<本命はふたつ>
かしゃかしゃかしゃん。
不規則に擦れる金物の音を耳にして、スメラギはひょいと開けっ放しだった食堂の中を覗いた。
調理室を使うのはトレミー乗員の中ではロックオンだけだ。
けれどその彼は今、食堂の机の上に突っ伏して、がしがしとカップの端を齧っていた。
手で支えているわけでもなく、カップが倒れたら中身が机に零れてしまいそうだと思ったが、中身はすでに空らしかった。
……というか、いい年の大人が行儀悪い。
その隣には刹那もいて、こちらは画面でマニュアルなのか細かい文字の羅列を目で追っている、ように見えて、スクロールがちっとも動いていなかった。
つまりは二人とも心ここにあらず、という感じだ。
「なにしてんのよ?」
「……フェルトが調理室使ってんだよ」
「え、一人で?」
「手伝いはいらないって追い出された……」
俺はもういらないんだー、とこれみよがしに悲嘆してみせるロックオンにいちいち付き合っていたら日が暮れてしまう。
はいはいと軽くあしらいながら、頭の中では俄然フェルトへの興味が湧いてきていた。
フェルトも他のクルー同様、自主的に料理などまずしない。
この点に関しては皆がサボっているわけではなく、宇宙では食材やらが手に入る機会があまりない上に作り出すともれなく全員分作るはめになるからだ。
唯一の例外がロックオンで、彼が料理をするのを手伝うという理由でフェルトと刹那が時たまやるくらい。
それから更に稀に、刹那と二人で作っていたりする光景を見た事はあるけれど、そんなフェルト一人で何を作っているのだろうと考えると気になるではないか。
私は入るなって言われてないからいいよね、と勝手に結論を出して、スメラギはちょこちょこと調理室に潜り込む。
刹那と色違いの、薄い桃色に端に白く花を象った模様がついているエプロンをかけて、フェルトは鍋と格闘していた。
ちらりと見えた中に入っているものは、どろっとした黒い液体だ。
ふんわりと鼻をくすぐった甘い香りに気付かないほどスメラギだって女を捨てていない。
そう、明日は日本でいうところの2月14日だったか。
「フェールト」
「スメラギさんっ!」
ぴこん、と髪の束を揺らしてフェルトが振り返る。
スメラギが入り込んだことに気付かないほど集中していたらしい。
その頬にチョコがついていて、スメラギはくすくすと笑いながらそれを指先で拭ってやった。
ぺろりと指についたそれを舐めれば、当然甘い。
「頑張って作ってるのねぇフェルト〜」
隠し切れない笑みを浮かべて言えば、ぐっと一瞬言葉を詰まらせたフェルトは必死で弁明を試みる。
「今日は女の子が男の子にチョコをあげる日だってクリスティナが言ったから……ロックオンと刹那にはいつもお世話になってるし」
「うんうん、で、どっちが本命なの?」
「そういうのじゃありませんってば!!」
顔を真っ赤にして叫ぶフェルトがあまりに楽しくて、スメラギは照れなくてもいいのよと手を振る。
からかわれているのは分かっているので、フェルトも微かに頬を膨らませて、ぷいとチョコを溶かす作業に戻ってしまった。
おしゃべりしている間に少し湯が冷めてしまったようで、鍋の中のチョコレートは少しどろっとしてしまっている。
「あ、ごめんね、邪魔しちゃった?」
「……これくらい固い方がやりやすいですから」
よいしょ、と鍋を湯から出して、中のチョコをラップの上に出して包んでいく。
どことなく危なっかしい手つきに手伝おうかと口を出すと、ふるふると首を振られた。
「一人で作りたいんです」
「ああ、もしかしてロックオンを追い出してるのって」
「……ロックオンがいると、絶対手伝ってくれるから」
こればかりはロックオンも刹那も手を出してほしくないらしかった。
見ている方がはらはらするような手つきで包む真剣な姿を見ながら、女の子はこれだから可愛いのよねぇとスメラギは目元を和ませる。
頑張ってね、と冷蔵庫から向こうでまんじりとしているロックオン達のためにお茶のペットボトルを出して調理室を後にする。
「上手くできたら私にも少し頂戴ね」
「……皆の分、ありますから」
「あら、そなの?」
「ありますからっ!!」
「楽しみにしてるわ」
けらけらと笑って調理室を出ると、じっと見ているロックオンと目が合った。
とん、と目の前にお茶のペットをおいてやると、随分と楽しそうでしたねぇと恨みがましい声で言われる。
そんなに気になるのなら気付かれないようにこっそり様子を見に行けばいいのにとも思うが、そういうところは律儀だ。
「頑張っちゃってるわよ〜フェルト」
「もうケガしねーか心配で心配で……」
「俺も入れてもらえない……」
ぶすくれている刹那にスメラギは更に笑って、期待して待っててあげなさいと黒髪をくしゃりと撫でてやった。
あんなに頑張って気持ちが込められたものを受け取れるのだから、それまではじりじりと待っているといい。
「ああ、でもあんなに気持ちの入った本命もらったら、お返しが大変ね?」
「「…………あ」」
「頑張って今から考えといたら?」
黙りこくった男二人をひとしきりからかって満足したスメラギは、ついでに地上に買出しに行っているクリスティナに自分用のチョコも頼んでおかないとと通信機を取り出した。