もう何も信じなかった。
何も聞きたくなかった。
疲れていたんだ。

子供だけが癒してくれた。




<Schutzer 5>





マネージャーが約束した世話人は来なかった。
どうなっているのだと、電話をする気も起きなかった。
おそらく父親の妨害にあっているのだろうと思うと、むしろ電話をしてやめさせたほうがいいのかもしれないが、あのマネージャーに細かい理由を説明するのも面倒なので、向こうが電話するまで放置しておくことにした。

「ベェダー、ベェダァ♪」
「明日は辞書買いにいこうなー、カタカナで発音が書いてあるやつ」
「じしょ?」
楽しげにコンビニ弁当を食べていた刹那が顔を上げて首をかしげる。
その仕草にニールは微笑んだ。
「刹那、お前何語しゃべってんの?」
「・・・?」
「中東っぽいけどな、顔は。中東つったらアラビア語?」
「アラビーヤ!」
フォークを振り上げて言った刹那に、ニールは苦笑して右手を押さえる。
「振り回すな、ちゃんと食べろ」

そう言われて刹那はフォークの先をとりあえず下に向ける。
「くおん」
「ん?」
「ベェダァ」
その先に突き刺さったものを見て、ニールは返す。
「それは卵、だな」
「たまご」
「そう、たまご。卵焼き」
「やき・・・?」
卵、に焼きがくっついたのに困惑したのか刹那が眉をひそめる。
「たまごじゃない?」
「卵焼き。卵は白くて丸いだろ」
「うん」
「それを割って焼いたのが卵焼き」
懇切丁寧に説いたのがよかったのか、刹那は納得した顔になって今度はコップを持ち上げる。
その中身はもちろんホットミルクだ。

「ラバン!」
「なるほど、それはミルクだな。ラバンっていうのか」
「ラバン」
わかってもらえたのがうれしいのか、刹那はご機嫌顔でミルクを飲む。

うっかり写真を見て茫然自失になり刹那の前でみっともなく泣いた後、ニールは今後どうするかをしばし真面目に考えて結論を出していた。
その結論を出してから刹那と接してみれば、言葉が足りなくていらついていた対先ほどまでの自分は何だったのだろうと首を傾げられる。
刹那はけして言葉足りずなわけではない、彼の言いたいことの大半はその表情から読み取れた。

一度コンビニに出たときの事を思い出せば、刹那はおそらく母親以外との交流がほとんどなかったのだろう。
そう思って改めて刹那と接すると、一つだけ奇妙なことがあった。

ニールはそれを尋ねたかったが、答えが返ってくるのが怖かったのかもしれない。
その答えがニールの予想通りなら。
「刹那」
話しかけると、魚のフライを食べていた刹那を口の中のものを飲み込んでじっとニールを見上げてきた。
「何歳?」
「?」
わかって居なさそうな顔に、ニールは自分を指差す。
「俺は十四。十と、四歳。刹那は?」
それに意を得たのか、刹那は自分の両手を差し出した。

「なな」

「誕生日は?」
「たんじょ・・・」
質問に一瞬考え込んでから、刹那は指を四本出した。それに続いて、七を作る。

四月七日。

「刹那、お前・・・学校、は?」


聞くまでもない。
刹那の部屋にランドセルはなかった。

四月七日生まれの七歳なら、小学一年生のはずなのだ。
どうして。




考えるより先に手が動いていた。
一応アドレス帳に登録してある番号を呼び出す。
相手が出た瞬間、怒鳴っていた。

「おい!」
『・・・なんだ、お前か』
冷えた声。
「***って店の女覚えてるか」
『逃げた女に興味はない』
「ちげーよ! その息子だ! テメーの子だろうが! 刹那だよ、刹那!」

相手はしばし沈黙する。
いきなり電話に向かって怒鳴りだしたニールを刹那は怯えた表情で見ていたが、その怒鳴り声が自分に向かっていないとわかったのか弁当を食べ続ける。
・・・意外に神経が太い。

『ああ、それが』
「戸籍はあるのか!?」
『さあ』
冷めた父親の言葉に、二ールが怒りを爆発させた。
思えばそれは、父が家に寄り付かなくなって壊れていく母を見ていたときからずっと胸にくすぶっていたものかもしれない。
「今すぐつくれ! 小学校にすらいかせてねぇってテメーはそれでも親かよ!?」
『お前に関係ないだろう』

