【悲しい5のお題】
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1、疼く傷の痛みだけが、君の生きていた証だから>
刹那=F=セイエイ。
フェルト=グレイス。
どちらもCBに入った時に与えられた偽りの名前。
それまでの人生の全てに蓋をして、その欠片すら残さずに、まっさらな人生という名前の紙を手に二人はトレミーに足を踏み入れた。
まっさらな二人に最初の色を入れたのは、二人とも同じ人物だった。
茶色い巻き毛の、緑色の目をした青年は、二人に沢山のものを教え、抱えきれないくらいの優しくて甘くて温かいものを与えてくれた。
一人は二人に、三人にと増えていった。
くるくるとよく表情を変える少女は、疲れてしまうくらいの楽しい事を。
子供っぽい青年は、悪戯の仕方を。
落ち着いた男は、叱られない謝り方を。
大人びた司令官は、ちょっとしたイケナイ事を。
父親ほど年の離れた男性達は、周りに構われている二人を眺めては笑っていて、たまにこっそりお菓子をくれたり、ハロと遊ばせてくれたりした。
最初まっさらだった紙には乗り切らないほどの色が重ねられて、彩られた紙は二人の中に積み重なっていった。
それは、与えてくれた人達がいなくなったとしても消える事のないもの。
刹那=F=セイエイとフェルト=グレイスの偽りだった人生は、今は確固たるひとつの存在として、この瞬間も生きている。
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2、例えこの声が枯れようとも僕は>
目を開けると、じっとりと背中が濡れていた。
砂漠の夜は酷く寒く、汗をかく事などないはずなのに。
汗をかいたからかカラカラになった喉を潤すために水のボトルに口をつけて、刹那は起きるまでに見ていた夢を思い出す。
起きた瞬間にそのほとんどは忘れてしまったが、断片的な内容は、おそらく三年前の宇宙での戦いの記憶だった。
目の前で助けられなかった命と、散り散りになった仲間の声がいつまでの耳に残っている。
何度も何度も繰り返して見た夢は、古びたフィルムのように同じ場面ばかりを繰り返し刹那に見せてきた。
どれだけ手を伸ばしても、掠めるほどの距離でその手は届かない。
喉を軽く潤して、刹那はコックピットから顔を出して空を仰ぎ見る。
周りに明かりのない砂漠地帯で、雲のない空には幾千もの星が瞬いていた。
星を神話になぞらえて、羊や蠍に見立てているのだと教えてもらった覚えがある。
刹那は興味がなくて完全に聞き流していたが、フェルトは楽しそうに話を聞いていたのを覚えている。
彼女はどうしているだろうか。
トレミーが大破したらしい事は切れ切れの通信で知っていたが、無事なのかも分からない。
宇宙に戻って確かめに行く気にもなれず、だからといってガンダムを捨てることもできなかった。
戻って、非難を受ける事を恐れていた。
ロックオンを助けられずにいたことを、フェルトに詰られるのが怖かった。
フェルトはまだ宇宙にいるのだろうか。
それとももう手の届かない場所にいるのだろうか。
声が届く場所にいればよかったと、少しだけ、後悔をした。
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3、最後の願いごと>
「ダブルオーライザー、出撃します」
「了解です」
緊張を孕んだ声がブリッジの中に響く。
オーライザーの発信準備をしながら、フェルトは画面に映った刹那を見る。
真剣な表情で制御の委譲を待っている刹那に、マイク越しにフェルトは名前を呼んだ。
「刹那」
マイクの音量は絞ってあって、ブリッジの中には届いていない。
手元に集中していた刹那が顔をあげて、視線が絡んだ。
「帰ってきてね」
どんなに怪我をしていたっていい。
負けてきたっていい。
恰好悪くたって構わない。
生きて帰ってきてほしい。
ただいまといってほしい。
おかえりと言わせてほしい。
その思いが伝わったのかは分からなかったけれど、刹那は一瞬だけ目元を緩めて、小さく頷いた気がした。
「ハッチOKですぅ!」
ミレイナの声にはっとする。
スメラギが、張りのある声で指示を下した。
「ダブルオーライザー、発信準備!」
「……制御、委譲します!」
「刹那=F=セイエイ、出る」
オーライザーがあっという間に視界から消えていく。
レーダーを見て、トレミーから離れていくのを確認しながら、フェルトはぎゅっと目を瞑った。
