<02:少女の涙>
コン、とかすかな音がして、はやとは食事の支度をしていた手を止めて立ち上がった。
姉ならば連絡の一本でも入れてくるし、山本は鍵を持っているから勝手に入ってくるだろう。
ということはあとは――
「どうかなさいましたか、十代目……」
玄関を開いたはやとの前に、つなが立っていた。
いつもの柔らかい空気が感じられず、はやとは眉をひそめる。
「十代――」
問いかけた言葉は途中で消える。
無言で抱きついてきた自分より小柄な少女の背中をゆっくりと撫でた。
「十代目」
「――っく、やだ、よぅ」
「十代目?」
「やだよ、オレ、ボスになんかなりたくないっ――!」
抑えたつなの叫びに、はやとは目を細める。
ゆっくりと彼女の体を引き寄せて、家の中に招き入れた。
「とにかく、まずは落ち着いてください」
「……っくしゅ」
「ああ、寒かったですね。温かい飲み物をつくります」
「はや、とっ!」
離しかけた体にぎゅう、としがみつかれて、はやとは目を瞬かせてつなを見下ろす。
「指輪……きてる、よね」
「え?」
きょとんとしたはやとは、それでもなんとかつなをリビングに引っ張り上げて、ソファに座らせた。
一向に離れない様子に飲み物は諦めて、机の上に置きっぱなしになっていたそれを取り上げた。
半分に割れた指輪。
ポストに投げ込まれたそれが何であるのか分からなかったものの、なんとなく気になって放置していたのだが。
「これですか?」
「……ボンゴレリング」
「え!?」
慌てたはやとは思わず指輪を落としそうになって、空中で捕まえた。
ボンゴレリングについてははやとも話に聞いてはいたので、今手にあるものがそうだとつなが言うのであれば、本物なのだろう。
ソファーでまるまって、つなはぼつぼつと語り出した。
「オレに指輪がきた、半分だけ」
「……十代目?」
「本来、指輪っていうのはね、ボスと門外顧問がそれぞれ届けるけど、大抵は同じ相手になんだって」
「それぞれですか?」
よく見れば指輪は途中でばっくり割れたような形をしていた。
同じような形をしたものがあれば、綺麗なシンメトリーを描く指輪になりそうだ。
「残り半分は?」
「……っ」
またつなの肩が揺れる。
慌ててはやとは隣に座った。
けれどなんと言えばいいのかわからない。
事態はなんとなく飲み込めた。
次期ボンゴレとその守護者へ贈られる指輪。
それはドンの証、それはボンゴレの証。
それがつなの手元にきたということは、少なくとも九代目か門外顧問のどちらかはつなを十代目に決めたということだ。
しかし――
早すぎる、と感じた。
はやとはつなが十代目に相応しいと思っているし、その思いがこの十年で揺らいだことはない。
つなの生い立ちは特殊だ、生まれてからマフィアに触れていないのだから。
だからこその家庭教師で、だからこそはやとも修行を怠っていない。
しかし、どれだけ二人が切磋琢磨しようとも、所詮つなは最後の候補者だ。
彼女の前にもっと相応しい人物がいる……それは一般的な言い方であったけれど。
なによりつな自身がそれを望むというのだから、はやとには否定のしようもない。
仮に指輪を継承するような事態になったとしても、もっと先のことだと思っていたのだ。
……彼女にはまだ十代目は重い。
「十代目」
「じゅうだいめ、って、よぶなぁっ」
呟いてつなはまた泣き出す。
はやとは優しくつなの背中に手を当てた。
彼女が何を思って、誰を想って泣いているのかはよくわかった。
彼の人の身に何かが起こったのだろうかと危惧しているだろうという事も。
「連絡を取りましょう、ちゃんと聞きましょう。大丈夫、なにかあったはずがないですよ」
「……」
はやとの言葉に、こくりとつなは頷く。
それからそろそろと顔を上げて、涙に濡れた頬をごしごし拭った。
「ごめん、はやと……」
「電話してみますね」
携帯電話を取り出したはやとはアドレスから選び出した番号に連絡をして……浮かない顔で切る。
どうしたのかと不安に顔を曇らせたつなを振り返って、首を横に振った。
「――着信拒否です」
「!」
かたかたと震える手でつなは自分の携帯電話を取り出し。
そして。
「あ――あ……」
壊れた声を出して携帯を握り締める。
開かれた眼はうつろで、顔色は蒼白で。
「……十代目の父君とリボーンさんに話を聞きましょう」
それが一番確実です、とはやとに言われて、つなはよろめきながら立ち上がった。
「うそ……ザンザス、ザンザスっ……」
握り締められた携帯電話には、着信拒否の文字が点滅していた。
携帯が壊れたのであれば、着信不可の表示が出るはず。
それがわざわざ「拒否」になるのは、ザンザスがつな達からの連絡を意識的に拒んでいると同義だった。
かたかた震えるつなの体を支えて、はやとは沢田家を目指していた。
だから――安心した、出かけに咄嗟に呼んでおいた彼の姿を見た時は。
そして彼の肩の上にいる、見慣れた小さな姿にも。
「おい、獄寺につな――どうしたんだ?」
異変を感じた山本は、いつものような底抜けの笑顔をひっこめて、少しだけ神妙そうな顔になる。
彼の肩の上の家庭教師はいつもと変わらない。
「や、やまもと……!」
新たに来た友人の顔を見て、つなは箍が外れたのか、その場にしゃがみこむと声をあげて泣き出す。
「……つ、つな?」
慌てた山本はしゃがみこんで、ぽんぽんと小さな肩を叩くしかなかった。