<10:暗躍>
勝負はすでについたと誰もが思っていた。
スクアーロはもうほとんど動けない状態で、山本はボロボロだったけれどなんとか立っていた。
チェルベッロが時計を確認した時、これで勝負が決まるのだと、ほっとしたというのに。
「時間になりましたので、獰猛な水棲動物が放たれます」
チェルベッロの発した言葉につな達は目を見開く。
時間もなにも、勝敗はすでについていたのにどうして放つ必要があったのか。
もう山本の勝ちは決まっていた、それなのに。
放送を聞いた山本も面食らったらしく、動けないスクアーロの体を担いで水のかからないところに上がろうとする。
けれど、体力を消耗している状態では自分よりも上背のある男を運ぶのは難しい。
その間にも背びれを水面上に出した生物が二人にゆったりと近づいていく。
スクアーロも山本も随分と血を流していた。
それは水に溶けて鮫の興奮を煽る。
そして二人がまとう血臭は、確実に二人の居場所へと鮫を誘導していた。
「山本!!」
「くそっ……もう勝負はついたはずだろ!?」
届かないと分かっていても叫ばずにはいられないつな達の視線に留まらないように、ディーノはロマーリオにそっと指示を出す。
もっとも今の状況では気付く余裕などないかもしれないが。
そっと視線を向こう側に向ければ、赤い目と一瞬だけかち合った。
小さく舌打ちしたのは誰に向けてのだったか知らないが、普段のように笑う事もできずに、ディーノはじりじりと画面に視線を戻す。
画面の中では、鮫が二人の乗っている床を支える柱を壊していた。
牙の届く範囲に落ちた二人に、一度離れた鮫が濃くなった血の臭いにつられて迫っていく。
スクアーロが嘲って山本を蹴り飛ばし。
そして、銀色は赤い口に飲み込まれた。
水面に浮き上がる赤い血はスクアーロのものか、鮫のものか。
チェルベッロが静かに山本の勝利を告げる。
山本がその場に膝をついて、つなたちもただ呆然と画面の中に広がる赤を見つめていた。
ディーノはつなに声をかける事もせずに、部下に促されるままにその場を離れた。
ロマーリオの方は上手くいったのか、それが分かるのは向こうに着いてからだ。
門を出る一瞬、振り向くとザンザスと目が合った。
できる限り分かりやすく目だけで頷いてやると、ザンザスは少し目を細めて視線を逸らした。
校門の外に止めてあった車に乗る頃、背後からは嘲笑が聞こえてきた。
あんなに自棄の混ざった声なんて初めて聞いた。
白いベッドの上に、全身を真っ白な包帯でぐるぐる巻きにされたスクアーロが眠っている。
普段黒い服ばかり着ているからなんだか新鮮な感じを受けるが、髪からなにから白いから、全てがの色が落ちて陶器のようだ。
部下達が水中に潜って助けに行った時、なんとスクアーロは自力で鮫の腹を切って脱出していたらしい。
それでもそこで力尽きたのか鮫の屍骸から抜けきれずにいた彼は傷だらけで、正直かなり危なかった。
……これ全部、実は後からロマーリオに聞いた話であって、病院に運ばれたスクアーロの姿を見てしばらく頭がパニック状態で記憶が飛んでいた。
窓の外はそろそろ白み始めている。
椅子に座ってディーノはゆらゆらと体を動かしていた。
昨夜はなんだかんだで一晩中眠れなかった、今だって予断を許さない状況で、暢気に眠ってなどいられなかった。
つな達は今頃どうしてるだろうか。
昨日はどうやら自棄になったザンザスがかなり手厳しい事を言ったようだから、また傷ついて泣いているかもしれない。
本当なら顔を見にいって慰めてやりたいところだったけれど、ここから離れる気になれないし、泣いているつなを見たら余計な事を言ってしまいそうだった。
