<見ないフリが正解?>
目に差す光ではやとが目を覚ますと、昨晩隣で寝たはずの山本の姿がなかった。
眩しいと思ったのはカーテンが引かれていたからで、確か昨晩閉めたはずだったので、開けたのは山本だろう。
「……山本?」
搾り出した声は掠れていて、喉はひりひりと痛んだ。
痛む腰を反射的にかばいながらベッドを這い出る。
確か今日は練習はないと昨日言っていたから、どこかにいると思っていたのだけれど、リビングに出ても山本の姿はなくて、机の上に、リモコンを文鎮代わりにしてメモが置き去りにされていた。
『店手伝ってくる。夕食はこっちで食べるからよろしくv』
語尾のハートマークが多少不恰好な事はさておき、それを一瞥してから、はやとは溜息を吐いてメモを机の上に戻すとシャワーを浴びに浴室に向かった。
とりあえずシャワーで目を覚ましたら、買物に行こう。
腰はいたいしあまり人に言えない部分には違和感が残っているし足は当然体がだるい。
けれど、冷蔵庫の中身は昨晩一通り使い切ってしまった。
自分一人だけなら食べないで済ませるとか出前とかで終わらせてしまうが、山本が食べるのであれば、買出しに行かなければ。
出前が嫌だと言われた事はないけれど、山本ははやとが料理を作ると殊に喜んでくれるし、山本が作る料理をはやと自身も食べたいと思うからだ。
……だるい体を引き摺って、買物に行く程度には。
起きた時に眩しいと思ったのも道理で、はやとが目を覚ましたのは昼も間近な事だったらしい。
シャワーを浴びて、多少だるさがマシになるのを待ってから、はやとは買出しに出かけた。
実家が寿司屋だからといって和食しか食べないわけではなく、意外と洋食が好きらしいと付き合ってから知った。
山本が作るのは和食のが多いが、はやとが作る時は大抵イタリアンになる。
昨日は山本が作ったから、今日は自分が作る事になるかなとアタリをつけて、食材を選んでいく。
レタスなどはまだ少しあったから、サラダはあるものでなんとかなるだろう。
あとはパスタと、魚のマリネでいいだろうか。
なんだかんだと買い揃えて、ずしりと重くなった袋を抱えてスーパーを出る。
「重……」
はぁ、と溜息が零れる。
がさりと袋を抱えなおすのも億劫だ。
仲が良さそうに並んで、先を歩く夫婦らしい連れをぼんやりと眺める。
旦那の方が荷物を持って、奥さんの方はトイレットペーパーと、小さな袋を片手に持ち、お互いの空いた手を繋いでいる。
何か会話しながら歩いているのか、時折顔を見合わせて幸せそうに笑っているのが、どうしようもなく羨ましかった。
夫婦とはそれからすぐの曲がり角のところで分かれて、はやとは薄く橙色になりだした道をゆっくりと歩いていた。
一度大通りのすぐ脇に出たところで、見覚えのある顔を見つけて立ち止まる。
「やまも……」
言いかけて、止まった。
山本の隣に女性がいたから。
山本は大きな荷物を持っていて、女性の方は手ぶらだった。
何か楽しげに話している二人を数秒立ちっぱなしで見ていたはやとは、がさりと手元の袋の鳴る音で我に返った。
「……帰るか」
零れた溜息は、先程よりもずっと重かった。
「ただいまー」
「おかえり。夕飯パスタにするけどいいか?」
開けっ放しにしておいたドアを開けて、山本が入ってくる。
それを、はやとはいつもの通りに出迎えた。
「もうできてんの?」
「マリネとサラダは今冷やしてる。あとはパスタ茹でるだけだけど。他に何か食べたいものがあるなら」
「いんや、じゅーぶん! 後は俺が作ってやるよ」
「でも」
「いーって。はやと疲れてんだろ? パスタ茹でるくらいなら俺でもできっし」
労わるように言われて、はやとはリビングに追いやられる。
鼻歌混じりに鍋で湯を沸かし出す山本は上機嫌だ。
はやとはソファに座ってクッションを抱える。
テレビをつければ、今日一日のニュースが流れていた。
一緒にいた女性は誰だろう、とか。
近づいた一瞬に香った匂いはその人のものなのだろうか、とか。
口にならない疑問は沢山あるけれど。
ただ、約束の通りにここに戻ってきてくれた事が十分だと思って、はやとは全ての疑問を飲み込んだ。
こみ上げて来るものを深呼吸して押さえつけて、水音混じりの息がニュースを読み上げるキャスターの声で聞こえない事を祈って、顔をクッションに押し付けた。
***
やまはやは基本山本への殺意が執筆意欲に還元されます。
別に山本が嫌いなわけではないはずなのですが。