心底うんざりしたような声に応戦され、ニールは怒鳴った。

「俺は刹那の兄貴だぞ!? 関係大有りだ!!」
『・・・・・・怒鳴るな』
ぼそりと受話器の向こうで呟いたので、切られる前にニールは叫んでおいた。
「刹那の面倒見るから芸能活動を停止する! テメェのせいだから事務所には言っとけ!」


ぶちっと通信を遮断して、ニールはため息をついた。
体裁も何も気にしない男だったが、父から事務所へ連絡が回れば幾分か楽に予定が進められるだろう。
そう、ニールはもう謹慎が解かれても戻るつもりなんてなかった。

あの世界は好きだ。
ディアッカやイザークも大好きだ。
だけど。


「くおん・・・?」
「刹那、あのな。オンミはしばらく帰ってこないんだ」
その言葉を理解したのか、刹那がしゅんとなった。
小さな声でオンミ、と呟いている。
「代わりにはならないけど、俺がずっといるからな」
我慢してくれよ頼むから。
そう呟いたニールは、驚いた。

刹那が椅子に立って身を乗り出して、ニールの頬をぺちと触れていた。
それから笑顔で子供はいった。

「くおん、サワサワ」
「ん、そーだな」
何を言っているのかよくわからなかったけれど、拒絶されたわけではないことに頬が緩んだ。










芸能活動を休止。
刹那の面倒を見る。
そう事務所にニールが伝えたのは実に二日も後のことだった。
ついでにマネージャーはそれまでニールの父の妨害に散々あいつつがんばっていたらしく、ニールの決意を聞いて砂になったとかならなかったとか。

『ほんとーにどーなるかとおもったよ・・・』
「わるいわるい。サンキュ」
『でも本当に大丈夫かい? その、君は一人暮らしの経験なんて・・・』

マネージャーの声にかぶさって音が聞こえる。
慌ててニールはそれを止めに廊下を走った。
「ちょ、わりぃ後で! 鍋が吹き零れてる!」
『え、鍋!?』
「刹那がうどん食いたいって言うから・・・おいこら刹那、危ないから近寄るな!」
携帯を椅子の上に投げてニールは大またで近寄ると刹那の襟首をぐいと引っ張る。
のどが詰まってうぐうと声を上げた刹那をぺいっと投げて、火を止めた。
「はあ・・・刹那、マルヌーウ」
「・・・む」
近づくのを禁止されて刹那は口を尖らす。
しかし一応おとなしく引き下がった。
「禁止、禁止。覚えたか」
「マルヌーウ。きんし」
こくり頷いたが、満足そうな顔ではない。


購入したアラビア語辞典をひきまくり、ニールは刹那に日本語を覚えさせようと奮闘していた。
ニールがしゃべれるようになるより、刹那がしゃべれるようになる方がはるかに早いはずだ。
テレビのおかげか、刹那の日本語力は当初ニールが思っていたよりずっと高かった。
ただ、ふっと口をついて出るのがアラビア語なだけのようだ。
「うわ、熱っ。よし、できたぞ刹那」
ねぎはダメだと言った刹那のために、それを抜いていびつに切られたかまぼこを入れる。
卵はかなり好きなのがわかっていたので、コンビニで買った半熟卵をのせてやる。
「うどん! うどん!」
「まだまだ、ちょっと待ってろ」
ついでに揚げ玉(コンビニのうどんには入っていて、刹那がいたく気に入っていたのでスーパーで買ってきた)を入れて、わかめをのせてでき上がり。
「ほら、熱いから気をつけろよ」
ちゃんとニールが忠告したのに、刹那は受け取ってから悲鳴を上げる。
「サーヒン!」
「熱いだろばか! こぼすな!」
ゆれたうどんを思わず受け止めて、ニールは反対側の手でスッ転びそうになった刹那を捕まえる。
「ほら、気をつけて上のほうを持ってゆっくり運べ、な」
「・・・うん」

こくり頷いて器の上のほうを持ち、ゆっくりとダイニングの方へ刹那は自分の分を運ぶ。
椅子に登るようにして腰掛けて、あらかじめおいてあった箸を手に取り食べようとしてからふっと視線をさまよわせて箸をおき、とたっと降りてきてぱたぱたとニールの元へ戻ってくる。
ちょうど自分の分のうどんの用意をしていたニールは、どうした? とお玉片手に振り返った。
「はこぶ」
「え・・・あ、ありがとな」
「うん」

ニールの分の器を持って、えっちらおっちら運んだ刹那は満足げな表情でダイニングに入ってきた彼を迎えた。


 

 

 



***
ロックオンもといニール君の刹那教育、開始。
同居は余裕でパス、一緒にお風呂も入れます。

サワサワ→一緒 の意。