<00:愚かな男>
思いつきで言っているわけでも、刹那の感情に任せているわけもなく。
淡々と書類にまとめ口頭でも説明し、理論整然と必然性を訴えた。
それを聞いている老人の表情が徐々に悲哀に染まっていく。
ゆるく組まれていたはずの指の節は白く浮き出ていた。
全てが終わった後、老人は戸惑いと悲しみに満ちた声で呟いた。
「……それは」
「やる」
静かに男は決行を断言する。
たとえこの老人が何を言おうとも彼はやるだろう。
他の誰がどう引き留めようとしても、彼は止まらない。
「しかしこれは、あまりにも、お前が」
「俺のことはどうでもいい」
押し殺された声が、男は本当は冷静ではないことを示していた。
だから老人は同意できない、彼が心底望んでいることとは思えなくて。
「私は――私は反対だ。そうだろう、家光」
「――当然だ」
腕組みをして老人の傍らに立っている壮年の男が言った。
先ほどまで被っていたヘルメットは机の上に置かれていて、普段はそれに隠されている鋭い目が男を見返していた。
しかしそんなものには動じず、男は涼しい顔で無視を決め込む。
「これで誰かが再起不能になったらどうする――万が一があったら」
「んなボンゴレは要らねぇ。俺がぶっ潰してやるよ」
男は笑った。
老人の顔が険しくなる。
「――彼らはまだ、十四五だ。雷の守護者に至っては五つだぞ」
「敵がそんな寝言を聞くわけがねぇだろうが」
「しかしっ! 私は認められん! 綱吉たちばかりではない、下手をするとお前達まで」
声を荒げる老人に、男は溜息をついた。
この老いぼれ――肩書き上ではボンゴレ九代目は、十代目候補の少女やその守護者候補たちやら、あまつさえ養子だの暗殺組織のことが大切で目が曇っているらしい。
だから気がつかないのだ、今のままのボンゴレをそのまま十代目に渡したらどうなるか。
ボンゴレファミリーはマフィアの中のマフィア。裏社会の最深部。
彼等がマフィアの中で育たず銃撃戦を潜り抜けなかった十代目など認めるわけがない。
彼らは必ずもう一人の候補を推すだろう、彼にその資格がないとも知らず。
「よく聞け老いぼれ。十四五のガキ共に負けて命取られるようなカスはヴァリアーにいらねぇよ」
「しかし――いや、私は反対だ」
「……ああ。認めたかぁないがつなはお前になついてる。お前が反旗を翻す真似だけでも相当のダメージを受けるはずだ」
いい加減に現実を見ない二人に舌打ちをした。
そんなことを考えなかったとでも思っているのか、少なくともこの二人よりは考えた。
「だからだ」
「何が――」
「……ああ、つなは俺に懐いている。ということはボスになったとて俺を追い出しはしねぇ。それがどういう意味かわかるか?」
「……問題はないだろう」
「大有りだ」
日本人の、平和主義の、女性が十代目に就任する。
彼女は荒くれマフィアを制御しきることはできないだろう、最初の数年は相当てこずるはずだ。
そして彼女の外見は――まったくマフィアらしくない。
対してヴァリアーのトップにはザンザスがいる。
九代目の息子で、実力も実績も申し分ない。
どちらがボスの座にふさわしいかと比べると、ザンザスだと思う人間も少なからずいるだろう、ザンザスとて血が流れていれば自分がボスになる選択もありだと思っている。
どちらにしろ、そうなると確実に――荒れる。
「ボンゴレに内乱はいらねぇ――敵が外にいる間は」
「だが、しかし……」
「老いぼれ。目先に視線を奪われんじゃねぇ。超直感とやらはどうしたよ」
「……九代目」
男の言葉に、九代目は家光の呼びかけにこたえず目を閉じた。
そのまましばらく沈黙し――目を開ける。
瞳に曇りはもうなかった。
「……許可する」
「九代目!」
「家光。お前は帰国してハーフリングを渡せ」
「しかし!」
九代目は首を横に振った。
認めなくてはいけないことだった。
血が、そして理性もそう告げた。ごねてなどいられない。
「つなが、ザンザスとヴァリアーを御したという実例は重要だ……」
「そんなもの!」
「……そう、それがに重要だ」
たとえ二人の仲が良くても。
もしも二人がこれ以上に親密になっても。
その実例は重要だった。
「準備を始める。邪魔するんじゃねぇぞ」
言い放って立ち去った彼の足音が聞こえなくなっていく中、九代目は泣きそうな顔で書類に視線を落とす。
「……家光」
「……なんだ」
「我が息子ながら……なんて愚かなのだろうと思う」
「そうだな」
十代目候補のつなへ、同じく十代目候補のザンザスが挑戦状をたたきつける。
そしてザンザスは無残に負ける。
それが今回のシナリオ、ザンザス自身が提案した脚本。
これをしてザンザスは何も得をしない。
下手すると一生のこる怪我を負い、下手をしなくとも不名誉を引っかぶる。
もしかしたら一生、後ろ指をさされ続けることになるかもしれない。
もしかしたらもうボンゴレには戻れないかもしれない。
それでも彼は決行すると言った。
「……なんて愚かで……愛しいことか」
すべてを、たった一人の少女のために。
***
こんな裏舞台から開始です。