<簪>
「かんざし」
「はい?」
それは課外後に応接間に訪れた骸へ向けての言葉だった。
夏休みの宿題をしていた骸が、ぐるりと身体を反転させて恭弥を見やる。
「簪がほしい」
「括りましょうか?」
風紀委員室(応接間)はクーラーがついているものの、あまり涼しくするとヒバードの体に悪いらしく、窓を開け放して風を入れている。
人間にはけっこう暑い。
骸としても最近伸びてきた尻尾(つな命名)がちょこっとうっとうしいので、クリップで上に留めている。
肩辺りまで伸びてきている恭弥にとってはうざったいだろう。
「ゴムは頭が痛くなるから嫌だ」
「クリップは?」
「・・・髪が引っかかった」
つけるときは骸がするのでいいのだが、外す時はどうしても自力になる。
それで髪を引っ掛けたのだろう。
あまり高いものではなかったですしねえ、と骸は肩をすくめた。
「痛くないように括りましょう」
「簪がほしい」
「・・・」
わかりました、と骸は立ち上がった。
「三時間でもどります。会議がその頃には終わるかと」
「ん」
視線を書類に戻した恭弥を残して、骸は学校を出て行った。
会議が早めに終わって、恭弥はもどってきた応接間が無人なことに無意識に嘆息する。
ちらりと机の上の時計をみると、骸が部屋を出て行ってからまだ二時間だ。
今日はたいした議題がなかったし部屋が暑かったし群れているのが不快だったしで、早めに終わらせたのだが、それがあだになったかもしれない。
こんなことなら今度の生徒会に備えてもうちょっと詰めてこればよかった。
そしてとっとと本物の休暇に入ればよかった。
まあ、町内会なんてどうとでもなるか。
「ヒバリー」
飛んできたヒバードをかきかき撫でて、恭弥は腰をおろす。
先ほど決定した書類に視線を落とした。
これなら夏祭りの進行は・・・と考えながらいくつか再考が必要そうなところをチェックする。
そんな作業を繰り返していると、机の上の巣(バスケット+ブランケット)でうとうとしていたヒバードがこてんと倒れる。
顔を緩ませて視線を時計へやると・・・約束の三時間はもうすぐだった。
「・・・」
窓から差し込む日は、真夏とはいえどだいぶ傾いてきている。
もう帰ってしまおうか。
そう思ってから、頬杖をつく。
バタ・・・バタバタバタばたばたがらごしゃんどっしゃっばたばた
「・・・騒々しいよ」
「遅くなってすみません!!」
バシンと扉を開けて駆け込んできた骸は、手に何か握り締めてはあはあと息を切らしつつ恭弥のところへ歩いてくる。
「ぎ、ぎりぎりセーフですかね?」
無言で恭弥は椅子を回し、骸へ背を向ける。
汗で首に張り付いた髪を、骸の手がゆっくりとはがして、いつも携帯している櫛で梳かす。
「あの・・・恭弥君」
「なに」
「僕、簪は使ったことがなくて」
途方にくれた様子の骸に恭弥は無言で手を突き出す。
「かして」
「あ、は、はい」
渡されたそれは、赤い漆が塗られたものだった。
しゃらりとゆれた飾りは小さくて上品で、粋だ。
相変わらずこういうところの趣味はいい、私物は謎の趣味満載のくせに。
「こうするんだよ」
そういうと、恭弥はくるくると自分の髪を纏め上げ、最後にぐっと簪を挿した。
見事に簪一本でまとめられた髪に、骸は目を丸くする。
「凄いですね」
「わかった?」
「はい」
その返事を聞いた瞬間、恭弥は簪を引き抜く。
あっというまにまとめられた髪はほどけ、再び下へと落ちる。
「じゃあ、やって」
「はい」
簪を受け取った骸は、先ほどの恭弥がやったままに髪をまとめていく。
「痛くないですか」
「・・・」
無言の恭弥に促され、骸は最後に簪を挿す。
まあまあ無難にまとまったとは思ったが、先ほどの恭弥がやったのと形が違う。
そこはかとなく不恰好なので、骸はほどこうと手を出す。
「ううん、何か違いますね・・・」
「落ちてこなければいいんだよ」
そう答えて恭弥は骸の手から逃れるように立ち上がった。
「え、でも・・・僕、勉強しておきますから今日は恭弥君のやり方のほうが」
「帰る」
部屋を出る恭弥に続かんと、骸は慌てて二人分の鞄を手にする。
部屋を出て廊下を歩きながら、隣で危なげに止まっている髪を見る。
「恭弥君・・・ほどけたらごめんなさい」
「なおしてね」
「その、明日までには練習して」
「しなくていい」
ぴしゃりと言われて、骸は首をかしげる。
「え?」
「いいから」
「は、はあ」
「上手になってたら承知しないからね」
「は、はあ?」
わけがわからないと首をかしげた骸に、ふんと鼻を鳴らして恭弥は先に廊下を行った。
***
下手なら上手くできるまで何度もいじってくれるじゃない。