振りながら綱吉は意味もなく声をあげた。
反応してくれる人は誰もいない。
皆が忙しいのは分かっているのだが、ほんの一年前までは喧しい中で暮らしていたからちょっぴり寂しい。
こんなに広い部屋が初めてなら、こんなに長い時間一人きりの時間を過ごした時間も久しぶりなんじゃないか。
机の上には沢山の白い紙。
それに目を通してサインするだけの単調な仕事だけれど、この紙一枚で物凄い額の金額と人員が動くから気は抜けない。
なにより全てイタリア語で書かれているから結構大変だ。
最初の頃はそれこそ辞書と獄寺(翻訳機代わり)が手放せなかった。
今でも引き出しの中には辞書をしのばせて、ぱらぱらめくっているのだから。
ボスの座について一年あまり。
イタリアにも仕事にも慣れてきたけれど、緊張がほぐれた分息抜きしたいなぁと思う事も増えてきて。
けれど先日屋敷を抜け出して丁度滞在していたリボーン直々のお説教(という名の殺害未遂)を喰らったばかりなのでちょっと自粛したい。
Pululul…
内線電話が鳴って綱吉は何だろうとディスプレイを見て、受話器を取った。
「どうしたの隼人」
『十代目、お忙しいところ申し訳ありません……』
電話の向こうの声は憔悴しきった様子で、綱吉は眉を寄せる。
仕事の話なら直接足を向けてくるのにどうしたのか。
体調でも悪いのだろうか?
獄寺君は無茶するからこれを機会に休んでもらうのも手だよなぁ、などという綱吉の心配は、別の方向で的中した。
『……その、雲雀と骸が、ですね』
その言葉に綱吉は反射的に受話器を置いた。
がちゃん、と一方的に通話を終了させてしまってから獄寺に悪い事をしたかなと思ったが、体が反応してしまったのだから仕方がない。
あの二人の名前が並べられた時点でいいニュースであるはずがない。
Pululul… Pululul…
再び電話が鳴る。
さっきより倍以上の時間を掛けて、それでも最終的には嫌々ながらも受話器を取った。
『……十代目』
「ごめん、反射的に」
『そのお気持ちは分かりますが……十代目でないと止められないのでお願いします』
「……ハイ」
あぁ、やっぱりどこかで喧嘩してやがるのかあいつら。
びりびりと今になって超直感が危険を訴えている。
遅い、遅すぎるよ俺のシックスセンス。
盛大な溜息を吐いてあの二人の居場所を聞いてひとつ指示を出すと、綱吉は受話器を置いて「27」と書かれた毛糸の手袋を引っつかむと部屋を駆け出た。
息抜きをしたいとか単調な作業は飽きたなぁなんて思ってごめんなさい。
これからは真面目に取り組みます。
こんな形での息抜きなんていりません。
庭は見るも無残な有様だった。
木が数本折れてるは地面はところどころ抉れているわ建物の壁の一部が欠けているわ。
二人とも打撃系の武器だというのにどうして被害がでかいんだ。
ああ、また地面が抉れて芝生が宙を舞っている。
被害地を囲むように黄色と黒のロープが張られ、「立入禁止」とイタリア語で手書された紙がぶら下がっていた。
そろそろ立て札とかも作ったほうがいいのだろうか。
「ようツナ」
「お疲れ山本。……最近は暑いから氷漬けなんて涼しくていいと思うんだ」
死ぬ気の炎を額に灯して綱吉は薄い笑いを浮かべる。
目は笑ってない。
「ていうかなんであの二人戦ってるの?」
「さぁ? 俺らが見つけた時はもう始めてたからな」
「そう……まぁ理由は直接本人たちに聞くよ」
よいせっとロープをくぐった綱吉を、山本が苦笑を浮かべながらエールを送った。
まだ幻覚が出ていないだけマシだと思おうか。
妥協点を微妙に間違えつつ、ある程度まで近づいた綱吉は大声を張り上げた。
「二人ともちょっとストップー!」
「ああっ! 綱吉君聞いてくださいよっ!!」
綱吉に気付いた骸が返事を返してくる。
返事はあったが、二人とも手を止める気はないらしく、武器同士がかち合う音は一向に消えない。
「酷いんですよこの鳥!」
「誰が鳥だって」
「雲雀さん反応しないでください! 骸もそうやって挑発しないで! 何があったわけ?!」
「酷いんです、せっかく僕が楽しみにしていたケーキを食べちゃったんですよ!」
「…………」
なんつった今。
ケーキを食べた?
「ケーキのひとつで大人気ない」
「なかなか手に入らない一品なんですよ! それをちょっと目を離した隙に!!」
…………。
それが理由か。
これだけ盛大にドンパチやった理由がケーキ。
その場に崩れ落ちたい衝動を堪えて、綱吉は肺が空っぽになるまで息を吐き出した。
「分かったよ……明日買っておいてやるから」
「本当ですか?」
「そこって「ミランダ」だろ?」
「そうですよ! さすが綱吉君、よく知ってます」
「この間行ったばかりだからね……」
先日のサボりの際にそこのケーキを食べてきたのだ。
確かにあれは美味しかった。
美味しかったが、それで建物を壊されたり庭を破壊されたりするのは遠慮願いたい。
「買ってやるから武器しまって」
これではまるで子どもを宥めすかせる母親ではないか。
それでもそれで満足したらしく、骸は大人しく武器を引いた。
雲雀も今回は売られた喧嘩をただ買っただけだったようで、不満そうにしながらも退いてくれた。
「雲雀さんも食べますか? 何がいいです?」
「……タルト」
ぼそ、と呟いてくるりと踵を返してどこかへ消えてしまう。
骸も楽しみにしていますねっ、と言い残して行ってしまった。
残ったのはズタボロになった庭の跡地。
「…………はぁ」
「大変だな、ツナ」
「十代目、これ頼まれていたものですが」
「ああ、ありがとう隼人」
獄寺から紙を受け取って綱吉は軽い眩暈に眉間を指で押さえた。
今回の被害総額を早めに見積もってほしいと頼んでおいたのだが、その早さはさすがというべきか。
紙面に目を通して、綱吉は頬を引き攣らせた。
ああ、見たくなかったこんなもの。
明日までにきっちり書類にしておいてほしいと頼んで、綱吉は「ミランダ」に明日のケーキを予約するべくその場を後にした。
次の日、ご所望のケーキを食べた二人に「ケーキ代」と称した先日の被害金額と後処理の書類が折半の上で届けられたとか。
***
ものすごくくだらない事で日々争えばいいと思う。