※やまはや。痛い表現及び流産の表現がありますので苦手な方は注意。
<そうして彼らは1>
Dr.シャマルは信条として女しか診察しない。
女であれば未来投資という意味で幼い娘も見るし、ババアであっても過去の栄光をたたえるという意味で診察はする。
とにかく女性ならば広く門を開き無料で診察しまくってもいい。
そんなシャマルは基本的に女性には遍く優しくが信条だ。
だが、その対応が変わる相手だっている。
「……どうした」
訪れた彼女を見下ろしてシャマルは尋ねた。
制服の上に薄手のカーディガンを羽織ってうつむいている少女の肩に手を置く。
スキンシップとも呼べないような接触に、びくりと震えて見上げてきたその目に、常とは違った感情を見た。
「はやと?」
無言の彼女に声をかける。
獄寺はやと――彼女がシャマルのところへ自ら赴く事は珍しい。
昔は懇意にしていたはやとの一家だったが、姉のビアンキとは違い、はやとは極めて生真面目な性格だった。
そんな彼女に戯れでも迫る事はできなくて、兄のような父のような、あいつにはどちらもいないのだからどっちかにはなってもいいだろうと勝手に自己弁護をして。
シャマル自身でも整理のつかない、恋慕や情愛とはまた異なった感情を持っていた。
しかしはやとにしてみれば、何かと口やかましいシャマルを倦厭するのは当然だろう。
気の強い少女だったし、そもそも女であるという事実を忌み嫌っていた節のあったはやとは、彼女を女性扱いするシャマルが気に食わなかったようだ。
しかし、いざという時になると無意識にか頼ってくれるので、それが何気に嬉しかったりしたのだが。
「はやと、中に」
「……シャマル」
「どうした、なにがあった。つなになんかあったのか」
はやとがこうなる原因として考えられる最大のものをあげると、首を横に振られて少しほっとした。
はやとの場合、とりあえずつなが無事であればなんとかなる事が経験上わかっていたからだ。
「じゃあビアンキか?」
「いや」
「……ならどうした、言っとくが男は診ねーぞ」
あとのはやとの関係者がおおむね男性だったのでそう突っぱねると、突然はやとは嗚咽を漏らしてしゃがみこんだ。
「おい!?」
慌てて身体を支えると、吐き出した少量の汚物を手から流して、半ば放心した表情でシャマルを見上げる。
医者としての勘が働いて、シャマルは愕然とした。
「……はやと、お前」
ごくりとつばを飲み込む。
そうではないことを祈って。
「まさか」
「シャマル、病院を紹介しろ。十代目に知られない病院」
「お前、まさかっ」
鞄からタオルを取りだしたはやとは、口元をぬぐってからシャマルの手を振りほどいて立ち上がった。
「あいつのガキか。……あれには言ったのか」
そうだとすれば二人で来るのが筋というものだ。
叱り飛ばそうとしてそう尋ねると、はやとは唇を噛んでうつむいた。
答えられない事には黙って通そうとする癖を知っていたから、すぐに分かった。
「お前……言ってないのか」
「山本には、言うな」
「言うなってお前な……携帯かせ」
「嫌だっ! 山本にも十代目にも黙ってろ!」
明らかに取り乱して、伸ばしてきたシャマルの手を振り払った。
苦々しい顔をしたシャマルははやとから手をひく。
「生憎とこういうのは父親の承認がいるんだよ」
「……同意書の用意はできる。それでいいだろ」
「なんでそう意固地になるかね。一応合意だったんじゃねーのかよ」
黙したはやとは動かない。
何かを言う気はないらしい。
「……後悔するぞ」
「俺は十分考えた。そうこうしているその間に十代目になにかあったら……そうしたら俺は、俺も子供も山本も許せねぇ」
かちあった薄い色の目に静かに燃えている覚悟をシャマルはどうすることもできなかった。
できるのは、せめて厄介な医者にかからないようにしてやるだけだ。
「……わかった。お前の考えは分かったから」
誰にも言うなよ、と念をおすはやとに何度も頷く。
とにかく今日は帰れ、と何度も説得して、ふらつきながら出て行くはやとを送ろうかと言ったら、やはり断わられた。
だから彼女を送り出して、一人にもどった室内で、懐から取り出した煙草をくわえた。
「……くそったれ」
殺してやろうか、あの男。
この時今後はやとから一生恨みを買おうがつなに連絡を取っておけばよかったと後悔するのは、それから数日後の事だった。
