で、何がどうなったのよ。
渋い顔のスメラギにティエリアが眼鏡を拭きながら答えた。
「大気圏降下を想定してGをかけていたので」
「ええ、それで?」
「練習用のヘルメットがそれに耐え切れず、破損した隙間から酸素が漏れ結果として肺内圧力が降下し」
「ええい、まどろっこしいわね。何だって言うのよ」
「・・・肺が酸素を取り込めなくなり、酸欠になったと思われます」
「なるほど。整備士をきつく叱っておくわ」
「徹底的な見直しを彼らの身をもってあらかじめしておくことを進言します。アレルヤが気がつかなければ持って行かれていました」
眼鏡をかけながらティエリアが言った言葉に、スメラギは柳眉を寄せた。
「・・・で、容態はどうなの」
「さあ。回復はすると思いますが」
脳や体の機能に何らかの障害が出る可能性はあります、と言われてスメラギは厳しい顔になった。
<Vanished Pain 1>
妙な倦怠感を覚えて、目を覚ます。
その倦怠感と思ったのは倦怠感ではなく――そうだ、浮遊感。
両手を握る――開く。
足の指先も正常に動いた。
頭はそれと同時に回転を始める。
目の前に下がっていたのは自分の前髪で、うっとうしくそれを手で払った。
「あ・・・! だ、大丈夫ですか!? 何か気持ちが悪いとか」
覗き込んで心配そうな顔をしたのは、二十歳前後の男性だった。
優しげな印象を与える顔とは違い、鍛えられた上半身が見える。
「刹那とフェルトがずっとついてて、今むりやり寝かせたところで」
あ、でも起こしてきたほうがいいのかな。
そう言って立ち上がった彼の手を、慌てて掴んだ。
「おい」
「何ですか? ロックオン」
その名前に覚えがなくて、確信した。
「人を呼ぶな。あんた、俺とは親しいか?」
「え・・・? ど、どういう意味ですか」
「俺の同僚はどこだ」
「ど、同僚? ロックオン、どうしたんですか。僕は同僚、ですよね、たぶん」
不安げな表情を浮かべた彼に心の中で合掌して、厄介ごとを背負ってもらうことにした。
「悪いが、俺は自分の名前もあんたの名前もわからない」
「・・・は?」
「ここは宇宙だな。あんた軍人には見えないが、ここは軍か?」
「な――ちょっと、悪い冗談はやめてくださいよ」
「冗談抜きだ。ん? 何で敬語なんだ」
「・・・そりゃ、あなたは僕より年上ですから・・・初めてですね、敬語について突っ込みを入れられたのは・・・これは、面倒なことになったよ、ハレルヤ・・・」
つぶやいてから彼の顔がきっと引き締まる。
どうやら言うことを信じる気になったらしい。
「わかりました。では自己紹介をします。僕の名前はアレルヤ=ハプティズムです」
「俺は」
「あなたは、ロックオン=ストラトス――と思っておいてください」
微妙な彼の言葉に、ロックオンは眉をしかめる。
何かを含むような言葉だったが、それが何かわからなかった。
「ここは軍、ではありませんが類似の組織です。どうしてわかったんですか?」
「俺の右手に肉刺がある。銃を扱ったときに出来る特殊な肉刺だ。俺はそれがつぶれて硬くなるまで引き金を引いたらしいな」
「・・・」
黙ってうつむいたアレルヤは、しばらく黙っていたが居直ったのか割り切ったのか、顔を上げた。
「ここは、軍事力を保有する組織です。名をソレスタルビーイング。僕たちはそのガンダムマイスター・・・ええと、MSを操縦するパイロット」
「なるほど。あんたもその一員ってわけだな」
「他に、もう二名。刹那=F=セイエイとティエリア=アーデがガンダムマイスターです」
「ちょっと待てMSのパイロットがたった4名!?」
「十分なんです」
驚いた顔をしたロックオンに笑って、アレルヤは気が重い話の続きをした。
「僕たちは秘密組織です。どの国にも属さない。戦争に武力を持って介入する、それを信条に現在は――活動のタイミングを待っている状態です」
「へえ、まるで夢物語だ」
「そうでしょうね――僕は今もそう思います」
そう言って、それでもと重ねた。
「僕たちはガンダムマイスターです。あなたはそのリーダーだ」
