<ゆずれないもの>
「つなさま、おはようございます」
その声でつなは目覚める。
すでに身支度を整えて迎えにきたはやとはいったい何時に起きているのか。
眠くてぐずるつなよしを面倒がるでもなく毎日起こしにきてくれるのは、ありがたくて少し申し訳ない。
同じ年なのに……と早起きをしようと思った事もあったけれど、眠気に負けてしまうのがつなだった。
はやとが用意してくれた服に着替え、顔を洗って髪を梳く。
「つなさま、今日はどうします?」
「じーさまがあたらしい本をかってくれたから、それをよもっ!」
「はい」
つなの提案にはやとはにっこりと頷く。
朝食の準備が整っているからと促されて、つなは母親が待っているだろう食堂まではやとと並んで部屋を出た。
二人が出会ってから一年、毎日が穏やかで緩やかに流れていく。
午前中は特にする事はない。
九代目の遠縁であり十代目候補の一人ではあるが、つなよりも年上で有望な後継者候補がすでにおり、五歳の彼女にマフィアとしての教育はまだ始められていなかった。
だからつなははやとを連れて、屋敷の庭で飼われている犬と遊んだり、部屋で本を読んだりしている。
屋敷の外に出る事は滅多にないが、以前のように一人でつまらないと思っていた時間はなくなった。
あの日はやとの父親と九代目が言った通り、あれからはやとは常につなの傍にいる。
同じ年、しかも同性の子が近くにいるのは嬉しかった。
似た年頃の子供がいない屋敷で、今までつなは一人だった。
奈々もずっとつなの相手をしているわけにはいかないし、大人と子供ではやはり色々なところが違ってくる。
「はやと、これはなんてよむの?」
「これはですね」
聞けばきちんと教えてくれる。
沢山のことを知っていて、つなが聞いても嫌な顔ひとつしないで丁寧に答えてくれる。
先生のような姉のような存在は一年あまりの間でつなにとってかけがえのないものになっていた。
最初にできた大切な友人。
ずっと一緒にいたいと思うし、大好きだけど、ただひとつだけ、はやとに対して不満があった。
九代目にもらった本を読み終えて、片付けながらはやとが尋ねる。
「つなさま、このあとはなにをしますか? このまえうえた花のたねをみにいきますか?」
「……はやと」
「はい」
なんですか、と本を棚にしまって振り向いたはやとは、つなの不機嫌そうな顔を見る事になった。
「なんではやとはつなのことを「つなさま」って呼ぶの?」
「つなさまはつなさまですから」
つなの疑問にはやとは即答した。
つなとしては当然の疑問で、はやとにとっては当然の答えだった。
はやとにしてみれば、つなは主だ、そのような相手を軽々しく呼べるはずがない。
だから世話係の者達と同じように、つなのことを敬称をつけて呼ぶ。
逆につなにしてみれば、はやとは友達なわけで、友達は相手を「さま」付けて呼ばないのだとつい最近知ったのだ。
そこで、はやとが自分の事を「さま」をつけて呼ぶ事に疑問を抱いたわけだが。
「つなって呼んで」
「できません」
「なんで? つなとはやとはともだちでしょ? なのに「さま」をつけるなんてへんだよ」
「…………」
むっとして言い募るつなに、きゅっと眉を寄せてはやとが苦しそうな表情をする。
その様子にはやとを困らせているのだと思って胸がちくりと痛んだけれど、つなはいやいやと首を振って叫んだ。
「つなって呼ぶの!」
「……もうしわけありません。たとえご命令であっても、それだけはおききできません」
はやとから初めて拒絶された事に、つなは目を瞬かせた。
命令したいわけじゃない、友達だから、普通に呼んでほしいだけなのに。
「なんで、だめなの」
「つなさまは、わたしのあるじですから」
「……ともだちじゃないの?」
「そう、思っていただけるのはとてもこうえいです。だけどわたしは」
「はやとのばかっ!」
言葉を遮り、近くにあった本を投げつけた。
はやとなら楽に避けれたはずで、つなもそれを半分予想して投げたにも関わらず、それははやとの肩に当たって床に落ちる。
あ、とつなは小さく呟く。
どうしようどうしようどうしよう。
謝らなければと思うのに、出てくるのは細い息だけだ。
「ひっ……く、」
「つなさま」
はやとが戸惑った声でつなを呼ぶ。
そこにはやはり、名前の後ろにいらないものがついていて、つなは服をきゅうと掴んで叫んだ。
「つなさまってよぶなぁっ!」
泣きながら叫ぶつなに、はやとの瞳が揺らいで、伸ばされかけた腕が力なく下がった。
胸がしくしく痛んで涙が次から次に溢れてきて、口から出る言葉を止められない。
「はやとなんて、きらいっ!!」
その言葉を言ってしまったら、もっと悲しくなってしまった。
はやとが泣きそうな顔をするのを見たらもっとどうしようもなくなって、つなは逃げるように部屋から駆け出した。
***
投げ出しました。