<そうして彼らは3>



暗闇の中、必死に遠い光を追いかけていた。
走っても走っても追いつけなくて、手を伸ばしても止まるように懇願しても、光には届かない。
捕まえなくてはいけないのはわかっていたのに、それなのに。

「……っ」

目をあけた瞬間に涙が目尻を伝ったのが感触でわかった。
ぐちゃぐちゃになった感情をどう処理したらいいかわからなくて、もう二粒ほど涙が頬を伝って落ちて、それから初めて手の上に誰かが手を乗せているのに気付いた。

「はやと」
静かに名前を呼ばれた。
ほの明るい部屋の中、彼が自分の顔を覗き込んでいた。
黒檀のような目に自分が映っているのを見ていると、同時にすうっと感情がほどけていって少し落ちつきを取り戻す。
溜息を吐いて、影を作っている山本の顔を見た。

どうして彼がここにいるのだろう。
つなが負傷したはずだから、その連絡を受けてここに来たのかもしれない。

……目を開けた時に、なんとなく分かっていた。
この喪失感は、彼に気付かれてはいけない。



「ごめん」
真摯な顔で謝られて、はやとはゆるく首を振る。
「十代目はご無事か」
「ばっ……お前、もっと、自分のこと、かんがえて、くれ、よ」
はやとの言葉に、額を手に当てて呟いた山本の様子がいつもと違って、はやとは上半身を起こそうとした。
腹部に言いようもない激痛が走り、さすがに悲鳴をあげそうになってベッドに逆戻る。
「起きるな! 数日安静だ」
「へいき、だ」
腹部にも数撃喰らっていた。
致命傷になるようなものはなかったはずだが、だからこそ分かってしまっていた。
この中にはもうなにもいない。

それでも悲鳴を上げた部分をなんとかねじ伏せて起き上がろうとしたのに、山本に肩を押さえられて無理矢理横にされた。
「山本……?」
「ごめん」
「なにが」
「はやと……その……俺、ぜんぜん……お前のこと、なんも考えてなくて」
「は? 十代目の事なら、俺の責任だ。……って、十代目は!?」
つなの護衛ははやとが一番の責任を負う。
はやとの護衛など存在しないし、自分の身を守れない護衛など論外だ。

けれど山本は溜息を吐いて、やりきれないと言わんばかりにはやとの手を握った。
「つなは掠り傷で済んだって。それより、お前、……自分の心配してくれよ……」
「別にこれくらいの怪我、どってこと」
「身勝手でごめんな。俺、お前のこと、大事にしてたつもりだったんだ、これでも」
話が通じなくて、はやとは目を瞬かせた。
いつも見ない真剣な顔に呆気に取られて、何を言っているのかが分からなくて呆けたように山本の顔を見つめていた。

山本の顔が歪んで、その視線が自分の腹部に向けられたところで、彼の言葉を反芻してはやとは青褪めた。
「……シャマル、か。シャマルが言ったのか!?」
「落ち着けはやと! 興奮すると、体に……」
「どうせいねーんだ、もう」
言葉にしたら、現実がすとんと胸に落ちた。

堕ろすつもりだった。
産むとなったらその間、十代目の護衛ができなくなる。
この大事な時期にそれができない右腕なんて論外だ。

「……はやと」
「いいんだ、堕ろすつもりだったから」
「俺には、相談ナシかよ」
低い声で呟かれて、はやとは山本の表情を窺った。
うつむいている山本の表情が影になっていてよく見えない。
だけどいつも浮かんでいる笑みがないだけで酷く印象がかわって見えた。


相談は最初からするつもりなんてなかった。
迷わなかったといえば嘘になる。
自分の母親は全てを捨てて自分を生んでくれたから。

だけど自分は、捨てられなかった。
全てを捨ててひとつの命を取る事ができなかった。
だから十代目を理由にして逃げたんだ。















「俺の母親は俺を生んだから捨てられた」
正確に言うと違うか、とはやとは淡々と言い直す。
「俺を身ごもったから捨てられた」
「はや」
「結婚の約束したわけでもねーし、恋人でもないし、身ごもった女なんか重いだろ」
「なに、いって」

