窓の外を見ながら、ザンザスは小さく溜息をつく。
ビジネスクラスの座席は座り心地がいいが、一刻も早くここから去りたかった。
『当機はいまより着陸態勢に入ります』
機内アナウンスが流れ、ようやくかと目を細める。
僅かな揺れとともに、雲の切れ目が見えてくる。
その下には、永く焦がれた国があった。
「今行くぜ」
下界を見下ろしてそう言ってから、キザ過ぎる自分の言葉に笑った。
<会いに来た>
学校から真っ直ぐ帰ってきて、もう一時間ほどぐるぐると玄関の前で回っているつなに、奈々はさすがに苦笑する。
「つっ君。リビングで待ってたら?」
「やだ。オレが一番にザンザスにあうの!」
「ザン君が来る前に疲れちゃうわよ」
「だいじょうぶ!」
元気よく返事を返したつなだったが、数分後にはぱたぱたとキッチンの奈々の所へ走ってきて、エプロンの端を引っ張って尋ねる。
「……ママ、ザンザスまだ?」
「もうすぐ来ると思うわよー」
「つーな、パパと遊んで待ってようかー?」
珍しく家にいた家光が笑顔で近寄るが、つなはぶんぶんを首を横に振る。
「ザンザスまってる」
「じゃあパパも一緒に……」
「ダメ! オレが一番にザンザスにあうの!」
パパはリビングにいなきゃダメ! とつなは叫んで慌てて玄関に戻る。
ピンポーン
「ザンザス!」
チャイムが鳴ると同時につなは玄関の扉を開ける。
彼女の予想通り、そこにはザンザスが立っていた。
「ザンザス! ザンザス!」
満面の笑顔でザンザスに飛びついたつなは、くすりと笑った彼によってひょいと片手で抱き上げられる。
「久しぶりだな、つな」
「ザンザス……」
大きな目を潤ませたつなは、ぎゅうぎゅうとザンザスの首にしがみつく。
「あいたかったよぉ」
「俺もだ」
「ザン君お久しぶりねー」
奥から笑顔で出てきた奈々に軽く首を動かして挨拶したザンザスは、つなを抱き上げていないほうの手に持っていたものを差し出した。
「土産だ」
「あらまあ、ありがとう!」
手をたたいて喜ぶ奈々に土産を渡し、ザンザスはつなを抱えたまま靴を脱ぐ。
玄関から廊下に上がって、ふと男物の靴を認めて目を細めた。
「家光がいるのか」
「いるとも!」
ようやくでてきた家光は、びしりと指をザンザスに突きつける。
「お前がつなに会いに来ると知ってたからな!」
「…………仕事しろ」
ボソと呟いてから、ザンザスは腕に抱えているつなの身体を軽くゆする。
「つな、お前にも土産があるぞ」
「ほ、ほんと? なに?」
「開けてからのお楽しみだ」
「ザン君、スーツケースは客間に運んじゃっていいかしら」
「ああ」
「二階だから、お父さんよろしくね」
「俺!?」
奈々に突然仕事をふられた家光は、なんで俺が……とぶつぶつ言いながらザンザスのスーツケースを二階へと持っていく。
そんな父親を尻目に、つなはきゃっきゃとザンザスの腕の中ではしゃいでいた。
なにせ分かれてから半年ぶりに会うのだ。浮かれないはずもない。
「ザンザス、いつまで日本にいるの?」
「十五日までだな」
「……じゅうごにち」
呟いたつなの目がぐるりと回る。
今日が九日だから、今日と明日と明後日と……
「あ、明日! 明日土曜日だから学校ない!」
「行きたい所があるのか」
「うん! ある!」
珍しく強く言い切ったつなに、あらまあと奈々が笑う。
「つっ君そんなに行きたい所があったの?」
「うん。ザンザス、いっしょに行ってくれる?」
「ああ」
やったー! と叫んでつなはぎゅうとザンザスの首に抱きついた。
そんなつなを両腕で抱き上げて、ザンザスもゆるく微笑む。
