俺の母親は忙しい人だ。
父親も右に同じくで、両親と兄弟三人そろって一日を過ごしたことなど記憶に数度。
けれど俺も姉も妹もさびしい思いをしたことはない。
兄弟がいたからだけではなくて(むしろ姉にいたっては弟妹を丸無視だし)悠斗がいたり陽菜がいたりしたからだ。
まあ雪加と夜鷹はちょっと違うけど、でもまあ似たようなもので。
悠斗たちの母親で俺のもう一人の母親でもあるはやとさんは、厳しい人だ。
何か悪さをすれば悠斗だけじゃなく俺も容赦なくしかられるし、母さんだって例外ではない。
俺も悠斗も一緒くたで殴られて説教された。
だから。
はじめて、あの人が俺の前に頭を下げて、ラファエーレ様と呼んだ時。
泣きそうになった。
<次世代の憂鬱〜家継>
「え、悠斗?」
目をぱちくりさせたであろう俺に、父さんは頷く。
「悠斗も十三だしな。そろそろ顔を見せておいたほうが良いだろうってことだ」
悠斗も陽菜も、まあ葵は年齢的なものがあるとして、今まで公の場に出て行ったことは無い。
知っている人は知っていても、ほかのファミリーなんかだったらまず知らないだろう。
これまで公の場に出たのは俺と姉さん……みつばだけだ。
子供はそういう公の場にはとても少なくて、大人達の相手をしているのも疲れる。
いつもの調子で悠斗が隣にいてくれたらきっともっと楽だ。
……姉さんはとっととフけるしさ。
そういえば六道のところの二人も護衛としてついているらしい、と付け足した父さんに先ほどから疑問だったことを聞いてみることにした。
「ところで、父さん」
「何だ」
「母さん……どこ?」
そこ、ボスの席だよな?
いつもなら母さんがいるよな?
とても素朴な俺の疑問に、父さんは顔をゆがめたっつーか苦笑したっつーか、そんな感じになって一言。
「職務放棄だ」
そういった。
わけわからないんですけど。
相変わらず姉さんはディーノさんに挨拶をするととっとと消えた。
厳密に言おう。
外にブラつきにいったどっかのヒットマンを追いかけてフけた!
ちくしょう、ありえないあの姉、ボンゴレ十代目の長女の自覚あるのか!?
「ラファエーレ」
名前を呼ばれて俺は振り返る。
そこには父を背後に控えさせた母が立っていた。
公の場では俺はイタリア名だから、母も当然そう呼ぶ。
あんまり愛着がある名前じゃないけどな、学校では「家継」とか「ツグ」とか……鶫か?
「こちら、新しく同盟を組んだファミリーのドンだ。これが俺の息子のラファエーレ」
「おお、初めまして、若きボンゴレ。あなたの先に栄光がありますよう」
「……あなたにも」
低い声でそう返す。
俺はまだ十三で、ガキで、弱い。
だけど俺の序列はこの場では上から三番目。
ボンゴレ十代目の母、その伴侶でヴァリアーの父、その二人に次ぐ第三位だ。
だから客人に対する態度もそれなりのものがいる。
おかしいと思う、俺よりずっと年が上の人が俺に頭を下げていくなんて。
だけどそれが、ここの掟。
母さんは自分の倍以上の年齢の人でも顎で使う。
本当はそんなことはしたくないんだろうけど、ぺこぺこしているとうまくいくものもうまくいかないんだそうだ。
俺はボンゴレ十代目の嫡男だから。
いつかこのボンゴレを背負う可能性があるから。
「十代目」
知っている声が聞こえた。
振り向くと、はやとさんと、その後ろに悠斗がいた。
「ゆう――」
駆け寄ろうとした俺の腕を父さんがつかんで止める。
母さんの前で足を止めたはやとさんは、一礼をした。
「十代目、ザンザス様、ラファエーレ様、それと――様。ご満足いただけておりますでしょうか」
「問題ない。ああ、彼女は俺の右腕のはやと。隣にいるのがその息子の悠斗ですよ」
「悠斗・ヤマモトです。はじめまして」
頭を下げた悠斗に、ドンはこれは将来が楽しみな若者ですなと適当な褒め言葉を言って去っていく。
ようやく客人が間にいなくなって、俺は悠斗のほうに足を向けた。
