<次世代の葛藤:陽菜>

 

 

部屋に彼しかいない事を確かめて、家継は扉を閉める。
珍しく部屋の中で大人しく座っていた悠斗は顔を上げると、よぉと手を上げた。
「どーした、家継?」
机の上を見るに書きかけのプリントが散在している。
学校の宿題だろうかと思いながら覗き込むと、それは彼の母親手製の反省文シートだった。
・・・自分の知らないところで何をやらかしたのかこいつ。

「いや、陽菜がさ。どうすればでてきてくれるかなって」
心配なんだよ、と顔を曇らせた友人に悠斗は肩を竦める。
「ほっとけばでてくるだろ。腹も減るし」
「お前じゃあるまいし。少しは心配しろよ、妹だろ」
別に、と悠斗はしれっと返して書き込まれた反省文シートをまとめた。
半分ぐらいしか埋まってないのだがいいのだろうか。
「別にって・・・尋常じゃないだろ、陽菜は聞き分けイイ子だし・・・なんか泣いてるみたいだったし」
彼女がムチャをやらかして大人たちに怒られたのを見たことはほとんどない。
兄の悠斗は日常茶飯事というかそれが常だったりするが。
あと父親の武を含め、母親のはやと以外の大多数はすでに諦めているっぽいが。

兄に似ず、「いいこ」の陽菜が両親の言葉にもかかわらず頑なに閉じこもってでてこないのは妙な話なのだ。
家継では話を聞き出せなかった。
きっと陽菜は泣いている、それは親から強く受け継いだ超直感が教えてくれなくても分かる。
「俺じゃだめだったから・・・兄貴のお前なら話すかもしれないし」
話にいってやってくれという思いをこめてそう言うと、悠斗は目を丸くした。
「生理じゃねーの?」
「・・・・・・もういい、金輪際お前に相談はしない」
据わった目で呟いた家継に、どーしたんだ? と不思議そうな顔をされ、もういっそ床に座り込んでしまいたいと頭の片隅で思った家継だった。










背中を預けて戦える大親友の悠斗が実は心の機微にまったく無頓着という事実を今更ながら再認識し、ある意味傷心の家継は次に頼る相手を諮りかねていた。
兄の悠斗がだめだったら、次に陽菜に近しい相手は誰になるのか。
やはりここは姉貴分のみつばだろうが、彼女は時に弟の家継もぎょっとする事を平気で言うのですこーしだけ問題な気もしなくもない。
だからと言って葵に持っていくのはできないし、となれば残るは・・・

「家継、廊下をぼうっと歩くなよ」
真横から声をかけられて、慌てて振り返ると呆れたような顔で笑っている夜鷹がいた。
「夜鷹! ちょうどよかった! 相談!」
「は?」
きょとんとした夜鷹を適当な部屋に引っ張り込んで、ばたんと扉を閉める。
どうしたんだと言いたげな彼に、手早く事情を説明した。


「で、悠斗は役に立たないし、陽菜はどうしたのかなって」
「僕はなんとも・・・思春期ってそういうものだろ?」
「・・・夜鷹だって思春期だろ」
家継の突っ込みに、夜鷹は視線をそらす。
思い当たる節があったらしい。
「まあ・・・いきなりそうなったんだから原因はあるだろうけど、あくまで引き金じゃないか。陽菜はヒステリー起こして閉じこもるタイプじゃないし、前々から考えてたことじゃないかと・・・」
無難な推理をされて、家継はううーんと唸る。

喧嘩っ早く気の強い葵や、すぐに色々暴走気味になる悠斗がいたりして、真面目で冷静な陽菜は家継としても「手のかからない妹分」だった。
その二人に比べたら明らかに彼女へ割く注意力は少ないだろう。
だからというわけではなかったけれど、原因については思い当たる節がない。

「僕より適正がいるだろ、そっちにいけよ」
「誰だよ」
「はやとさんとか。母親だし大人だし、僕らじゃ見えないものが見えてるはずだ」
「・・・うーん」

はやとは家継にとって少し特別な大人だった。
母としてもボスとしても尊敬する母親の右腕。
小さい頃は悠斗と一緒にしょっちゅう怒られて、少し怖い人だった。
けれど本当は自分たちを気遣ってくれて、その一方で母親の事も気遣って、ファミリーの事も気遣っている凄い人だってわかっている。

だからこれ以上心配をかけたくなかった。
陽菜のことはとっくに知ってわけだし、すでに一度か二度説得をしていただろうし、仕事の最中に割り込むのは申し訳ないわけで。

「一度話したみたいだし、仕事中を邪魔するのは・・・」
「そんなことは気にしないだろ。僕の母さんですら子供の事はそこそこ優先してくれる」
恭弥を母に持つ夜鷹の言葉は結構な説得力があって、家継は腕を組んでむむむと唸る。
「やっぱり、心配してるよな・・・」
娘が部屋に立てこもって出てこないのだ。
いざとなればブチ破ればいいが、内心は心配しているだろう。
「わかった、聞いてくる。ありがとな夜鷹」

