<一緒の約束>
ざんざす。
名前を呼ばれて、ザンザスは視線を下げる。だいぶ。
「どうした、つな」
幼子に合わせて身長をかがめる、もとい膝を折ると、ふっわふわした子供はにっこりと微笑む。
「あのね、日本におひっこしするでしょ」
「ああ」
つなは日本で育てるというのが、九代目と門外顧問の一致した意見だった。
先日のつなを狙った襲撃も効いたのだろう。
イタリアと違い、日本では拳銃を所持しているだけでとても目立つ。
銃撃戦も殆どなく、外国人は酷く浮く。おまけに治安は良好だ。少なくともイタリアよりはだいぶマシ。
暗殺者から身を隠すのには最適だろう。
何よりつなはほぼ生粋の日本人だ。日本のほうがなじむだろう。
「学校にいくってママがいってたの」
「ちゃんと勉強しねぇとな」
自分自身ろくすっぽ学校に行っていないザンザスだったが、そこは棚上げしておく。
スクアーロやディーノが聞いたら「お前が言うな!」といわれそうだ。
「あのね」
きゅう、とつながザンザスのシャツの端を掴む。
「ザンザスも、おなじ?」
「なにがだ?」
つなの言葉は数年前と比べると驚くほど流暢になっているが、やはりそこは子供だ。
たまに盛大になにかがすっ飛ぶ。
……同い年のはやとを見る限り、つなの性格の問題という可能性も否めないが。
「ザンザスも、おなじ学校、いくよね? あのね、はやとはいっしょ、なんだって。だからザンザスも、いっしょ、だ、よ、ね……?」
すぐにザンザスが返事をしなかったせいで、つなの言葉がだんだん小さくなる。
(誰も言って……ねぇのか)
舌打ちしたくなって、ザンザスはつなを抱き上げる。
「ザンザス?」
大人しく抱かれている少女が大人しい間に、と思いながら大股で廊下を歩き、近くにあった自分の部屋に入る。
入口で足を止めることなく、ずんずんとそのまま部屋の奥にあるベッドの上につなを座らせて、ふうと溜息を吐いた。
とりあえずこれでつなが癇癪を起こしても問題ないだろう。
……いや、起こすと決まったわけではないのだが、そうなる予感はした。
「いいか、よく聞け」
「うん」
隣に腰をおろして、宥めるように頭を撫でながら言い聞かせる。
「日本に行くのは、お前とお前の両親と、はやとだけだ」
「……え?」
「俺はこっちでの学校もあるし、仕事も、」
「ヤだ!」
ベッドが揺れる。つなが小さな手でマットレスを叩いたのだ。
予想通り、と内心思ったが顔には出さない。
「ザンザスもいっしょにきてくれなきゃ、ヤだ!」
「つな、俺はこっちでやることが」
「ヤだ! やだやだやーだぁ! ザンザスがいっしょじゃないなら、つなは日本になんかいかない!」
ぶんぶんと首を振って駄々をこねだす。
普段はとても素直なのだが、頑固なのかなんなのか、どうしても譲れないことに関してはこうだ。
「いかないー! イタリアにいる!」
「はやととお前の両親は日本に行くんだぜ」
「……っ」
両親もはやとも大好きなつなは声をつまらせた。
そう、それでいい。
別れたくないと駄々をこねるのは結構だし、ザンザスも小さな親戚がそういうのを聞いて悪い気はしない。
「たまには遊びに行く。だから」
ちゃんと日本に行け、といおうとして、彼女の顔を見てぎょっとする。
大きな目に涙を浮かべていたつなだったが、それを流すのではなくて前を向いて懸命に堪えていた。
「……る」
「つな?」
「ザンザスと、いる。パパともママとも、はやととはなれても、へい、き」
「……」
予想外の答えにザンザスは思わず押し黙る。
「ザンザスがいなきゃ、ヤだもん。だから、ここにいる」
「……つ、な」
「ここにいる」
そう言ったつなの目は開いたままだったけど、つぅと一滴だけ涙が流れた。
「いっしょに、いたい」
僅かに首を傾けて、つなの目が真っ直ぐザンザスを見上げる。
薄茶の目には涙が溢れていたのに、頬を伝っているのは一滴だけだ。
「……ね? いいでしょ?」
泣き虫のはずの幼子は、そこで、笑った。
目を細めて、細め切るわけではなくて、憂いと懇願を同時に湛えて、笑った。
六歳の子供が見せるには不釣合いな大人びた表情に、ザンザスの肌があわ立つ。
「………………っ」
「ザンザス……おねがい」
つなといっしょにいて。
小さな手が手に重ねられて、指先を握り締められる。
「つな……ザンザスのいうこと、きくよ。泣いたり、しない。いい子にするから、ね」
ザンザスといっしょがいい、と繰り返す。
泣き声寸前のような声で、けれど酷く甘い声で、繰り返す。
ザンザス、と何度も名前を呼ぶ。つたない口ぶりで、何度も。
ザンザスはつなが触れていない方の手で顔を覆った。
一度上を向いてから、深呼吸をする。
手が熱い。
「……だめ、だ」
静かに呟いて、顔から手を離す。
つなに握られた手は振りほどけなかったが。
「お前は、日本に行け」
「ザンザス、いっしょだよね」
懇願の響きを持つ声が、とろけそうに優しく耳朶に響く。
「俺はイタリアにいる」
「なん、で!」
「お前は狙われている。お前の命を守るためだ」
「ヤだ!」
「死んだら、何もできねぇ」
「ヤだ!」
ヤだもん! ヤだヤだ!
