<手袋とマフラー>
 

 


朝食の用意の仕上げを終えたところで、ロックオンはまだ起きてこない刹那を起 こしに寝室に足を運んだ。

低血圧らしい刹那は普段から目覚めはよくない。
予定がなければ昼間で起きてこない事もあるし、うまく眠れていない日は船を漕 いでいる時もある。
しかし定められた時刻にはきっちり起床する習慣をつけているから、今日は八時 には起きてくると思っていた。
今日は昼過ぎにはミッションのためにこの街を発たなければならない。
アレルヤとティエリアもすでに別の場所から集合地に向かっているはずで、昼一 番の電車に乗らないと約束の時間に間に合わなくなる。

それまでに買っておきたいものもあるから、少し早めにここを出ようと刹那に告 げたのは昨夜のことだ。
その会話に刹那はしっかり頷いていたから忘れているわけではないはず・・・も しくは予定と認識されていなかったのか。
・・・・・・そうだったら、ちょっと悲しい。


カーテンを閉めたままの寝室は暗く、ロックオンが開いたドアの隙間から光の細 い線が部屋に落ちる。
シーツに頭までもぐって丸くなっている姿は微笑みを誘うもので、このまま寝か せてあげたいと思わないわけではなかったが、先ほど見た時計はすでに八時を回 っていた。
「おーい刹那、朝だぞー」
起きろー、と持ちっぱなしだったフライ返しを肩に担いで蓑虫のような塊に声を かける。
閉めてあったカーテンを開き、ロックオンはもう一度刹那、と声をかけた。
少し明るくなった室内で、毛布の山がもぞりと動いたのを見て、起きたか、とロ ックオンは毛布からわずかに覗く黒髪を一筋取って軽く引っ張る。
「もう八時回ってんぞ」
「・・・・・・・」
ぎし、とベッドに腰掛けて、丸まった体を軽く叩いても、反応が鈍い。
やがてごそごそと目までを出した刹那は、それでもそれ以上出てくる様子もなく 、きゅっと寄せられた眉間には皺が幾重にも寄っていた。
「刹那、どうした。具合でも悪いのか?」
熱を測ろうと手を伸ばしたロックオンから逃れるように再び毛布にうずまりなが ら、くぐもった声で刹那が返した。
「・・・・・・・寒い」
「風邪か?」
「風邪じゃない」
「じゃあ」
「寒いんだ」
ぶっきらぼうに言い放って、刹那は恨めしそうにロックオンを見上げた。

緯度の高いアイルランドにいたロックオンにとって、日本の冬の寒さはそれほど 苦にはならない。
しかし刹那の出身地は赤道付近の中東であり、当然寒さには免疫がない。
トレミーは常に過ごしやすい温度に保たれていたから気にしたことはなかったが 、なるほど今日は確かに寒かった。
一応暖房はついているが、窓についた結露の多さは今朝の冷え込みをしっかりと 表していた。
そういえば料理をしている最中に何気なくつけていたラジオで、今日は今年一番 の冷え込みだとか言っていた。
まだまだ冬はこれからも続くというのに、すでに何度目の「今年一番」なのかは 気にしないことにする。

しかしいつまでも寝かせておけるわけではない。
溜息を吐いて、ロックオンはリモコンで暖房の設定温度をあげてやった。
エアコンの稼動音が大きくなり、温風が出始める。
「ほら、暖房強めてやっから」
「・・・・・・・・・」
「ほら起きろ」
べり、と毛布を引き剥がそうとして、それでもそれを掴んで離さない刹那に辟易 したロックオンは、ひょいと毛布ごと刹那を抱え上げた。
まるで荷物を運ぶようにそれを暖房の温風が当たる真ん前に持ってきて、ようや く着替えをさせる頃には、朝食に用意されていた目玉焼きはすっかり冷めてしま っていて、もう一度温めなおす羽目になってしまった。





起き出すのさえ寒いとぐずっていた刹那が外出を嫌がるのは必然で、さてどうし たものかとロックオンは溜息を吐いた。
当初より随分と時間がかかってしまっている。
この調子では買出しは諦めたほうがよさそうだ。

しかしその後の移動予定だけはずらすことができない。
ミッションそのものにはまだ日時の猶予があるが、すでにアレルヤとティエリア と落ち合う約束をしてしまっていて、打ち合わせなどの予定も立ててしまってい る。
これをずらすとティエリアが確実に何か言ってくる。
十中八九嫌味を。
それはなんとしてでも避けたいところだ。

玄関先に座り込んでしまった刹那に困った視線を向け、ロックオンはしゃがんで 視線を合わせた。
「刹那」
「・・・・・・寒い」
「厚着してけば大丈夫だから、な?」
ロックオンの上着を掴まれた状態ではロックオンも出かけるわけにいかない。
子供のようにこういった意思表示を示すのは珍しく、可愛いのでいつまでも構っ ていたいのは山々だが、そろそろ出かけないと本気でまずい。

刹那に上着と、その上から普段巻いているストールではなくもこもことした赤の マフラーを巻いてやり、手袋をはめて完全防備完了。
手を引いて立ち上がらせ、ロックオンはドアを開けた。
案の定冷たい風がマンションの廊下を吹き抜けていて、その冷たさにロックオン もジャケットの襟口に顎を埋めて体を硬くした。
「・・・寒い」
「しっかり巻いとけよ」
後ろに立つ刹那のマフラーを少し直してやって、ロックオンは刹那に風が当たら ないように風上に立って歩いてやる。

マンションから出ると、道を歩く誰もがしっかりとコートの襟を合わせて、足早 に歩いていた。
これだけ寒い日に外出する気には誰もならないのか、休日だというのに心なしか 人数も少ない。
空を仰げば灰色の雲がうっすらと広がり、透けるようにところどころから光が差 していた。
端の方に大分黒ずんだ雲がわだかまっているのを見つけて、ロックオンは白い息 を吐いた。
「雪でも降りそうな天気だな」
「・・・雪」
「刹那は見たことなかったっけ?」
「何度かある・・・冷たい」
「氷だからな」
風を避けるようにぴったりと寄り添って歩く刹那に笑って、通りの向こうにコン ビニを見つけた。
ああ、どうせだからカイロでも買ってやるか。
そうすれば少しはましになるだろう、と考えていたロックオンは、くいと袖を引 っ張っられて少し後ろにある頭を見下ろした。
普段なかなかひっついてきてくれないので少々浮かれていたのだが、いきなりぎ ゅっと手を握られて目を瞬かせる。
「この方があったかい」
両手でロックオンの左手を掴んでいる様子は二人の背の差を考えると腕を組んで いるととられてもいい状態なのだが、刹那は手袋越しにでも伝わってくる熱に満 足したのか、ぺったりとくっついてくる。
「・・・刹那がそれでいいならいいんだけどね」
複雑な笑みを浮かべて、ロックオンは反対側の手をコートのポケットにつっこん だ。


結局コンビニを素通りしてしまったのは、滅多にないこの状況を手放したくなか ったのだと弁解だけさせてほしい。