「恭弥、僕はいつ君の実家に行けばいいんでしょう?」
会話に脈絡なく真顔でそんなことを言われて、うっとうしそうに恭弥は目を閉じた。
「どうでもいいよ」
「よくありません! こ、婚姻書には保護者の了承が必要なんです!」
「……僕が未成年っていつ言った?」
薄目を開けて見られて、え? と骸は返答に詰まった。
出会った時に中学生だったから、現在も未成年だと思っていたのだけど。
「ちがう、のですか?」
「違わないけど」
面倒だから別にいいよ、と言われて骸は首を横に振った。
「いけません、僕は恭弥の夫として子供の父として、恭弥のお父さんにご挨拶する義務があります!」
目を輝かせてそういった骸に、ああそうと恭弥は返した。
要は自分がそれをやりたいだけだろうが。
「じゃあ明日」
「は、はい!」
あ、手土産は何がいいですか? と聞いてきた骸に、パイナップルでも用意しておけば、と返して恭弥はまるで興味がないように背を向ける。
「それでお昼はどうしましょう」
「素麺。あと焼き茄子」
「はい」
じゅーと料理する音が聞こえてくる中、恭弥はヒバードの毛並みを整える作業を再開した。
翌朝、マンションの前につけられた黒塗りベンツを見て骸は並盛饅頭(恭弥の親ならばこれでOKなのではないかという常識的(?)判断)を片手に固まった。
「何してるの」
「え、あの……まあ、いいです」
喉まで出かかった質問を飲み込んで、促されるままに後部座席に乗り込んだ骸は、スーツはもっといいものを着ておくべきだったのだろうかとか考えた。
いやでも、横の雲雀はいつも通りの服装だし。
というか風紀委員の腕章ぐらいは外してきてもいいと思う。
「恭弥の実家はこのあたりではないんですね」
「どうでもいいでしょ」
きぱっと返すと、恭弥は骸の肩に頭を乗せる。
「きょ、恭弥……?」
「きもちわるい」
「あ、ええと、袋ありますよ」
「しゃべるな、揺れる」
荷物をあさっていた骸をそういって制し、恭弥は小さく溜息をつく。
よく見ればそれほど顔色はよくないし、いつもの覇気も普段より劣るかもしれない。
近頃はだいぶ落ち着いてきていたはずなのだが……。
心配になった骸は恭弥の肩を抱き寄せると、耳元にそっとささやいた。
「大丈夫ですか、体調が悪いなら……」
「うるさい」
ぴしゃりと切り捨てて、恭弥は目を開く。
「咬み殺すよ」
「無理はしないでくださいね」
心配そうに言った骸に、してないよと毒づいて恭弥は再び目を閉じる。
しばらくするとすうすうと寝息を立てて本当に寝入ったので、珍しいと骸は目を細めた。
恭弥は神経質で、些細な物音で目を覚ます。
電車を含め乗り物の中で寝たのを見たのは初めてだ。
今日はそれほど体調が悪いのか、それとも昨晩一度起きたのが響いているのか。
どちらにせよ心配だと、車の振動から少しでも守れるように抱き寄せる。
運転席には草壁が座っているのは知っていたが、間にある壁のせいで喋る事もままならない。
声を出してしまうと恭弥を起こす可能性もあったし、結局骸は車の外を流れていく景色を見ながら現在位置を推定するしかなかった。
車は並盛町を出て、いくつかの町を通り抜け、だいぶ大きな、けれど旧市街といった印象の町並みへと入っていく。
くねくねとした路地をいくつか曲がって、すっと車が止まった。
「……恭弥、着いたようですよ」
小声で言いながら体を揺らすと、恭弥は目を開けた。
そのままぞんざいに骸を押しやり、先に車から外に出る。
後を追って外に出た骸は、思わず上を見上げた。
広めの道路。
それに面するようにデデンとたっている日本家屋。
……というか屋敷。
これは日本の本で見るような「屋敷」だ。
ぐるりと敷地は高い塀に囲まれ、正面には立派に門があったりするのだがこれはいったい。
「きょ、恭弥はやっぱりお金持ちだったんですね……」
「何その小市民的感想」
ざっくりと切り捨てて、恭弥は草壁に顎で門を開けるように指図する。
すると、門から玄関にずらりと並んだ強面の男達が一斉に恭弥に向けて礼をした。
「お嬢、おかえんなさいませぇ!!」
「!? 執事喫茶ですか、トレンディですね!」
驚いている骸を放置して、恭弥はずんずんと中へ入っていく。
「……群れてると咬み殺すよ」
ボソッと言ったその一言に礼をしていた男たちは散会する。
しかしその光景を骸はしっかり見てしまったわけだった。
「あの……恭弥、もしかして恭弥ってジャパニー「遅い」
すでに玄関の中に入っていた恭弥にせかされ、骸も慌てて後を追った。
あたふたしながら靴を脱いで、恭弥に追いつきながら廊下を歩く。
長い廊下が終わるところで、恭弥は無言でふすまを開けた。
「恭弥……久しいな」
広々とした和室に左右に黒服の男たちを何人か従えて座っていたのは、強面の壮年の男性だった。
威厳というか貫禄を醸し出し、和服を着、堂々とそこに座っている。
その男を見下ろして、恭弥は鼻を鳴らした。
「ワォ、まだ生きてたの」
「父親に向かって相変わらずだな、お前は。今日はどうした。お前が家に帰るなど珍しい。二年ぶりか」