心を決めたのか部屋を飛び出していった家継に頑張れよーと手を振ってから、夜鷹は空を見つめてはあと溜息をついた。
そして重い足取りで、呼び出しを喰らった部屋へと向かった。











扉の外に気配を感じて、はやとは話をやめた。
書類を手にきょとんとしたつなに警戒するように目で促すと、扉の傍へよる。
とんとんという静かなノック音に扉を押し開いた。

「・・・家継」
どうしたんだ、と目を丸くしたはやとから奥にいたつなに視線を向け、家継はぺこと頭を下げる。
「ゴメン、少しはやとさんを貸して」
「うん、いいよ」
快諾したつなに手を振って送り出され、はやとはわけがわからず、ずんずんと歩いていく家継を呼び止める。
「どうしたんだ」
「陽菜、どうしたんだよ」
「ああ・・・手間をかけたな。悪ぃ」
「そうじゃなくて! ・・・俺じゃ話してくれなかったから・・・」

俺じゃ力になれなかったから、と項垂れた家継にはやとは目を細めた。
あの人として若干だめな父親によく似た容貌でどうしようとか昔は思っていたが、中身は母親そっくりになってくれて喜ばしい限りだ。
あの母親と同じ、彼の優しさは誰にでも深い。
誰の事でも自分と同じように考えて、いつかおぼれてしまうかもしれない。

「話を聞いてみる」
「あ、ありがと!」
パッと顔を輝かせるその仕草は、つなと変わらない。
もう自分と並ぶほどの高さにある頭をぐしゃぐしゃと撫でて、はやとは娘の立てこもる部屋に向かうことにする。
心配そうな視線を背中に感じて、振り返ってあっちいけと手を振った。
「十代目がお話があるそうだ」
「え、そなの? わかった」

母さんなにー? と声をかけつつ部屋の中に入っていった家継に背を向けて、はやとは少しだけ歩調を速める。

陽菜の様子がおかしいのは昨晩からだ。
原因について思い当たる節がまったくないとは言わないが、今までにないことだから動揺はしている。
一人だと仕事にならないからなにかに付け十代目のそばで仕事をしていたのに。

「陽菜」
ノックとともに呼びかけても、気配はあったが返事はない。
ため息をついてもう一度叩いた。
「陽菜、開けろ」
「・・・・・・」
無言の娘に、はやとは扉をもう一度叩いた。

「何があった」
「・・・・・・」
「誰かになにか言われたのか」
抽象的な話から切り込むと、ひっくと小さい泣き声がする。
「陽菜」
ヤンチャばかりの兄と比べて真面目な妹。
はやと自身、陽菜を最後に怒ったのがいつか分からないぐらい、よくできた子だ。
だからこそストレスが爆発してしまったのかもしれないね、と今朝方つなが言っていた。
「陽菜、もう昼だ。訓練の時間だ、いいのか」
「・・・いいッ!」

か細いけれどしっかりとした意思を感じる声に眉を顰める。
陽菜は人一倍の努力家で、訓練をサボった事なんてない。
「陽菜・・・どうした? 訓練は毎日の積み重ねがだい――」

「だってやったって陽菜はダメなんだもん!!」

それまでと打って変わった悲鳴に近い声が響いた。
「陽菜・・・」
「がんばったもん! 陽菜はがんばったもん! 毎日毎日、お兄ちゃんの何倍も葵の何倍も頑張った! だけど、だけど、だけど陽菜はダメなんだもん!」
「ひ――」
「銃も剣も組み手も幻術も頑張った、だけど陽菜は全部ダメ!」
うわああああん、と泣き声が響いて、はやとは扉の前に立ちつくす。

たしかに、陽菜の武力は戦力外とまではいかなくとも、ボンゴレ幹部としては論外だった。
先日の十一代目の守護者候補選出会議でも、悠斗は推したが陽菜ははやと自ら却下した。
つなは、俺も十四からマトモに戦いだしたし、まだまだわからないよねとやんわり言ってくれたが、山本と話し合い自分たちの娘にはその資質がない事を了解していた。
やっていなくてできないのと、懸命にやってできないのとは違う。

けれど陽菜の戦闘力はマフィアとして論外なわけではなかったし、彼女自身にそんなことを面と向かって言ったことはない。
――つまり。

「聞いたのか」
「うっく・・・」
「陽菜、確かにお前は武術に向いてない」
「っ!」
息を呑んだのが分かった。
きっと絶望に胸を押しつぶされるような気分なのだ。
「向いていなくても、他にいくらでも優れていることはあるだろ」
「それじゃダメなの!」
ダメなの! とまた悲鳴に近い叫び声になって、扉の向こうの陽菜が泣いている様子が容易に想像できた。
扉をムリに押し開けるのは可能だけれど、この扉一枚が彼女を守るものなのだ。
そう思うと、昔の自分が少しだけだけれど重なった。