ザンザスの手に重ねられていたつなの手は離れ、小さな拳がぽかぽかとマットレスを叩く。
それを止めるために彼女の方を向くと、潤んだ目を視線が合った。
「ヤだ……やだよぅ。ザンザスと、いっしょが、いいよぉ……」
「泣くな、つな」
いきなりぽろぽろ零れだした涙に慌てて、慌てて頬に手を伸ばす。
触れた頬は柔らかい。思わず手の平で小さな顔を包み込んだ。
「ざ、ざんざすぅ」
「……泣くな」
「ヤ、だもん、ザンザス、いっしょにいてくれなきゃ、やだぁ……」
涙声で切れ切れに訴えるつなの小さな身体を膝の上に抱き上げる。
「つな、つな」
耳元で名前を呼ぶと、しゃっくりを上げつつも、新しい涙が落ちてくるのは止まる。
「必ず会いに行く。何度も行く」
「やだぁ……やだ、やだぁ」
弱弱しく首を横に振る彼女の前髪をすくい上げて、額に柔らかく唇を落とす。
夜に寝たくないと駄々をこねるつなにすることだったが、今は意味合いが違う。
「迎えに行く」
今はまだ、時ではない。
ザンザスもつなも、自由に動くことは許されていない。
「俺が大人になったら、迎えに行ってやる」
「むかえ、に?」
「一緒に住む。いつか、必ず一緒に」
小さな身体を抱きしめて、薄茶の目を見つめて。
静かにザンザスはそう言う。
まだつなにはわからないだろう決意を滲ませて。
「いつか」の約束をされたつなは、一瞬きょとんとする。
それから何度か口の中でその言葉を反芻させた。
「かならず、いっしょに……?」
「ああ」
力強く頷くと、ようやく唇が弧を描く。
涙と感情に揺れていた瞳が、ふわりと淡い色に溶けた。
「わかった。まってるね」
嬉しさと哀しさと、諦めと、他の子供が持っているのかと思うような感情が全部ない交ぜになった表情をして、つなは頷く。
「……ああ」
それは再びザンザスをぞくりとさせるほど、確かに「女」の表情だ。
まだ六歳のはずの幼子のどこから、こんなものが出てくるのか。
「やくそく……してくれるよね」
「ああ、約束だ」
指切りをしようと小指を差し出すと、つなはふるふると首を横に振る。
それから小さな手でザンザスの頬に触れた。
「それは、子どものやくそくだよ」
ちゃんとやくそく、してほしい。
無茶を言ったつなを数秒見て、ザンザスは小さく微笑む。
見上げてくる目を、そっとなぞる。
「目、閉じろ」
「ん」
言われるがままにつなは目を閉じる。
ザンザスは彼女の顎に指をかけると、ゆっくりとそこを持ち上げる。
「……」
されるがままになっている彼女の身体を少しだけ引き寄せて、自身も目を閉じた。
合わさった唇の味よりも、膝に抱いていた温かさよりも。
六歳の子供に口付けている自分が小さく震えているのを滑稽に思ったことを、よく覚えている。
***
16歳犯罪者の完成です。
初キッスはつな6歳ザンザス16歳でした。
別につなはキスをねだったわけではないんですけどザンザス君。
まあ16歳だしなしょうがない。