昔から子供は嫌いだった。
子供は理屈が通じなくて。
泣いてばかりで、扱いにくくて。
・・・今度もそれと同じだった。
<Schutzer 2>
マンションに足を踏み入れて、少年は少し後悔した。
ニールを預かるはずだった女性は、鍵をマネージャーに渡して働きに出てしまったらしい。
君が遅れたから、とマネージャーの無言の責めを無視してニールはマンションへと向かった。
だがこれは予想外だった。
足を踏み入れた玄関に、毛布を下にひいて丸まって、子供が一人寝ていた。
親指をくわえて、両足を小さくちぢこめている。
黒い髪がその顔を覆っていたが、わざわざどかしてみるまでもなく、その頬に涙の跡があるのは明らかだった。
「・・・チッ」
舌打ちと共にニールはとりあえず部屋に上がりこむ。
だが床を踏むきし、というわずかな音に子供は目を覚ました。
「オンミ・・・?」
小声でなにか言うと、目をこすりながら起き上がる。
まさか起きるとは思っていなかったので、慌てたニールは子供から距離をとった。
「・・・! ミーン!!」
子供は起き上がり、それが見知らぬ相手だと気がついたのか、毛布の中に自分を隠しながら叫ぶ。
意味不明の言葉に、ニールは苛立ちながら返した。
「日本語しゃべれよ!」
「・・・あ・・・」
ひくり、と子供の肩が跳ねる。
もしや、と嫌な予感がしたら案の定、その大きな目にみるみる涙をためて泣き出した。
「・・・っく、ひっく、オンミ、オンミ」
繰り返す呼ぶそれが多分、「ママ」の意味なのだろう、きっと、おそらく。
しかし、行く先が日本語すら通じない子供相手だとは聞いてない。
ベビーシッターもなにもないではないか。
「おい、泣くなよ」
「ふえっ・・・えっ」
「あーあー、悪かった、俺が悪かったから。あ、ほら」
出掛けにディアッカに渡されたものの存在を思い出してポケットから取り出す。
お前に絶対子守なんかできるか、とディアッカは秘密兵器をいくつか渡してくれたのだ。
「ほーら、飴だぞ飴」
「あ・・・」
子供の目が瞬く。
やはり古今東西子供は飴好きのようだ。
「イチゴだぞ〜イチゴ」
「いちご・・・」
鸚鵡返しに繰り返し、子供はその手を飴に伸ばす。
「ほしいか?」
首肯したところからして、言葉はどうやら通じているらしい。
少し安心してニールは飴を子供に渡す。
包み紙を開いて、いそいそと飴を口の中に押し込んだ。
「えっと・・・名前、名前は? ネーム?」
尋ねながらニールは腰を落とす。
ディアッカに「子供相手には目線を合わせろ」といわれたのを思い出したからだ。
子供はしばらくその大きな目でニールを見ていた。
そして、彼が我慢の限界に達する直前に口を開いた。
「せつな」
「・・・そ、そうか」
あんまりに遅い反応に堪忍袋の尾が切れ掛かっていたニールは、ため息と共に立ち上がろうとした。
が、彼の少し長めの髪はセツナの手に引っ張られていて。
「うぎゃっ・・・な、なにすんだこのっ」
「なまえ。シューイスマック」
「あ、ああ・・・俺は・・・」
栗色の髪を子供の手からほどいて、ニールは名乗ろうとして、止めた。
この名前がきらいだった。
あの親のつけた名前だから。
「俺は」
何も考えず、素直に ニール=ディランデイを名乗れていたのはいつのことだろうか。
それはとても昔だと思う――あまりに昔の、記憶。
「・・・俺は」
「?」
首をかしげた子供の前で、ニールは唇を噛んで。
言えない自分に嫌悪して。
それから、静かに覚悟を決めた。
「ロックオン」
「くおん」
即座に反復したセツナの言った名前は、いろいろ大事なものが抜けている。
「ロック・オン」
「・・・くおん?」
しばらく考えて繰り返したのはやはり一度目と同じで、ロックオンは諦めることにした。
ディアッカによる子守講座その2.真っ当に相手をするな。
「・・・・・・・・・くおんで、いい」
「くおんー」
名前を呼んで。
その時初めて、ニールはセツナの笑顔を見た。
家に転がり込んだものの、テレビを見るしかすることがない。
早く謹慎が解ければいいのにと、それだけしか思えなかった。
「くおんー」
「・・・今度は何だ」
「ほん よめ」
「命令形かよ」
片眉を上げて突っ込んだが、セツナには無意味だったらしく絵本をニールの手に押し付けてくる。
これも仕事のうち仕事のうちと自分に言い聞かせつつ、ページを開く。
中身は真っ当に日本語の絵本だ。
・・・何語か知らないがセツナの喋っている国の言葉は絶対読めない。
「・・・そして、桃太郎は鬼を退治しました」
「・・・・・・・・・」
読み終えて隣にいたセツナをみると、こっくり舟をこいでいやがった。
このヤロウと思って頭に血が上ったが、ちょうどそれを律するようにニールの携帯が鳴る。
誰だと思って見ると。
「何のようだディアッカ」
『そろそろガマンが限界じゃないかと思ってな。海の心だ海の心』
「人が本読んでやったのにねたんだぞこのガキ!」
電話の向こうで彼が笑った。
『そりゃ上出来。お前子守の才能あるわ。寝てるならほっとけ、毛布かけてな』
「・・・謹慎が解ける前に脱走しそうだ」
ぼそり本音を呟いてみれば、ディアッカはくすくすとさらに笑う。
『じゃあ子守のヒントその3.相手の意思を尊重しましょう』
「・・・おい」
『じゃあな♪』
ピッ、と一方的に会話を切られニールは携帯を握り締める。
だが機械にあたってもどうしようもないので、諦めてセツナが握っている毛布を広げて彼の上にかける。
「あ・・・そうか」
すやすや寝ているセツナをみてようやく気がついたことだが、子供が寝ればニールの「子守」という仕事は終了し、好きなことができるのだった。
***
ディアッカのサポートを受けつつニールの子守奮闘は続く。
刹那が6歳のわりには言葉が遅いあたりは・・・刹那ですから! で済ます。
なお彼が喋ってるのはアラブ語です。