<やくそく>
つなのいる屋敷はとても広い。
いつもは窓や扉や廊下を確かめながら歩いているけれど、ぐちゃぐちゃになった頭でめっくらぽうに走り回っていたら、見事に迷った。
「え、ええと、ここは」
我に返った時はもうまったく分からなくて。
左右を見回して、それから困り果てた。
「……っく」
悲しくて心細くて、蹲る。
どうしていいかわからなくて、だけど戻ることはできなくて。
泣けない。
一人じゃ泣けない、だって怖い。
「うぇ……」
それでも泣きそうになったつなに影が落ちる。
顔を上げると、そこに呆れたような顔をした彼がいた。
「ったく、何してんだこんなところで」
「ざん、ざすぅ」
くしゃりと顔をゆがめたつなの隣に腰をおろして、ザンザスは子供の頭を乱暴に撫でる。
じわりこみ上げてきた涙を必死にぬぐって、つなは泣き声交じりに呟く。
「つな……つな、わるくないもん。つなは、はやととともだちがいいんだもん。ザンザスみたいに、つな、ってよんでほしいんだもん」
そこで我慢できなくなって、つなはぼろぼろと涙をこぼし始める。
一緒に遊んで、一緒に話して。
それから「つな」って呼んでほしかった。
父や母や、九代目やザンザスみたいに。
つなの大切な人はそう呼んでくれるから、はやとにもそうしてほしかった。
「はやとは、つなが好きじゃないの? ともだちじゃないの?」
「そんなことははやとに聞け」
「だ、って。ちがうっていったもん。それだけはだめだって、つなってよばないって!」
頼んだのにダメだった。
お願いしたのにダメだった。
それどころか泣きそうな顔をされて、それでもうんとは言ってくれなかった。
本まで投げつけたのに、それでも。
「ど、どうしよう。はやとに、本なげちゃった。はやと、おこってるかな、おこってるよね」
怒って自分がしでかしたことにつなは怯えた。
物は投げちゃいけない、そう教えられている。
だからはやとに本を投げちゃいけなかった、なのに投げてしまった。
「どうしよう、おこってるよね」
許してくれなかったらどうしよう。
もうそばにいてくれなくなったらどうしよう。
考えれば考えるほど涙が出てきて、つなはついにわんわん声をあげて泣きだしてしまう。
ごめんねごめんねと、こんなところで泣いても何も伝わらないのに。
「……つな。つな、泣くな」
何度も名前を呼ばれて、つなはふっと泣き喚くのをやめた。
怖い顔をしたザンザスが、大きな手でつなの涙をぬぐう。
「お前ははやとを友達だと思ってるんだろう」
「うん。だから――」
「はやとはテメーを友達以上に、主だと思っている。だから「つな」とは呼ばない。わかるか」
「わかん、ないもん」
その主張がわからない。
だってお父さんやお母さんや九代目とは違う。
同じ年で、だから友達なのだ。
友達なのに。
わかんないもん、と呟いたつなにザンザスは諦めたのか溜息をついた。
「じゃあテメーは無理強いをするのか。泣いてわめいてはやとに命令するのか」
「めいれいは、しないよ」
それは「ともだち」のすることじゃない。
だからつなは首を横に振った。
「ならテメーがさっきしたことはなんだった。つなって呼べって泣いてわめいたんじゃなかったのか」
「……ない、もん」
ぶすくれたつなに、ザンザスはその赤い目を細める。
「つなはただ……ともだちになりたいんだもん」
ぺし、と軽く頭を叩かれて、つなは目を丸くしてザンザスを見上げた。
険しい顔をしているけど、機嫌が悪いわけではないのはわかる。
だけど怒っているのかもしれなくて、つなは首を引っ込める。
「つな。友達は強制するもんじゃねーだろうが」
「……ちがうもん、つなは」
「呼び方なんざ自由だ。命令しないっつーんなら命令するんじゃねぇよ。友達になりたいならあっちのことも考えろ」
唇を噛んで、つなは項垂れた。
ザンザスの言うことはつなには論破できないほどに正論だった。
納得しなくてはいけないぐらい正しかった。
それは幼いつなにも知れた。
けれどつなは納得できず、だけど反論もできなくなって。
だけど悲しくて、それだけは堪えきれずにまた泣き出してしまう。
幼い彼女を見下ろして、ザンザスは無言でつなを抱き上げる。
「ざんざ、す?」
「戻るぞ。はやとが心配してた」
「しんぱい、してた? はやとが? つなを?」
「ああ」
つなよりずっと背の高いザンザスはあっという間につなの部屋のある廊下へついた。
そのままつなの部屋の前まで行くと、すとんとつなを廊下に下ろす。
そして無言で背を向けて、立ち去ってしまう。
「……」
つなは、そっと扉を手で押した。
開いたその部屋の中央に、はやとが立っていた。
「は、やと」
おそるおそる声をかけると、振り返って慌てた様子で駆け寄ってくる。
「つなさま! ごぶじでしたか、だいじょうぶですか」
けがはないですか、あぶないことはなかったですか、おそばにいなくてごめんなさい。
繰り返されるその言葉に、つなはじわりとまた涙を浮かべた。
勝手に出て行ったのはつななのに。
ひどいことを言ったのはつななのに。
本を投げつけたのはつななのに。
「ともだち」になりたかった。
だけど、その前につなははやとの「ともだち」であろうとしてなかった。
「ごめんね、はやと」
「ごぶじなら、よかったです」
「本なげて、ごめん。むりなこといって、ごめん」
はやとに同じことをされたら、つなはものすごくたくさん泣くだろう。
すごくすごく辛くて、はやとに会いたくなくなるかもしれない。
でもはやとはつなをこんなに心配してくれたのだ。
「ごめんね、はやと。つなのそばに、いてね」
「はい、ずっとおそばにいます」
頷いたはやとに、やくそくだよと涙を拭きつつ、小指を差し出す。
それに笑顔になったはやとは、彼女の指を差し出してお互いと絡めた。
やくそく やくそく
ずっとそばにいるやくそく
***
投げ出したものを回収してもらいました。
……ひらがなが多いと読みにくいですね(しみじみ