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4、傍に居られるならそれだけで良かったのに>
ミーティングルームの片隅のソファに凭れかかって眠り込んでしまっている刹那を見つけて、フェルトはそろそろと近づいた。
気配には敏感な刹那だが、フェルトが相手だとそれは例外らしく、眉間に眉を寄せたまま眠っている。
戦いは激しさを増して、トレミーの乗組員は日々忙しさに追われている。
トレミーそのものでの戦闘も回数を重ねているため、消耗も損傷も激しく、火気すら騙し騙し使わなければならない有様だ。
沙慈やマリーも修復を手伝ってくれるもののそれだけでは追いつかず、最優先されているガンダムの機体でもそれは同じ。
本当は休ませてあげなければならないマイスターさえも修復と調整を任されている。
本当は自室でゆっくり休ませてあげたいけれどそれが叶わないならば、せめて仮眠くらいは穏やかに取らせてあげたい。
眠っている間でさえ眉間に皺を寄せなければならないくらいに、負担をかけてしまっている事が心苦しかった。
「ごめんね、刹那」
声にはせず、唇だけを動かしてフェルトは囁く。
起こさないようにとそっと机に畳み置いてあったブランケットを肩にかけようとすると、刹那の唇が小さく動いた。
眉の皺がさらに深くなる。
何にうなされているのだろうと固まったフェルトは、ついつい刹那の口に視線がいってしまう。
形にならない動きを何度か繰り返して、それからやっと読み取れたのは人の名前のようだった。
それは、黒い髪の王女の名前。
「……」
そっと刹那にブランケットをかけて、フェルトは部屋を後にする。
胸に小さくのしかかった重みから目をそむけるように、早足でブリッジに戻ってコンソールに手を伸ばした。
ずっと一緒にいられると、心のどこか信じていた自分に気付いたと同時に、いつまでも一緒にはいられないのだと悟ってしまった。
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5、それが思い出に変わるとき>
机の上に乗せられていた写真立てをフェルトは手にする。
毎日眺めていたそれに埃は積もっておらず、それを大切にハンカチに包んで、フェルトは鞄の一番上にそっとそれをしまった。
ほとんどの荷物はもう新しい家に送ってしまった。
小さなボストンバックを手に部屋を出たフェルトに、外で待っていた刹那が気づいて視線をあげる。
「準備できたか」
「うん、お待たせ」
刹那の荷物はフェルトのものよりもずっと小さかった。
隣に並ぶとさりげなく荷物が刹那の手に持たれて、お礼を言うと、照れたように刹那は前に視線を向けて数歩先に行ってしまう。
思わず笑ってしまうのをなんとか堪えて、少し歩調を速めて刹那に並んだ。
「スメラギさん」
「ああ、もう行くのね」
「はい」
「ミス・スメラギはどうするんだ」
「私も明日には出るつもりよ。ビリーが迎えにきてくれるの」
ブリッジを覗くと、スメラギが二人を見止めて頬を緩める。
「そうして見ると、まるっきりそこらにいるカップルみたいよねー」
「……」
「……」
「……ごめんなさい、私が悪かったわ」
この手のからかいに慣れていないのをすっかり忘れていたわ、と赤面している二人に苦笑してスメラギは席を立つ。
温かい手がそれぞれの手に重ねられて、スメラギを見ると、いつも気丈に振る舞っていた瞳が潤んでいた。
肩を抱き寄せられて、抱きしめられる。
「今までありがとう。辛い思いを沢山させてごめんなさい。これからも元気でね」
「……スメラギさんも」
「今まで世話になった。ありがとう」
「住所決まったら教えてくださいね」
「ええ、きっと。遊びにきてちょうだい」
元気でね、ともう一度肩を叩かれて、二人はブリッジを後にした。
トレミーを降りて、最後にもう一度だけ振り仰ぐ。
今まではここが家だった。
この心境は、一人立ちする子供の心に似ているのだろうか。
「少し、寂しいね」
「……そうだな」
ここには思い出が詰まっている。
辛いものも悲しいものも沢山あったけれど、それと同じくらいに忘れたくない思い出が。
――どちらも、ずっと忘れない。
「忘れないよ」
「ああ、忘れない」
忘れられない。忘れたくない。
(それはすべて私たちをつくっているものだから)
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悲しい5のお題(
提供先は0607)
刹フェルにするつもりがどこかの兄貴追悼になっている。
でもそもそもが 刹→ロク←フェル なんだから仕方がないと言い訳をしてみた。