<05:決戦前夜>
佇む影にザンザスは笑った。
黒衣の赤ん坊――黄色のアルコバレーノ。
「何の用だ、明日の試合の前に抜き打ちか?」
「……つなが泣いている」
「知ってる」
答えてザンザスは振り返った。
そこに立つヒットマンの表情は見えない。
「つなが泣いてんだぞ!」
「知ってるつってるだろうが」
滅多に声を荒げない彼の怒声も軽く受け流し、ザンザスは赤の目を細めた。
「せいぜい鍛えてやれ、先生。俺に殺されないように」
「たわけたコトぬかしてんじゃねぇよ」
チャキ、とザンザスにすら構える時間を与えず、リボーンは銃口を突きつけた。
その漆黒の目には怒りが猛っている。
音で、手の角度で、直感でわかる。
本気だ。
「今ここでテメーを殺しても良いんだぞ」
「……」
リボーンの手に迷いはない。
ただ彼の心が決着するのを静かに待っていた。
目の前の男を殺すまで。
「――テメーは俺を信じてる。俺がつなを殺すわけがないと。俺もテメーを信じてる、テメーがコレをぶっ潰すマネをするわけがねぇと」
ただ、と言葉を切ってザンザスは銃口から視線をそらした。
視線の先には写真立てに入った一枚の写真。
今より少し幼い彼女と、その右腕の少女と。
「チェルベッロは知らん。勝手に一枚噛む形になった」
その言葉で空気が変わり、リボーンは銃をしまった。
それは彼も懸念していたこと。
謎の機関、チェルベッロ。
「九代目直属ってーのは」
「まずねーだろうがよ、家光と俺で上手く持っていくはずだった」
「……もう幹部には知れ渡ってる、今更なにも変えれねえ」
わかってる、と返してザンザスは懐に手を突っ込むとを鈍い色のそれをリボーンに投げた。
「つなに渡しておけ」
放物線を描いてとんだそれを受け取った。
鈍い色のそれは見た目よりずっと軽い。
彼が持つには相応しくないほど、あまりに安っぽいそれにリボーンは眉をしかめる。
「……なんだこれは」
「渡しとけ」
手にしたそれは懐中時計だ。
ただ、本当に安物だ。
おそらく元の色は金なのだけど、薄いメッキはとっくにはがれてしまっている。
「中になにが――」
開けるなとは言われなかったので、勝手に開く。
さび付いている留め金は、案外素直に開いた、手入れはしているらしい。
懐中時計の時は止まっていた。
文字盤を覆っているガラス――いや、これはプラスチックだ――は細かく傷が入っている。
蓋の部分には写真がはめ込まれていた。
これだけは時計と比べて鮮烈なほどに新しい。
「……」
そこにあったのは笑顔だった。
頬を染めて、恥ずかしそうだったが幸せそうなつなの笑顔。
「ちゃんと渡せよ」
「なん、でこれを――」
読めるなら読んでみろといわんばかりに口元を取り上げた男の横顔を、リボーンはにらみつけた。
つなが泣いている。
彼女が、なりふり構わず泣き喚いて、その原因が全てこの男だと思うと。
「テメーに俺は殺せやしない」
静かに言われた。
駄々っ子に母親が噛み含めるようだった。
「――……俺にもアイツは殺せやしねぇ。三つ巴なんだよ」
「使い方がちがう。こんなもん渡してやる義理、オレにはないぞ」
「あるだろう」
リボーンの手の中の懐中時計を見て、ザンザスは浅く笑う。
「それを渡せばつなは立ち上がる」
「……つなはもう修行の覚悟をしたぞ」
「俺を殺す覚悟はないだろう」
「こんなもの渡したら――つなは余計に!」
「だから渡すんだ。渡して――」
つながどうしても殺せない相手。
――きっとザンザスはその一人。
そのザンザスにすら刃を向けることができるか、ファミリーのために。
これは通過儀礼――いつかは越えなくてはいけないジレンマ。
十代目を襲名する時、周囲は必ず言うだろう。
あの娘っ子に、ヴァリアーが、ザンザスが御せるものか、と。
