<子供の思惑>
アレルヤは刹那という子供をよく知らない。
他のマイスター同様ヴェーダによって選ばれたらしいが、自分より三つ下
の彼と言葉をかわす機会は少なかった。
刹那がソレスタルビーイングに来た頃はアレルヤ自身他に目を向ける余裕
などなく、自室から出る事も稀だったので、刹那がかなり大人達の手を焼
かせていたという話は後から耳にしたくらいだ。
今とて顔を合わせれば挨拶くらいはするが、それ以上に発展することはな
い。
コミニュケーションが苦手なのか、それとも会話を嫌うのかすらアレルヤ
には分からなかった。
未だに人に慣れていないよう見受けられる刹那だが、ロックオンには随分
懐いているようだった。
刹那の世話役に任命されているらしい彼に、刹那が最初顔を会わせる度に
逃げられたのだと聞かされたのは最近の事で、まさか、とアレルヤは疑っ
た。
それくらいに傍から見て刹那はロックオンに懐いている。
それは野良猫が人に触れる事を許すような些細なものなのかもしれないが
。
何彼世話を焼くロックオンと、それを鬱陶しそうにしながらも享受してい
る刹那の姿が微笑ましくて、アレルヤはついつい二人がいると眺めてしま
う。
そうするとそれに気づいたロックオンが、アレルヤも輪に入りたいと誤解
するのか(完全に誤解というわけでもないのだけれど)話しかけてきて、
稀に刹那ともいくらか会話をする事もあったけれど、それだけだった。
談話室によくいた二人だが、最近ロックオンが刹那に文字を教えているら
しく、二人が談話室に顔を見せる数は一気に減った。
その日もアレルヤはのんびりと自分で淹れたコーヒーを傍らに置いて娯楽
用の雑誌を読んでいた。
自分で淹れなければならないが、温かいコーヒーを飲めるここはお気に入
りの場所だ。
そしてクルーやマイスター達の気を解すためにか用意されている本も好み
に合うものが多かった。
アレルヤが座っているソファの斜め前のソファでは、ティエリアが同じよ
うに座って自前らしい古い本に視線を落としていた。
机の上に置かれているカップはアレルヤがついでだからと共に淹れたもの
だ。
訓練が始まるまでほとんど顔を合わせた事もなかった彼だけれど、話かけ
ると鬱陶しそうな顔をしつつも律儀に何かしら返してくれるので、クルー
達が零しているような苦手意識はなかった。
ただ人付き合いが苦手なだけだろう。
そういうところは刹那と似ているなと思ったけれど、どうやら刹那とティ
エリアの互いに対する印象があまり良くないらしいので口にしたことはな
い。
「ティエリア、今日は何を読んでるんだい?」
「・・・・・・ドストエフスキー」
「面白いのかい?」
「気になるなら自分で読め」
暗に貸してくれるのだというティエリアにアレルヤは顔を綻ばせた。
鋭い電子音と共に談話室の入口が開く。
何気なく視線を向けると、数枚の紙を抱えた刹那が立っていた。
自然と視線を彼の後ろに向けられるが、当然いると思っていた保護者の姿
はない。
首を傾げたアレルヤに、刹那は適当な椅子に座るでもなくとことことアレ
ルヤの前までやってきた。
刹那が自分からアレルヤに接触してくるのは初めてで、少々戸惑いながら、それでも多少の嬉しさを感じつつアレルヤは訊ねた。
「どうしたんだい?」
「・・・・・・アレルヤは、字が書けるか?」
「うん」
僅かに苦笑しつつアレルヤは頷いた。
刹那はならいい、と僅かに目元を緩ませて、机の上に持ってきた紙を広げ
た。
何も書いていない真っ白なそれを指して、刹那は言った。
「字を、教えてほしい」
「ロックオンが教えているんじゃなかったのかい?」
分からない事があるならロックオンに聞けばいい。
彼ならアレルヤより余程丁寧に教えてくれるだろうし、それともああ見え
て実はかなりのスパルダなのだろうか。
「名前を教えてほしい」
「名前? 刹那の?」
「俺のは教えてもらった」
「じゃあ・・・・・・」
誰の、と尋ねようとして、アレルヤは刹那の意図をなんとなく察した。
たぶんこれは、子供がこっそり手伝いをして親を驚かせようとする心境に
似ているのではないだろうか。
微笑ましい刹那の思考にアレルヤは笑みを浮かべながらペンを取ってノー
トに文字を綴る。
ロックオン=ストラトス
最後の一文字を書き終えて見せると、刹那は確認するようにアレルヤの顔
を見て、もう一度書かれた文字を見た。
「これでロックオン=ストラトス、だよ」
口に出して教えて、ふと思い立ってアレルヤは少し下げたところにもう二
つ名前を書いた。
ひとつはもう何度も書いたもの。
もうひとつは、初めて書くもの。
白い紙に更に増えた二つの文字列に首を傾げた刹那に、アレルヤは微笑ん
で教えた。
「僕はアレルヤ=ハプティズム。彼はティエリア=アーデ。よかったら一
緒に覚えてほしいな」
にこにこと笑うアレルヤに、刹那は紙に書かれた三つの名前と、二人の顔
を見比べて、たどたどしく呟く。
「アレルヤ=ハプティズム」
「うん」
「ティエリア=アーデ」
「そうそう」
ソファに座っていたティエリアは、刹那の声にちらりと視線だけ寄越して
、何も言わずに目を伏せた。
名前を教えたくらいで気を悪くしたわけではないだろう、たぶん。
「・・・ロックオン=ストラトス」
「書いて見せたら驚くね、きっと」
きっとそういう事だろう。
まだ教えていない文字、しかも自分の名前ときたら、彼はきっと驚いてく
れるだろう。
だから刹那はアレルヤのところにまで訊きにきたのだ。
その相手に自分を選んでくれたのが、自分にも少しは気を許してくれたの
かと嬉しくなる。
「頑張ってね」
そっとまだ小さな頭に手を置く。
拒絶させるかと思ったけれど刹那はされるがままで、長い黒髪に隠された
表情が不意に緩むのをアレルヤは見た。
照れくさそうな笑いは一瞬だけのもので、すぐに普段の無表情に戻ってし
まったけれど。
虚を疲れて固まったアレルヤを見上げて、刹那はありがとう、と礼を述べ
た。
顔に表情はないけれど、感情はありありと見とれてアレルヤは楽しくて仕
方がなかった。
「どういたしまして」
心境を表に出さずに刹那を見送ったアレルヤは、ドアが閉まると椅子に深
く座り込んでくつくつと笑い出した。
ティエリアが訝しげに視線を向けてくる。
「なんだいきなり」
「うん、可愛いなぁって」
あれだけ懐かれてたら可愛いがっちゃうよねぇ、と楽しげに笑うアレルヤ
に、ティエリアは不機嫌そうにひとつ鼻を鳴らした。
***
このあと盛大に喜ばれるといい。