「三年。カレンダー捲ってるの」
「……ど、どうしたんだ今日は?」
「僕は別に。これが用があるって」
その言葉と同時に、いきなり襟首をつかまれて畳の上に投げ出される。
受身を取りつつ並盛饅頭を必死で死守しようと手を伸ばすと、ぱしっと饅頭のほうは恭弥が捕らえていた。
……そうですよね、饅頭は大事ですよね。
「なんだ、貴様は」
ドスの効いた声だった。
そこらへんのチンピラならがたがた震えだすだろう声。
普通の人間ならば、ここで空気に飲まれて震えるなり怖気づくなりするところだが、いかんせん骸は裏の世界にどっぷりと浸かっている挙句、殺気も恭弥からの視線で慣れている。
「初めまして、六道骸と申します」
骸は綺麗に手をついて、深々とお辞儀をした。
そして息を深く吸い込み、よく通る声で告げた。
「娘さんを僕にください!」
「…………は」
「おなかの子も大事にします!」
「……………………」
「おやっさん!!」
「おやっさんが倒れたぞー!!」
「おい水だ! 氷嚢を用意しろ!!」
ばたりと正座の姿勢のまま横に倒れた恭弥の父親に、控えていた男達が騒ぎだす。
あれ、と目を瞬かせている骸の隣で、不甲斐ないと恭弥がぼそりと呟いていた。
十分後。
なんとか正気に戻った恭弥の父親は、頭に氷を入れた袋を乗せながら、押し殺した声で尋ねた。
「……六道君、だったかね」
「はい」
「娘を嫁にほしいと? あ、あまつさえ……おなかの子というのは」
「僕と恭弥の子です!」
「……恭弥! どういうことだ! うちを継ぐ気になったのか!?」
「そんなわけないでしょ。コレがどうしても挨拶したいっていうから仕方なしに連れてきただけだよ。それに僕はイタリアに行くって言ったでしょ、何度言えばわかるの」
「ちょっと待て、初耳だ!」
「おやっさん、血圧上がりますから落ち着いてください!」
ぎりぎりと歯軋りする父を、付き従っている男性が懸命に宥めている。
いきなりどこの馬の骨ともしれない男がやってきた挙句、子供ができたと言い、しかも娘からイタリアに飛ぶとか聞かされたら落ち着いている方がおかしい。
しかも未成年なのでいくらか反対にあうつもりではあったが、まさか。
「恭弥……言ってなかったんですか」
「僕の人生だものどうだっていいでしょ」
恭弥の唯我独尊っぷりは、父親相手でも変わらないらしい。
父親は深呼吸を繰り返して、それからキッと骸を見据えた。
それを正面から受けて綺麗に流しているのに少し面食らいつつも、父は言った。
「私は君のようなどこのヘタともしれない男に娘をやる気はない」
「……ヘタ、ですか」
馬じゃなくてヘタと言われるあたりが悲しい……いやここはあえてそこは流そう。
「どうしてですか! それに子供だっているんですよ!!」
「子供は我が一家が責任もって育てる! 大事な娘をなんか得体のしれない男にやれるものか!!」
まあ、得体が知れないのはあながち間違っていないので反論はしない。
「……ごちゃごちゃうるさいよ」
くぁ、と欠伸交じりに呟いた恭弥に、父親と骸の視線が向いた。
至極面倒そうに立ち上がった恭弥は、二人を見下ろして言う。
「僕昔言ったよね。僕より強い男じゃないと嫌だって」
「そうですね」
「父さんも昔、自分より強い男じゃないと嫁にはやらんとか抜かしてたよね」
「……あ、ああ」
「この屋敷にいる全員、噛み殺しておいでよ。それができたなら父さんも文句ないでしょう」
そうとだけ言って、恭弥は口元だけに笑みを浮かべた。
「草壁。結果はあとで報告するように」
「は、はい」
「……六道君、というわけだ。相違はないね」
「ありませんとも」
父が懐から扇を出して、柱を叩く。
それと同時にどこに控えていたのか、大勢の男が襖を開けてそこに立っていた。
「この屋敷にいる者達を全員倒せたら恭弥との交際を認めてやろう!」
「お嬢を嫁になんてやるもんかー!」
「そんなヘタ、俺達はみとめねーぞー!!」
「……クフフ、恭弥が望むのであれば、たとえ義父さんでも容赦はしませんよ」
ゆらりと立ち上がった骸の背後に蓮が見えて、草壁は壁にはりついた。
「…………で?」
「そんなの僕の圧勝に決まってるじゃないですか!」
「一般人に幻覚使ってくるんじゃねぇぇぇぇぇぇ!!!!」
すぱこーん、と持っていた定規で骸の頭をはったおして、つなは痛む頭を押さえて溜息を吐いた。
恭弥と骸がこれで結婚できるのは喜ばしいが、なんていうかもうちょっと穏便に話し合いとか説得とかで終わらせてほしかった、切実に。
煽った恭弥も恭弥だが、それに乗った父親も父親だが、それに全力をかけて幻覚の大盤振る舞いをした骸が一番どうなんだ。
「あ、でも恭弥の身内ですからね、精神異常になるまではやっていませんよ!」
「当たり前だ!!」
胸を張って言う骸をもう一度張り倒して、申し訳なさにつなは頭を抱えた。
イタリアに行く前に一度ご挨拶に行こう、菓子折りを持って。
<娘婿はパイナップル>
***
どんまい恭弥パパ。