<ジンクス>
 

 


ある日談話室に入ったら、木の枝が吊るしてあった。
普段はグリニッジ標準時に合わせた時計がそこで狂いなく時を刻んでいるのだが、今日はそれ は外されて椅子のひとつに申し訳なさ程度に立てかけてある。
そして代わりに鎮座しているのは見慣れない枝だった。

茶色の細紐で無造作に時計を引っ掛けるための出っ張りにくくりつけられたその枝は広く分か れていて、細めの葉が枝の色を隠さない程度にバランスよくついていた。
ところどころに透明がかった黄色の小さな実が、いくつか集まってなっている。

ティエリアは誰がこんなものを持ち込んだのだろうかと訝しげに眉を顰める。
こんな事をする人間など限られていて、その内最近地上に降りた者は一人しかいないので、推 測はほぼ当たっている。
本体から切り取られた植物はまだ青さを保っていて、あと2日程度ならばもちそうだった。
お気楽そうに見えて、そして実際にお気楽な奴の考える事は大抵こちらとしてみれば迷惑極ま りないのだが、何の理由もなしに木の枝を飾るほど愚かではないはずだ。
つかつかと歩み寄ると、植物特有の匂いが僅かに鼻についた。
自分の嫌いな地上の匂いを構成するもののひとつ。
宇宙にいる間にまでどうしてこんなものを嗅がなければならないのかとティエリアは端正な眉を 寄せ、枝を取ろうと手を伸ばしかけてやめた。
時計の、今は得体の知れない枝がかかっている位置は天井の端近くで、ティエリアが手を伸ば した程度では取る事はできない。
標準程度の重力がかけられた談話室では浮き上がって取る事もできず、もし取るのならば飛び 上がらなければならない。
そこまでして取るのは酷く滑稽で無駄な事に思えて、ティエリアは小さく舌打ちした。
この体を床に縫い付けている重力すら忌々しい。

こんな事ではゆっくり過ごす事などできるはずがないと、こんなことなら談話室になど最初からこ なければよかったとティエリアは踵を返した。


「よう、ティエリア」
「・・・・・・ロックオン」
「なんだ?」
「あれはあなたですか」
「ん? あぁ、そうそう」
ティエリアの低い声に動じずに、今日はクリスマスだからなと笑うロックオンに、呆れた視線を向 ける。
確か今朝端末に表示されていた日付は12月25日だった。
地上での宗教には「クリスマス」とかいう行事があるようだが、生憎ティエリア自身は宗教信者で もなければそのような行事に浮かれる性格でもなかったので興味などなかった。
そしてそんな些末な事柄にうかれているらしいロックオンに苛つきを隠すこともなく、ティエリアは 枝を外すよう言う。
「いいじゃねぇかヤドリギひとつくらい」
ツリーもケーキもないんだし、とロックオンは肩を竦める。
「それに、これはクリスマスに天井からぶらさげとくと幸せを呼ぶって言い伝えがあるんだぜ?」
「くだらない」
そんな迷信を信じてるんですか、馬鹿馬鹿しい。
言外に言われているようで、ロックオンはへいへい、とさして堪えた様子もなく返した。
「んじゃくだらないついでにもうひとつ」
「・・・・・・・・・・」
「今日はヤドリギの下でキスをしても許されるんだぜ」
「・・・・・・は?」
「これも迷信っちゃ迷信だけどな」
「・・・あなたと話していると頭が痛くなりますよ」
「そりゃ悪うございました」
あ、でも今日が終わるまでそれは取るなよ、と言い置いて、ロックオンは談話室の片隅に備え 付けられた簡易な流し場の棚から紅茶とコーヒーの袋を取って談話室を出て行った。

本当にあの男の考えている事は謎だ、とティエリアは溜息を吐いて、自分もとっとと部屋に戻ろ うと、ソファにかけてあったブランケットを手に取る。
その時またドアの開く音がして、ロックオンが戻ってきたのだろうかと振り向いた。
「やぁティエリア」
トレーニング室からの帰りらしく、タオルを首にかけたアレルヤが、人好きのする笑みを浮かべ て言う。
「ティエリア、今日はこれから訓練?」
「・・・いや、今日は特にない」
首を振るティエリアに、アレルヤはそうなんだと頷き、保冷庫からミネラルウォーターのボトルを 取り出して一息に三分の一ほどを流し込んだ。
それを談話室からでていくでもなく眺めていたアレルヤは、先程のロックオンの言葉をふと思い 出した。
「アレルヤ」
「なんだい?」
「この木が何の木か知っているか?」
「・・・ああほんとだ。ロックオンが飾ったのかな、何の枝?」
一発でやった当人を当てたアレルヤは、軽く首を傾げてティエリアに問う。
どうやらアレルヤはこの枝がヤドリギであると分からなかったようだ。
「ヤドリギというらしい」
「へぇ、綺麗な実だね」
小さくて可愛い、とティエリアの側まで寄ってきてその枝についた実を手を伸ばしてつつくアレル ヤをティエリアは見上げる。
そしてしばらくの躊躇の後、隣に立ったアレルヤを呼んだ。
「アレルヤ」
「ん? ・・・わっ!?」
首にかけていたタオルを引かれて前につんのめる形で下がったアレルヤの顔に掠めるような口付けをする。
至近距離で灰色の瞳が驚愕に見開かれるのが分かった。

顔を離すと、アレルヤは今起こった事がよく理解できていないのか口元に手を当てて目を白黒させていた。
それを見て、ティエリアは満足そうに薄く笑うとさっさと談話室の入口にまで引き返す。
「ティ、ティエリア・・・!?」
混乱気味にティエリアを呼ぶアレルヤの足元には水のボトルが転がっていて、まだ半分以上残っていた中身がゆっくりと床に広がりつつあった。
それを指摘してやる事もなく談話室を出る前に、ティエリアはちらりと壁にかかったままの枝に 目をやる。
「アレルヤ」
「な、なんだいっ」
「そこの枝、外しておけ」
「・・・・・・・え?」
「必要ない」
「え、ちょっと待ってよティエリア」
戸惑う声を聞き流して、ティエリアは談話室から出た。

一日限りの効力の上、定かでもないジンクスなど信じるに値しない。
だいたいそんなものの下であろうがなかろうが、あんな木の枝よりももっと大きなものに自分は許されているのだから。

トレミーの廊下を進みながら、きっと後でティエリアの自室にやってくるだろうアレルヤの顔を想像して、ティエリアは口元を僅かに上げた。
 

 

 

 

 



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クリスマスを大幅に乗り過ごしました。