病室に続く廊下をしきる扉を塞ぐ形で立っていたシャマルは、息を切らせて走ってきた目的の人物を視認して、扉から背中を離した。
「来たか、バカ小僧」
「はやとは」
「テメェ、自分のやったことわかってるのか」
黙って視線だけは鋭いものを向けてきた彼に、シャマルは拳を握った。
「はやとは、ガキができたことをテメェに言わなかった。なんでだと思う」
「え……ガキ?」
呟いた山本は目を瞬かせて、それから青ざめた。
「シャマルっ、はやと、はやとは! それからっ」
「……流れたよ」
冷たいその言葉に、瞳を揺らがせて山本はうつむく。
表情の見えない彼に近づいて、シャマルは拳を振り上げた。
「っ」
鈍い音と共に山本が吹っ飛び壁にたたきつけられる。
受身をとれなかったのかとらなかったのか。
そのままの彼を引っ張りあげて、シャマルは容赦なく二発目を入れて、怒鳴った。
「何でテメーはアイツを愛してやらなかった! テメーに相談しろつった俺にあいつがなんて言ったと思う!? 捨てられるから嫌だだぞ! そんな言葉吐かせんじゃねえよ!! なんだかんだ言ってガキが人一倍好きな癖に……あいつは絶対、生みたかったはずなんだ……」
語尾がかすれて、いい年をした大人なのに目じりに涙が浮かんだ。
今はまだいい、彼女はまだ目を覚ましていない。
けれど、目を覚まして、知ったら。
降ろすと言っていた。
それしかないとも言っていた。
それでも、それがたとえ不慮の事故で流れてしまったのだとしても、はやとはどう感じるだろう。
一番彼女を支えてくれるだろう相手はここにはいない。
本来なら真っ先に駆けつけてくれる彼女は、軽症といえどまだ治療中だ。
彼女の姉はその傷を負わせた相手の情報収集へと向かっている。
「んで……なんで、はやと」
切れ切れに呟いた山本に、シャマルは怒りに任せて三度拳を叩きいれた。
「テメーが!」
女がそんなことしなくてもいいだろう。
シャマルがそう言ったのに、はやとは薬を飲み続けた。
確かに体に害があるとは言いにくい、シャマルの用意したものならなおさらだ。
けれど避妊はより男が気をつけるべきもの、とシャマルは思っている。
相手を愛しているならなおさらだ、負担がかかるのは女の方なのだから。
「テメーが避妊しやがらねー時もあるから、あいつはピル飲んでたんだぞ! それなのに……それなのにっ!」
長期の出張だったらしい。
シャマルのところによる時間もなくて、山本とも離れていたからピルを飲んでいなかったようなのだ。
なのに帰ってきたはやとを山本はそのまま抱いた。
多分彼女もそれほど抵抗しなかったのだとは思う。
長らく離れていたのだから、その気持ちはわかる。
だからはやとが山本と共に来たのなら、シャマルはせいぜい「バーカ」とだけ言って病院を紹介しただろう。
堕ろすにしろ生むにしろ、シャマルはそこに口だしするつもりはないし、どちらの理由も納得できた。
産むには若いし、彼女の仕事は過酷だった。
だが産むと望めば彼女のボスは喜び祝福してくれただろう。
だというのに、この二人は、そのどちらも取らなかった。
「……ピル?」
「そんなことも知らなかったのかお前!!」
怒り以上に絶望で目の前が暗くなる。
「帰れ!」
叫んだ、感情のままに。
「帰れ! 二度と会うな!」
「オッサンに言われる筋合いはねーよ!!」
キッと見上げた山本の顔にシャマルはもう一度拳を入れた。
「テメーみたいな最低の男にはやとはやらねぇ!」
鈍い音と共に床にたたきつけられた山本は今度も受身を取らなかった。
けれどシャマルの渾身の一撃を喰らっても、堪えた様子はない。
「帰れ。二度とくるな」
「……」
口が切れたのか、垂れてきた血を唇で舐めて山本は眉をしかめる。
それでも眼光の鋭さは変わらない。
「通せ、はやとに会う」
「あわせねぇっつってんだろう!」
「会う」
ゾクリとシャマルの背筋に悪寒が走った。
彼を睨みつける山本の目には確かな殺気があった。
「…………」
「どいてくれ」
「……テメーをはやとに、あわせて、たまるかっ」
奥歯を噛み締めて必死に対峙しても、立ち上がった山本は歩みを緩めない。
「いかせるか……!」
それはあまりに刹那で。
完璧に横をすり抜けられて、気付けば山本は病室へと向かっていた。
「……くそっ」
あまりにやるせなくて、シャマルは無言で壁に拳を打ちつけた。
***
ここまで書いて思ったが、中のはやとは寝てるんじゃないかな。