「・・・陽菜、父さんと母さんと戦ったらどっちが強いと思う?」
「・・・・・・・・・とう、さん」
ためらいはあったが、陽菜は正しい答えを口にする。
おそらく他の誰に聞いてもそう答えるのだろう――十代目以外は。
「右腕はボスを守るために誰より強くなくてはいけない。だから母さんも必死に修行した。けれど敵わなかった」
わずか一週間で古武術を会得し、戦いながらなおも目覚しく成長する山本。
彼の天性の戦闘センスに張り合える人物は少ない。
そしてはやとはその人物ではなかったのだ。
「だけど諦めなかった。武術以外で十代目を支えようと思った。父さんはあの通り大雑把だから、細かい仕事は全部母さんがやってる。昔も、今も、これからも」
見方を変えればやれる事はいくらでもある。
陽菜は小さいけれど冷静で頭も回る、知識も豊富だ。

そう言おうと思ったのに、彼女はまた泣きそうな声で叫んだ。

「でも母さんは守護者だもん!!」
「守護者じゃなくたって、誰もお前を――」
「母さんにはわからないのよ! ずっとつなさんのそばにいるくせに、その場所を誰かにとられたことがあるの!? おいていかれちゃったことがあるの!? そばにいられなくなったことがあるの!?」
「十代目も、家継もそんなことは――・・・」

「ファミリーは嫌なの!!」

ダンッと音と振動がした。
陽菜が中から扉を叩いたのだろう。
「母さんの、その指輪がほしいの! 証がほしいの!」
陽菜、とはやとは掠れた声で呟くしかなかった。
そんなにこの子が追い詰められているとは思ってもいなかった。

つなの隣にいるのははやとにとっては自然で、けれど当たり前のことではなかった。
その座を得るのに毎日必死で、ある日いらないと言われやしないかとびくびくしていた時期だってある。
けれどつなはずっとはやとを右腕として、親友として隣においていてくれた。
小中高の間でつなにとってはやとは特別な存在で、友人ではなかった、ただのファミリーでもなかった。
だから陽菜の叫びには否としかいえない。
その座を取られた事も、おいていかれた事も、傍にいられなくなった事もない。

「・・・い、いまよりずっと頑張るから、もっと頑張るから、ラル・ミルチさんとかにも訓練つけてもらうから・・・お願い・・・お願い、守護者候補にしてください・・・」
泣き声で震えるのを必死に制御しようとしながら、陽菜は扉の向こうですすり泣く。
「おねがい・・・もっと頑張るから。いまよりもっと強くなるから、どんな修行も、する、からっ・・・」
資質がないなんていわないで。
陽菜だってあの両親の娘なのだから、きっとやればできる、今まで自分にそう言い聞かせていた。
実力が劣っているのは分かっている。
努力でカバーできないぐらいに差があるのも分かってる。
でも。

「お願い・・・母さん・・・お願い」
「・・・だめだ」
静かな声。
静かな否定。
「お前は武術に向いてない。知っているなら言う、お前は守護者候補じゃない」
「なん、でっ、なんで葵が候補で、陽菜が、だめ、なのっ」
「どれだけ努力しても葵には敵わないと判断した」
「・・・だ、だって、お兄ちゃんがどれだけ修行したって、いうの。ぜんぜんなんにも、銃だって陽菜のほうが、あたる、し」
言いながらむなしいことを言っていると自覚した。
悠斗の強さは訓練では測れない。
実戦で一番力を発揮するタイプなのだ。
静止した的を静止したまま狙うのは誰にだってできる。

黙って陽菜は泣いた。
敵わない事を思い知らされて。
母にも否定されて。
「陽菜、守護者にならなくとも家継を支える事はできる」
「・・・・・・」
「家継には参謀が必要だ。お前ならきっとなれる――その気があるならスカルに連絡を取ってみろ、何か教えてくれるだろ」
じゃあ仕事に戻ってるから、きちんと訓練にはでるんだぞ。
そういい残して、扉の前からはやとは立ち去る。
足音が聞こえなくなるまで陽菜はずっと蹲っていて、完全にそれが途絶えてからゆっくりと顔を起こして。


「・・・さん、ぼう」
後衛で戦っている家継を支える係。
一緒には戦えない、隣にはいられない。
だけど彼の力にはなれるかもしれない、強いファミリーには強い参謀が必要だ。
「・・・・・・」

彼の隣に立つ未来を諦める。
それにはもう少しだけ泣く必要があった。
けれど、きっと今度は立ち上がれる。



 

 


***
なんか続きそうだけどもういいかな(ぉい