たとえ夫婦となったって言われるだろう。
ザンザスが裏切っても 十代目はその手を上げられるのか
「――渡して、伝えろ。「それは返す」と」
「…………」
決別の証。
ザンザスからの決別。
傍目から見れはこれは裏切り、ザンザスの中でもこれは裏切りだ。
彼女を裏切った。まっすぐな信頼を寄せてくれてきた彼女を。
これしかないと言っても、こんな方法で。
「……殺して、やりてぇ……っ」
押し殺した声で言ったリボーンに、ザンザスは両手を広げる。
「好きにしやがれ、ボンゴレの血に狂ったアルコバレーノ」
そう、その血は甘美な麻薬と似ている。
絶対の信頼、深い抱擁、歪まない意思、曇らない新年。
……きっと多くの人がこの精錬な血に魅せられ飲み込まれてきたのだろう。
「ただし俺を殺すなら、アイツをどうするのか考えてからにするんだな」
きっと、今はそれだけがこのヒットマンの手を止めているのだろう。
ザンザスを殺せばつなはジレンマに苦しまずともいい。
だがザンザスを殺せばつなは間違いなく壊れる。
それがわかっているからリボーンは動けないのだ。
そう、ザンザスがいなくなればこんな事はしなくていい。
ザンザス自身だってそんなことは十分に承知している。
つなをさらって二人だけで誰も知らない土地へ行く。
それは不可能ではないかもしれない。
けれど、それはできない、二人とも。
「後悔させてやる……大空戦を楽しみにしとくんだな」
「ああ」
二人とも、陽光の下で笑う彼女を愛してる。
***
ザンザスとリボーンで1話。
アリかこれ。
つっかけでふらりと外に出る。
修行の間は泊まりこんでいるはずのリボーンがいなかったから。
いや――
「ざん……ざす」
日本にいるのに、すぐそばにいるのに。
呼んでも泣いても声は届かない。
あの暖かい手はつなを抱き上げてはくれないし、零れてくる涙を拭ってもくれない。
「……」
それでもつなは足を進めた。
もしかしたらこの間みたいに、十日前みたいに。
闇夜を闊歩しているかもしれない、もしかしたら偶然会えるかも――
「うぉお゛お゛お゛い゛! なにやってんだぁ!」
ドスのきいた声にびくりと肩を震わせた。
どこからとも無く黒尽くめの――長い銀髪の男が現れた。
「……スペ、ルビ」
兄弟子のディーノが話していた名前。
それを口に出すと、彼は微妙そうな顔をした。
「俺をスペルビっつーのはディーノだけだぁ゛」
「……」
「こんなところで何してんだぁ゛!? ガキは寝る時間だろうが!」
スクアーロの大きな声に、つなは萎縮したように小さくなる。
無言でうつむいてしまった少女に、スクアーロは頭をがしがしかいてやりにっきーんだよクソと呟いてそっぽを向いた。
「とにかく、帰れ!」
「……ザス」
「ああ?」
「ザンザス、ほんとにオレのこと、ヤになっちゃったのかな……」
「……」
スクアーロとしては「宣戦布告後にウザいぐらい落ち込んでたぜ」と言いたかったのだが、とてもそんなことは言えない、言ったら自分が殺られる。
ただでさえ日頃から殴ったり蹴ったり暴言だ、これ以上増やしたくはない。
「ねえ、ザンザスに伝えて」
くい、と服の端を引かれてスクアーロは空を仰ぎたくなった。
気持ちはわかる、ボスにディーノ。
この生き物は確かにかわいい。
「……オレ、信じてるって。ザンザスのこと、信じてるって――でも、裏切られても泣かないって……つたえっ……っく」
「泣いてんじゃねーかぁあ……」
その場にしゃがみこみたくなったのを堪えて、スクアーロはがしがしとつなの頭をかき回した。
それに驚いたのか、つなの眼からこぼれる涙が止まる。
「ったく、いい加減に――っと」
すぐさま手を離してスクアーロは夜闇に溶け込んだ。
立ち尽くして見上げてくるつなを残して。
彼女の後ろには、小さな影が立っていた。