確かに結婚の約束はしていなかったけれど、ボンゴレの次期ドンという特殊な立場にいるつなとその一員のザンザスが一族公認で、結婚は学生が終わったら即効! という実質婚約者であったりしていて、自然と自分達もそうなるのかなという思いだった。
山本としてははやと以外の女とそういう関係にはなろうとは思っていなかったし、はやともそうだと思っていた。
少しなあなあの感があっても、このままずっと一緒にいると思っていた。

「俺たち、付き合ってる、だろ」
いわゆる世間一般の恋人だと思っていた。
守護者同士であるし友人同士でもあるけれど、つなをボスと仰ぐ部下同士であるけれど、それ以上の結びつきだってあったじゃないか。
「俺とお前は恋人だろ、はやと」
そうではなかったのか。
彼女が二人の関係を、他にどんな意味で捉えていたのか。

恋人? と呟いたはやとは視線をそらす。
違うんじゃねーの、と口に出さず唇だけで言って、山本の顔を見ずに呟いた。
「……俺にとってお前は、十代目と同じぐらい大事で、だけどお前にとって俺は、セフレだろ?」
「なっ……」

前半の言葉の意味が重くて、それほどに思われていたのだと嬉しくなった。
けれど後半の言葉で全て崩れた。

「セ、フレ、って」
「いらねぇよ、フォローとか言い訳もいらねぇ」
「俺はそんなこと思ってなんか」

じゃあ、と震える声ではやとが問う。
それなら、とか細い声で。

「……俺、お前とデートした覚えねーよ。ただ傍にいるだけとか、ただ話をするだけとか、それだけでよかったのに」
「それは」
「他の女にも声かけるし、遊んでるし、だから俺もその一人だと思ってた」
「ちがっ……」
はやとだけだった……ただ一言「嫌だ」と言ってほしかった。
ヤキモチを焼いてほしかったのだと、そんな子供染みた事ではやとを傷つけて、取り返しがつかないところまで追い詰めたのだ。
はやとが自分の事を、母親の事をそう思っていたのなら、言えるはずなかったのに。


もういい、と呟いてはやとが山本に背を向ける。
彼がごく普通の男だったらそこで何も言えなくなって、立ち尽くすかそれとも部屋を出て行っただろう。
けれど山本武は手を伸ばして、はやとの肩を引っ張って自分のほうへと顔を動かした。
はやとも抵抗しなかったわけではなかったが、山本の力にはもともと敵わない。

半ば覆いかぶさるような格好になって、山本ははやとの銀の髪を優しく梳いた。
じっと見上げてくる瞳には感情がない交ぜになって相殺して何もないように見える。
だからその空の目に映った自分の姿に山本は笑いかけた。
そうすれば彼女にも笑った自分の姿が映っているのだろう。

「俺の態度、すっげー悪かった。ごめん。俺……告った時から、それより前に初めて会った時から」
ぎし、とベッドが軋むのにかまわず山本ははやとの肌を手で包む。
「愛してる、はやと。お前だけでいい、ずっと」
愛してる、ともう一度呟いた。
お互いの姿が目に映りこむほど近くで見詰め合う。

吐息が触れ合うほど近くで、永遠なほどに長い時間が立って。
無表情だったはやとに、じわりと感情が浮かんだ。


「……たけ、し」
小さな声で呟いて、はやとは両腕を山本の首に回す。
すがりついて、小さな声で泣き出した。
消えてしまった子供への謝罪と、守りきれなかったことへの謝罪と、信じていなかったことへの謝罪とを交互に呟きながら。
「ごめん……ごめんな」
はやとが悪いわけじゃない、謝る事じゃない。

優しく背中を抱きしめて、山本は幾度も呟いた。


 

 


***
両思いのくせにお互いでぐだぐだ考えるからというか山本が酷い男でしたごめんなさい。
……山本嫌いじゃないですよ?
山獄大好きですよ……?