ここを抜けだしたい気もしたし、悠斗と一緒ならこのままでも良かったし。
どちらにせよ、こいつと一緒なら大丈夫だと思った。
だから固い席は初めてだろう悠斗をねぎらって、それからどうするかの算段をたてようともって。
「悠斗、おつか――」
「ラファエーレ様」
笑って、悠斗はそう言った。
一度も使ったことのない名前で。
「あちらに白蘭様がおいでで、ぜひお話したいとのことです」
俺に、使ったことなんかない口調。
おまえがそんな言葉で話せたって方が意外だ。
いつも適当で、母さんにすらタメ口だったりしたくせに。
「…………」
「ラファエーレ様?」
「……わかった」
人懐こい笑顔で待ってくれているだろう白蘭さんの所へ向かう足が重たかった。
扉をたたく音がしていたけれど、俺は聞こえていないふりをした。
俺を呼んでいた声が小さくなって、そして消えるまで。
わかってないわけじゃなかった。
俺はボンゴレ十一代目候補かつ十代目の息子。
ファミリーの中では俺の立ち位置は、つまりそういうこと。
悠斗は右腕とはいえ、幹部の息子。
幹部入りは内定してんじゃないかと思うが、あくまでただの「マフィアの子供」でしかない。
そんな悠斗が、俺に、公の場でなれなれしい口を利けるわけがない。
わかっていたことだったのに。
はやとさんに頭を下げられてから分かっていたことだったのに。
わかっていたはずなのに。
「……っく」
哀しい。
悲しい。
哀しい。
「泣いちゃ、だめだ……涙じゃ、ない」
つんと痛くなる鼻を必死に押えて、家継はくぐもった声で呟いた。
ただ違う立場にいること、それを理解した、それだけ。
哀しくなるわけないじゃないか、そんなこと最初から知っていたんだから。
ただ自分を。
違う呼び方で呼んで違う言葉で話して。
違う目で見た悠斗のことが、胸に突き刺さっているだけだ。
***
悠斗としては「初の家継の右腕としてのお披露目〜★ 母さんみたいにばりばり頼りになるとこみせなきゃ!」って感覚だったのだろうけど。
「え、子供達を?」
実子もほかもひとつ括りにそう称して、つなは眠そうに閉じていたまぶたを押し上げる。
こちらに背中を向けて、すでにシャツを背負っていた夫の袖の端を引っ張ると、向こうは振り向いた。
「ああ」
「お披露目? てか今回のはちょっとヤバいんじゃなかったっけ」
「んな派手なモンじゃねーだろ。雪加と夜鷹の護衛の練習らしいぞ」
「……あんの自由夫婦め……」
毒づいてつなは体を起こす。
たしかに雪加も夜鷹も銃を扱える(というかつなが許可する)年齢になったし、夜鷹は銃なんぞ使わなくとも幻術の名手である(ことは本人が何か妙に必死なので極秘事項だ。必死に隠そうとしているところがああかわいい)ので、戦力としてはすでに護衛として勤まるだろう。
だからって今回みたいなヤバい件でいきなり護衛練習か。
自信過剰もたいがいに……すみません別に過剰じゃないですね、はい。
「もう決定らしい」
「俺の許可は……?」
「いまさらか」
「……デスヨネ」
このファミリーではボスの意向を無視して物事が決められることもあるのである。
主に六道さん家のご夫婦が結託するとそうなる。
ていうか気がついたら決まって気がついたら実行されている。
今回、ザンザスが事前に教えてくれたのも十分すごいっていうかなんていうか。
「で、悠斗も連れて行けばいいと雲雀がな」
「……へえ」
まあ、そう、たしかに、間違っては無いかもしれないけど、へえ、ふうん、そうなんだ。
つぶやいて膝を抱えたつなに、ザンザスはベッドに座るとあごを持ち上げる。
「何すねてやがる」
「はやとにも許可通しておいて、何すねてやがるはないだろー!?」
皆俺を何だと思ってるんだー! と叫んでシーツにもぐりこんだつなにザンザスはあきらめろ、と潔く言い渡した。
***
つなが最初にいなかった理由。
スネて職務放棄してた。