<甘い宣言>
「やぁ」
「…………」
「これ手土産ね」
いきなりやってきた恭弥に、はやとはこれは夢だと思った。
いまだかつて恭弥が人のところに訪ねてきたことがあっただろうか。
しかも挨拶をしている。
手土産まで持ってきている。
これは夢だ、そうでないなら明日は槍が降るに違いない。
玄関を開けた姿勢でフリーズしたはやとに、トーンの下がった声で恭弥は声をかける。
待たされる事を良しとしない彼女は、今流行だとこの間つなが話していたケーキ店の箱を差し出したまま、不機嫌なオーラを漂わせ出した。
「いつまで僕を立たせておくの」
「あ、わ、わりぃ」
夢でもなんでも、ここでトンファーを出されては困る。
慌てて体をドアに寄せて人の通れる隙間を作ると、恭弥は邪魔するよ、とさっさと室内に入っていく。
「緑茶ね」
短い廊下を通ってリビングに足を踏み入れつつ恭弥が言う。
その傲岸不遜な態度にいつもの恭弥だと納得しつつも、それでも急に何の用事だろうとはやとは困惑した。
出会った当初はともかく、今となっては別に犬猿の仲ではない。
つなと三人であればそれなりに会話もできるしお茶をした事も何度かある。
しかし、用もないのにわざわざ互いの家を行き来するような仲ではなかったはずだ。
大体どうして恭弥がこの住所を知っていたのか。
……愚問だった、生徒のプライバシーなど風紀委員会には筒抜けだ。
「ケーキに緑茶かよ」
それでもこれで紅茶やコーヒーでも出した日にはトンファーを出される気がしたので、溜息ひとつではやとはリクエストどおりのものを出す事にした。
はやとはそれほど日本茶を飲まないが、時折ここを訪れる人物が日本茶を好むので、茶葉は備えてある。
急須と湯飲みを用意して、沸かしてあった湯を注ぐ。
しばし蒸らして注げば、薄く色づいた茶が湯飲みを満たした。
トレイに乗せてリビングにいけば、恭弥はすでにソファに腰かけていた。
机には恭弥が持参してきた手土産が広げられている。
ケーキ店の入れ物に入っていたが、中身はケーキではなく、細長い筒に入ったムースだった。
恭弥の前にあるのは和風なのか、緑色のスポンジに、白と茶色の層が重ねられている。
はやとの方は白と薄い黄色とオレンジの層だ。
お茶とお茶受けは用意された。
しかし話題がはやとには用意できていなかった。
もともとつなを間に挟んでの会話はあるものの、お互い共通の話題というものがないので、二人きりという状況になった事自体が稀なのだ。
それに、はやとはつなしか目に入っていないから友好の輪を広げようというタイプではないし、恭弥は言わずもがな、群れるのを嫌うので友達百人なんて夢のまた夢。
例外的に恭弥が傍にいる事を許しているのは、ふっくらした黄色い鳥と腹心の部下である草壁、そしてたぶん追い払っても雑草のようにしぶとくつきまとう骸くらいか。
そんなわけで、はやとから振る話題はない。
あとは恭弥が何の用件で来たのかを尋ねるくらいか。
はやとの分のムースはりんごを主体としたもののようで、ところどころにコンポートの細切れも混ざっていてあっさりした甘さだった。
話題なだけはあって確かに美味しい。
美味しいが、この沈黙がいたたまれない。
食べ終わるまで話さないつもりだろうか……それとも本当に、何の用もなくやってきたのか。
はやとの葛藤虚しく、恭弥は本当に食べ終わるまで無言だった。
そして食べ終わると、はやとが食べ終わるのを待たずに唐突に切り出した。
「こども好き?」
底にあった小豆の粒まで綺麗に食べきって、器を机に置いて、口元を拭いて恭弥は言った。
まだ三分の一ほど残っていたムースをすくって口に運ぶ途中だったはやとはいきなりな話題に手を止めた。
スプーンに乗っかっていた大きめのりんごの欠片が器の中にぽしゃりと落ちた。
こども。
というと子供だろう。
その単語が恭弥の口から出たことがまず最初に驚いた。
ああいう思い通りにならない、理屈とは正反対の動きばかりをするものを恭弥は何よりも嫌うと思っていたから。
しかもそれを好きかとまで聞いてくる。
今日は本当に理解の追いつかない事ばかりだなとはやとが現実逃避気味に思っていると、恭弥は何を思ったのか目を伏せて妙にいたたまれない顔をした。
そんな顔を見るのも初めての事で、そろそろ処理容量の限界が近いなと思いながらはやとは気を落ち着かせるために緑茶を一気に飲み干した。
少し温くなったそれはほのかな苦みを感じさせて、甘さに慣れた舌と脳に刺激を与える。
「別に嫌いじゃない」
「そう」
「……どっちかっていえば、好きだけど」
「そう」
人に聞いてきた割に素気なさすぎる反応に、はやとは一瞬かちんときたが気を落ち着かせる。
そもそも恭弥と話をするのに、反応にいちいち腹を立てていたら三言と会話が続かない。
「じゃあもし子供ができたら、産みたいと思う?」
「…………」
少し視線をななめに外して尋ねた恭弥に、はやとは数度瞬きをしてから、そうだなぁと呟いた。
素気ない言葉だが、最初からそれが聞きたかったのかもしれない。
だとしたら恭弥としてはかつて考えられないほどに気を遣っていたのだろう。
「できたら産みたい、な」
「わかった」
小さく口元を緩めて言ったはやとに、恭弥は頷いて立ち上がった。
その唇が小さく「ならそうするよ」と動いた事に、はやとは気付かない。
いきなり帰ろうとする恭弥の後を慌てて追うはやとは、急にくるりと反転した恭弥に鼻先に指を突きつけられてぎょっとした。
たぶんこれも見るのは初めてだ。
殺気の含まれていない恭弥の笑みなど。
「あと半年待つんだね」
「え? なに」
何を待つって。
聞き返す前にばたんと玄関のドアは閉められてしまって、はやとは呆然とその場に立ちつくした。
***
雲雀さん妊娠発覚直後って感じです。
まだ誰にもいっていないのでとっても意味不明。
この後骸に「子供できたから産む」と宣言して骸が叫びます。