<それがあなたの望みなら>



なんではやとは山本を怒らないんだろう、と常々思う。
恋人同士なら、もっと我侭を言ったっていいじゃいかと思うし、怒ったっていいと思う。
最初俺の方がおかしいのかなと思って、ザンザスやリボーンにも、果ては恭弥さんにまで聞いてみたけど、皆それが普通だって言ってた。

だから、たぶん、はやとと山本の方が、こういう言い方はいけないんだろうけど……おかしい、んだと思う。

はやとが嫌がるから本人の前ではあまり言わないし、はやとが傷つくような顔をするから、今は気にしていないようなフリをしてはいるけれど。

それが全部、はやとが怖がってるからだって気付いたのは、山本がはやと以外の女の人とキスをしている場面を二人で見ちゃった時だった。

それは下校時刻も差し迫った校内で、俺の補講が終わるのを待っていてくれたはやとと一緒に帰ろうと下駄箱を出るところだった。
山本はミーティングで遅くなると言っていたから、もし一緒に帰れるようだったら帰ろうかと野球部の部室の方を回ってみると、山本が誰かとキスをしているところだった。
逆光で女の子の方は誰だか分からなかったけれど、山本の方はまだユニフォームを着ていて、その背番号が決定的だった。



人のキスシーンを初めて見てしまった俺は一瞬固まって、顔を赤くしてから――ぎょっとした。
山本ははやとと付き合ってるのに、と一気に怒りが湧き起こる。
「ちょ、なにあれ!? ちょっと――」
頭に血が上っていた状態で、小声で叫べた事は我ながら凄いと思う。
そりゃそうだ。親友の彼氏が浮気している現場を見て、怒らないわけがない。気が動転しないわけがない。
それははやとだって同じだと思っていた俺は、乗り込んでやろうと足を踏み出しかけ。
かくん、と後ろにつんのめった。


見れば、はやとが俺の腕をとっていた。
「はやと、なんで止めるの」
「……あれは……見なかったことに、してください」
「え?」
聞き返した俺の腕を掴んだまま、はやとは部室の影に引っ張っていく。
掴まれた腕は痛い程で、痛いと抗議しかけた俺は、はやとの顔を見て口を噤んだ。
固く唇を引き結んだ顔は青褪めているようではあったけれど、怒っているようには見えなくて、ただ悲しそうだった。

「なんで止めるの? むしろなんで乗り込まないの!? だって山本ははやとの彼氏でしょ!」
「…………」
部室から大分離れた場所でようやくそう叫んだ俺に、はやとはなぜか言葉に詰まっていた。
詰まって、それからじっと考えて、笑った。
「俺はあいつにとっては特別な存在じゃないので」
「……っ」
「あいつに、めんどくさい女だって、思われたくない、から……」
恋人って特別な存在じゃないの。とは聞けなかった。
はやとは笑っていて、だけど泣きそうで。いっそ泣いてくれれば俺だって山本を殴りに行く事だってできたのに、はやとが笑っているからできなかった。

たぶんはやとは怖いんだ。
もし山本に怒って。束縛して。喧嘩して。それで嫌われてしまうのが。

ここで俺が怒って山本に殴りかかったら、はやとはきっと泣くんだろう。
山本を傷つけて、けれどそれで俺を責める事もできなくて、自分を責めて泣くんだ。
それは俺が一番望まない事だ。
だって俺が怒っているのははやとを傷つけた山本に怒っているからで。
それがはやとを傷つけるなら、俺はもう怒れない。

やり場のない怒りを拳を握ってやり過ごして、俺はたぶんあまり笑えてない笑顔で頷いた。
「……わかった」
「ありがとうございます、十代目」
泣きそうな顔で笑ったはやとに笑い返して、帰ろう、と俺は促した。


ちらりと振り返った時には、もう帰った後だったのか、山本と女の子の姿は見えなかった。











「おはよーつな」
「うん、おはよう山本」
「……つな、いてーんだけど」
「ああ、ごめんごめん」
次の日の朝。
笑顔で挨拶してくる山本に笑顔で返して、俺はぐりっと思いっきり踵で山本の足の甲を潰していた足をどけた。

これくらいの報復は許されるよね。



 

 

 



***
その日ビルがひとつ八つ当たりで消えたそうです。