「艦の中の立場は」
「余り序列は存在していません。僕たちは特に独立的な位置にあると思います」
「あ、そう・・・んで?」
穏やかに話す彼を値踏みしながら、ロックオンは上半身を起こした。
特に体に痛みはないし、頭を怪我している様子もない。
このアレルヤという彼はなかなかの好青年だが、ややのほほんしすぎているきらいがある。
状況把握はロックオンより出来ているはずなんだが。
「組織のことはわかった、とりあえず俺のことを教えてくれ」
「え?」
「・・・あのな、俺が記憶なくしたってばれたら面倒なんだろう?」
「それは・・・それは、そうかもしれませんけど」
「一人称はこれでいいのか」
「あ、はい」
「他に口癖とか。他の奴との関係とか」
なにかあるだろう、と言われてそこで初めて。
アレルヤは彼の決定的な違いに気がついた。
「おい、アレルヤ」
「・・・ロックオン」
「なんだ」
「・・・・・・あなた、今まで一度も笑っていませんね」
「俺は笑う奴だったのか」
「・・・ええ、よく冗談を言って、笑って」
唇をかんだアレルヤにため息をついてから、ロックオンは口元に笑みを浮かべると手を伸ばして彼の頭の上においた。
「で?」
五分だけね、とアレルヤに念を押されて刹那とフェルトは我先にと医務室へと入る。
「だめ、静かに」
「・・・はい」
「ああ」
アレルヤに注意されて二人はなるべく歩いた。
でもどうしても、足が急く。
カーテンの向こう側に。
向こう側に。
「よぉ、刹那にフェルト。心配かけたなー」
いつもの笑顔で、ロックオンが居た。
フェルトは立ち止まって、刹那は駆け寄った。
「何で、なんで気がつかなかったんだ」
「ごめんなー、今度からは気をつける。フェルトも、二人でずっと付き添ってくれてたんだろ」
ありがとな、と言って頭をくしゃくしゃ撫でられて、刹那は顔をほころばせた。
ああ、いつものロックオンだ。
「ロックオン・・・ロックオン、よかった」
「ほら、フェルトも来い」
手招きされて、フェルトもふらふらとロックオンに近づく。
もう片方の手を少女の頭に載せて、ロックオンは微笑んだ。
「二人ともありがとうな、俺はもう大丈夫だ」
「心配した・・・よかった」
「目が覚めないと、思った」
口々にそう訴えた二人をわしわし撫でて、ロックオンは微笑んだ。
「もう大丈夫だ」
「うん・・・うん」
「ほら、二人とももう時間だよ。また次の休憩時間に会いにおいで」
やんわりとアレルヤに退出を促され、刹那とフェルトは名残惜しげな目をしたが、しっかりと頷いた。
「またくる」
「またくる」
同じ言葉を言って、たったと二人は出て行く。
完全に医務室の扉が閉まったのを確かめてから、アレルヤは振り返った。
ベッドの上で穏やかな笑みを浮かべていた彼は、今は無表情になっていた。
「お見事、でしたね」
「やれやれ、人気者でこまるねえ」
「・・・顔がついていっていませんよ」
遅ればせながら笑みを浮かべたロックオンは、首をこきこきと回した。
「で、もう一人の同僚のティエリアとかは」
「ティエリアは・・・真面目で自分にも他人にも厳しくて、だけど」
「ああ、それを早く言ってくれ」
目を細めて呆れたようにいわれ、アレルヤは瞬きをする。
何を?
「アレルヤの恋人だろう」
「ちっ――違いま・・・いや、違わないです・・・けど」
真っ赤になったアレルヤが恋人への賛辞をぼつぼつというのを聞きながら、ロックオンは肩を回して自分の頬をうにと引っ張った。
笑顔は、疲れる。
子供の相手も、好きじゃない。
なのに自分だった「ロックオン=ストラトス」は、何だってあんなのにまとわりつかれつつへらへら笑って生きていたのか。
(せめて記憶がちょっとでも戻ればなあ・・・)
そうすればあの黒髪の少年にも。
桃色の髪の少女にも。
なにか、親しみを感じることが出来るのかもしれないけれど。
***
序章的に。
ロックオンのあの兄貴っぷりは苦労とか経験とかで出来上がったものだと思う。
だから、それが全部ないとただの24歳。