<06:全てを照らす光>
今日からリング戦が始まる。
まだ最後の技は完成していなかったし、この十日間そんな時間はないとばかりに修行させられていたというのに、今日に限って学校に行ってこいとリボーンはつなを叩き出した。
本当は学校に行くよりも修行に打ち込んでいたかった。
しんどくてふらふらになるけれど、その方が何も考えなくて済むから。
無意識に手を入れたポケットの中で冷たい金属の温度が指に触れた。
リボーンから昨日の夜渡された時計は、昔つながザンザスに渡したものだった。
子供のお小遣いでも買えるような、それでも当時のつなにとっては何ヶ月もかかって溜めたお金で買ったものだった。
誕生日になにがいいだろうと一生懸命考えて、滅多に会えない年上の彼が自分の事を忘れてしまわないようにと願いを込めて。
オモチャの時計だ、電池を交換できる機能だってついていない。
だけどあの時ザンザスは、大事にすると言って受け取ってくれたのだ。
それが昨日、リボーンの手を介して自分の元に戻ってきた。
今あらためてみると、メッキは剥げてボロボロで、中の時計だってとっくに止まってしまっていた。
これを返すのは、ザンザスにとってもうこれがいらなくなったから。
だけど今までこれをずっと持っていてくれたのだと思ったら、それだけで胸がいっぱいになった。
ザンザスはつなに銃を向けた。
はやとを傷つけた。
自分が倒すと決めたけれど、心のどこかでまだ信じている。
「……こんなんじゃ、だめだよな」
迷っていたら勝てなくなる。
未練を振り切るようにポケットから手を出して、つなはガラっと教室のドアを開けた。
まだ山本もはやとも来ていないようだった。
二人とも修行がどうなっているかは知らなかったけれど、リボーンは心配するなとも、今日は二人とも登校するとも言っていたからすぐに会えるだろう。
席に荷物を置くと、タイミングを窺っていたように京子が近寄ってきた。
修行の間風邪だということで学校を休んでいたから、良くなってよかったね、と陽だまりのような笑みを浮かべて京子は言う。
ふとその表情が翳って、声のトーンと落として尋ねられる。
「……ねぇつなくん、最近おにいちゃん、ボクシング以外のことに夢中みたいで様子が変なの。なにか心当たりある?」
「…………」
心配そうに言う京子に、つなはさっと表情を強張らせた。
今日から始まるリング争奪戦の中で、了平もつなの晴の守護者として戦う事になっている。
京子のいう「最近夢中になっている事」は十中八九そのための修行なのだが、それを果たして言ってしまっていいものか。
言えば京子はとても心配するだろう。
しかし言わないままでも心配なのに変わりはないし、なにより了平が今日、怪我をするかも分からない。
理由も知らないままに、怪我をした了平を見たら驚いて悲しむのではないか。
ならばいっそ言ってしまった方がいいのかもしれない。
原因は自分にあるのだし、もしそれて京子があまりに心配するようだったら、最悪了平に戦いをやめてもらう事も、できる。
こくりと唾を飲み込んで、つなは顔をあげた。
「あのね、京子ちゃん……」
「相撲大会だ!」
言いかけたつなの言葉を遮る大声で叫びながら、了平がずかずかと教室に入ってきた。
目を丸くしている京子の前でつなの肩に手を回して、いつもと変わらない笑顔で告げる。
「相撲大会を皆でするからな、その特訓をしていたのだ」
「……つなくん、も?」
困惑の目で京子がつなを見る。
京子はつなが実のところ女子であるのを知っているから、不審に思っているのだろう。
そして尋ねられたつなも、予想外の事に目を白黒させていた。
「え、あ」
「もちろんだ! さぁ沢田、シコをふみにいくぞ!」
ずるずると首に手を回された状態で教室から連れ出される。
絶対不思議に思ってるよなぁ……と思いながらも連れて行かれるがままにされていると、了平は棟を繋ぐ渡り廊下で止まった。
特別教室に続いている廊下は、まだHR前のこの時間帯に通る人はない。
屋根のない廊下からは、空がよく見える。
ようやく連行が止まってほっとしたつなに、了平は手摺に腕をかけて苦笑してみせた。
「すまんな沢田」
「いや、相撲ってのはびっくりしましたけど……京子ちゃんに本当の事言わなくていいんですか? 心配してるのに」
「うむ、京子の奴、ケンカ絡みの事となると異常に心配するのでな」
大袈裟に頷いて、了平は自分の額を親指で示した。
「この額のキズな、オレと京子がまだ小学生だった頃につけたキズなんだ」
そうして教えてくれたのは、了平がその傷を受けた経緯と、京子がそれをまだ気にしているという事。
話を聞くにつれ、つなの表情はだんだんと険しくなった。
「……それじゃあ尚更、お兄さんに戦わせるわけにはいかないじゃないですか」
怪我をしたらきっと京子は心配するし、泣くかもしれない。
友達を泣かせてしまうのは嫌だった。
リング争奪戦がどんなものになるかは分からないけれど、じゃんけんとか双六とか、そんな和やかなものではないだろう。
もしかしたら軽い怪我をするだけじゃすまないかもしれない。
皆が傷つくのが嫌で、守りたくて、ザンザスと戦うと決めたけれど、守護者同士の戦いで傷つくのは守護者となった人達なのだ。
自分の事に巻き込んだ挙句、関係ない人まで悲しませるのはつなの意志ではなかった。
「京子ちゃんが心配します」
「しかし本当の事を言ったら、あいつは泣くからな」
「傷ついたって泣きますよ!」
強い口調で言って、つなは唇を噛んだ。
そんな事を言ったって、巻き込んだのはつななのに。
「しかしオレが戦わなければどうするのだ」
「…………」
今さら他の人を探せるわけがなかった、晴の守護者は了平にぴったりで、他に考え付きもしなかった。
俯いてしまったつなの頭に温かなものがのせられる。
顔をあげると、真剣な顔をした了平がいた。
「戦うのはオレの意志だ。お前が気に病む必要はない」
「お兄さん……」
「大丈夫だ、オレは勝つからな。まかせておけ!」
京子は泣かせないし、お前に心配もかけん!
ぐっと親指を立てて言い切った了平に、つなは落ちかけた涙を拭って大きく頷いた。
そして了平はその言葉の通り、初戦を見事勝ち取ってみせたのだった。
***
全編通して出番ゼロは可哀相すぎたと思ったので。