<マニュアル>

 



ヴェーダが選んだ新しいガンダムマイスターは、当時まだ成長期も迎えていない子供だった。
紛争地区にいたというその子供は、貧困国にありがちな細く痩せた体に土と埃と血で汚れた襤褸を纏い、長い前髪の隙間からぎらぎらとした赤い瞳を覗かせて、今までと全く違う環境の中で子供は見知らぬ大人達を威嚇していた。

マイスター内で最年長である事と、一番面倒見がいいであろうという適当な理由で世話役を言い付かったロックオンは、最初かなり渋った。
確かに今現在自分以外のマイスターは、片方は子供の面倒をみる以前に他人とのコミニュケーション能力に問題があったし、もう一方はどうにも自分の事で手一杯で人の面倒をみている余裕などなさそうだった。
しかしロックオンとて人の面倒をみられるほどの余裕はないし、ましてや自分より八才も年下の子供の扱いなど知らなかった。

子供はロックオンが近寄ろうとすると威嚇するかのように全身を強張らせて睨みつけ、逃げた。
野生動物を相手にしているような気分になり、子供が去った廊下に一人残されたロックオンは幾度目とも知れぬ溜息を吐く。
不思議なことに逃げられた事自体に怒りは沸かなかった。
寧ろ安堵すら覚えた。
薄ぼんやりとした自分の中の「子供」というイメージからかけ離れた子供など、どう扱えばいいのか検討もつかず、話しかけはするものの反応を返されたらどうしたらいいのか考え付かなかったのだ。

子供とはもっとふわふわとしていて丸っこいものではなかったろうか。
あの子供は今まで信頼という言葉とはかけ離れた場所で生き、その小さな手に銃を持ち、ここまで生き残ってきたのだ。
見てくれはただの子供であるのに。


刹那=F=セイエイ。
それがガンダム=エクシアのパイロットとなる子供に与えられた名前だった。







 

 

 

 








「・・・・・・ほっといてほしい奴はほっとけばいいと思ってたんだけどなぁ」
薄い笑みを浮かべ、遠いどこかを見ながらロックオンは一人ごちた。
あの頃はどう接していいか分からなくて四苦八苦していたが、今思い返せばそこまで考え悩まなくてもよかったのだと苦笑したくなる。

くるくるとペンを回し、何かを思いついたように紙にかきつける。
このハイテクのご時世にかりかりと端末ではなくペンを握って作っているのは刹那のためのテキストだった。

最初の頃は人を見かければ逃げていた子供は、随分落ち着いたようで、目に宿る光は鋭いままだが、全てを傷つけるような危うさは鳴りを潜めていた。
相変わらず口数は少ないが、他人が近づいても逃げる事はなくなったし、話しかければ何かしらの反応を返してくれるようになった。
ごく稀にではあるが、向こうから話しかけてくることもある。
随分と懐かれたものだとくすぐったいような嬉しさについつい構いすぎては睨まれてしまうのだが。


先日ガンダムのマニュアルを渡した際に、端末に浮かび上がる文字列を無表情に見つめていた刹那にロックオンは首をかしげた。
刹那の視線は端末の画面を左右に動いてはいるが、どうにも文字をただ追っているようにしか見えなかった。
やがて顔を上げた刹那は、画面をロックオンに向けて言った。
「これはなんだ?」
「ん? 分からないところでもあったか?」
「・・・・・・・・・」
無言のままの刹那に、ロックオンはもしかして、と小声で尋ねてみた。
「文字読めないのか?」
返ってきたのは肯定の意の沈黙だった。

考えてみればあの地域のあの状況下で教育を満足に受けているはずもなく、刹那は文字が読めなかった。
話す分には支障がなかったので今まで露呈していなかっただけの事で、読み書きができないのは不便極まりない。
ガンダムの操縦方法からミッションの内容まで伝達内容は文字で綴られていて、読めなければ情報を受け取る事自体が困難となる。

幸いいくつかの単語は読めるようだったので、そこから少しずつ語彙を増やさせればいいだろうと、ロックオンによる読み書き講座が始まった。
端末に羅列した文字をただ読ませるだけでは覚えが悪いからと、古い手ではあるが実際に書かせて覚える方法を取る事にした。
用意した紙にペンでロックオンが書いた文字を刹那はそれを何度も見真似で練習して言葉の綴りと意味を覚えていく。
ティエリアからは「献身的でなにより」というありがたーいお言葉(棒読み・冷笑付)をいただき、アレルヤには「頑張って」と暖かい応援メッセージをもらった。

刹那に文字を教える事で当然ロックオンの負担は増えたわけだが、最初の頃とは違い今はそれが楽しいとすら感じられるのだから大した心境の変化だと自分でも感心する。
集中力の賜物か子供の物覚えの早さ故か、刹那は非常にできのいい生徒だった。
それに文字を覚える度に少し嬉しそうな表情を覗かせる刹那を見るのが楽しくて、宿題代わりのテキストをせっせと作成している。
普段大人びた表情しか見せない子供が年相応の表情を見せる一瞬を探して躍起になっている自分はどうかしているのだろうか。


最後の一文を書き終えて、ロックオンはぶらぶらと手首を振って凝り固まった筋肉をほぐした。
机の上に置かれた電子時計はそろそろ寝つきの悪い子供をベッドに押し込む時間を示している。
おそらく部屋で端末とロックオンのテキストと睨めっこしているであろう刹那を想像して、ロックオンは席を立った。

 

 



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兄貴の視点がとてもきしょ(げふ
完全に家族ポジションを狙っています。