下手な事を言うとザンザスに本当に殺されかねない。
ついでに八つ当たりもされそうだった。
「ザンザス、見舞いにこねーのかなー……」
それどころではないのかもしれないが。
昨日はかなり過激な事を言ったりしたらしいが、たぶんおそらく確実に自棄っぱちだったのだろう。
本当は心配に……心配してるよな、うん。
それからスペルビが目を覚ましたのは、一日以上経ってからだった。
「…………」
「目、覚めた?」
「……ここ、どこだぁ」
「病院。スペルビ、自力で鮫から脱出したんだって?」
包帯の隙間からのぞく目が億劫そうにディーノを見る。
起き上がろうとして、動かない手足に軽く舌打ちした。
血の流しすぎで貧血を起こしてつい数時間前まで生死の境を彷徨っていたような者が動けるはずがない、それがいくらスクアーロでも。
起き上がるのを諦めて、スクアーロはベッドに寝たままディーノを見上げる。
「あれからどうなったぁ゛」
「スペルビは行方不明扱い。昨日は霧戦で……なんか、すごかったらしい。今日は雲戦だ」
「てめーは行かなくていいのかぁ」
家庭教師だったんだろぉ、と言われてディーノは頷く。
ぶっちゃけ恭弥が負けるとは微塵も考えていないので、見る必要はないと思っている。
だから今日は行くつもりはなかったのだけれど、スクアーロが目を覚ましたから、ザンザスに教えてに行った方がいいのかもしれない。
見舞いにもこない、安否を気遣う連絡もよこさない、だけどきっと心配しているだろうから。
「なーなースペルビー」
「あ゛ぁ?」
「スペルビー」
「なんだぁ゛」
「……眠い」
「はぁ゛ぁ゛?」
ごろん、と頭を薬品の臭いの染み付いたベッドに押し付けて、ディーノはえへへと笑いを零す。
振動が傷に触ったらしく、イテェと呻く声が聞こえた。
答えが返ってくるのが嬉しくて、そのままとろとろと眠りにつこうとして、バタバタと廊下を走る気配に目を開いた。
知らない気配に上半身を起こして、腰にかけた鞭に手をかける。
その手を止めたのはスクアーロだった。
ばたばたち近づく足音は、盛大に開かれたドアの音と共に止まった。
「ししししし! スクアーロ見舞いにきたよ!!」
「なんだ、もう目が覚めてたんだね」
「なあっ!?」
「……暗殺者が足音盛大に立ててんじゃねぇ゛」
包帯でぐるぐる巻きになった金髪王子と、昨日姿を消したと聞いていたマーモンが揃ってそこにいた。
場所を知らせてもいないのにどうしてここが、とぽかんとしているディーノを一瞥してマーモンが唯一見える口で笑う。
「場所くらい念写すればすぐに分かるよ」
「……昨日、霧戦で負けて行方くらましたってきいたけど」
「ふん、あんなの勝負じゃないやい」
「負け惜しみいってらぁ」
「うるさいなあ」
ベルのからかいに口を尖らせて、マーモンはベルの腕からスクアーロが寝ているベッドに飛び移る。
ぽすんと軽い音で着地して、そのままスクアーロの顔の近くまで寄っていく。
ベルも笑いながら近くまで寄って、邪魔にならない程度のところに腰かけた。
マーモンはスクアーロのシーツの上に散らばった髪をいじりながら言う。
「ボスがねぇ、心配してたよ」
「スクアーロがあれっくらいでくたばるわけないじゃんなぁ」
心配性なんだもんなぁとベルがスクアーロの腹の上に頭を乗せる。
イテエ! と叫んだスクアーロに答える笑い声は嬉しそうだ。
「ははっ、愛されてんなぁスペルビー!」
思わず声をあげて笑ってディーノに、スクアーロは微妙な表情を返した。
***
マーモンとベルを見舞いに行かせたい衝動に負けました。
本当はアシがつくと困るからガマンしようとおもったんです……思ったんですけど……。