「ザンザス……日本にいる間は、ここにいるの?」
「お前がいいならな。ホテルでもいいが」
「やだ! ここにいて!」
シャツをつかんでそう言うと、ザンザスはつなにしか見せない極上の笑顔を浮かべた。
「わかった」
「やった!」
はじけそうな笑顔でつなは歓声を上げ、もう一度ザンザスに抱きついた。
学校のことをたくさん話しながら、つなは上機嫌で夕食を終える。
リビングのソファーにザンザスと並んで腰掛けて、まだまだ足りないともっと話す。
「でね、このあいだ運動会があって、オレ……走ってる時に転んじゃってね」
「がんばったんだな」
優しい声に認められて、うん、と破顔する。
頭も優しく撫でてもらえて、それがまた嬉しかった。
「つっ君、そろそろお風呂はいりましょうねー」
夕食の片づけを始めた奈々に言われて、つなはこくんと頷く。
「つーな、パパとお風呂はいろうかー」
「やだ」
笑顔で近寄ってきた家光をばっさり切り捨てて、つなは隣に座っているザンザスに擦り寄った。
「ザンザス、いっしょにお風呂はいろ!」
「………………」
ザンザスは目をぱちくりさせてつなを見下ろす。
本当に不本意だったが、適切な回答が見当たらない。
「だ、ダメだつな! ザンザスは男だぞ!」
「パパだって男だもん」
「屁理屈はよしなさい。いい子だから昨日みたいにパパとはいろうなー」
「やだ! ザンザスがいいもんっ!」
ぎゅうとザンザスの腕に抱きついて主張するつなに、家光がよよよと崩れ落ちる。
「ザンザス、だめ?」
眉を寄せて見上げてくるつなに、ザンザスはふかーくふかーく溜息を吐いた。
「いいかつな、俺はイタリア人なんだ」
「うん」
「イタリア人はな、朝シャワーを浴びるんだ」
「うん」
「だから、夜に風呂は入らない」
「……うん」
わかった、と萎れたつなはザンザスから手を離す。
「じゃあ、しょうが、ないよね。しょうがないよね」
俯いて何度も何度もそう呟いたつなの目から、ぽたりと涙が落ちる。
楽しみにしていたのだ。
いつもはママと入るけど、昨日はパパと入ったけど。
ザンザスとお風呂は絶対絶対楽しいから、楽しみにしていたのだ。
「しょうが、ない、よね」
「……つな」
ぽたぽた涙を落とすつなの頭を撫でながら、家光は苦笑した。
「一人で頭は洗えるか?」
「……シャンプーが目に入るんだもん」
ぼそりと答えたつなに、そうかそうか、と家光は微笑む。
それから、優しい声でこう言った。
「じゃあザンザスに洗ってもらえ」
「家光っ……?」
驚いたザンザスは思わず家光を見上げる。
見上げてきたザンザスを指差し、家光は命令した。
「お前は着衣だ! 服着てだぞ! つなを泣かせたら家からたたき出すからな!」
「わかった」
「ザンザスが頭洗ってくれるの?」
「ああ」
「やった!」
涙はどこへやら、ぴょんと立ち上がったつなはパタパタと台所へ歩いていく。
「ママ! ザンザスが頭洗ってくれるって!」
「あらあら、よかったわねえ」
「髪も乾かしてくれるかな?」
「きっと乾かしてくれるわよ」
「やった!」
きゃっきゃと喜んでいるつなの声をリビングで聞きながら、家光はくっと涙を拭いた。
「俺の可愛い娘が……」
「ありがたく頂戴する」
「ちょ、誰がやるつった!? 俺が許したのは髪を洗うことだけだぞ!?」
「対して変わんねーよ」
「変わるわ!! かわいくねー!」
「るせぇ」
ふん、と鼻で笑ってザンザスは足を組んで、さて渡しそびれた土産をいつつなに渡そうかと考えた。
***
ギリギリラインでとめておいた。