<アイリッシュシチュー>
訓練に行くためアレルヤが食堂を通りかかると、柔らかな食べ物の匂いがして足を止めた。
匂いがするということは、誰かが料理をしているということだ。
プトレマイオスのクルーの中で進んで料理をするのはロックオンくらいしかいないので、アレル
ヤは久々に夕食は手作り味溢れるものが食べられるのかな、と表情を綻ばせる。
宇宙で食材を手に入れる事はできないから、地上から戻ってきてしばらくの間しか調理はされ
ないが、先週あたりロックオンと刹那がミッションで地上に降りていたから、何か作ってくれて
いるのだろう。
ロックオンが作ればクルーやアレルヤ達も漏れなくお相伴に預かれるので、宇宙食に飽きて
いるクルーの間でロックオンの料理は非常に評判がいい。
もちろん味自体もいいのだけれど。
「楽しみだね、ハレルヤ」
そう言ってアレルヤは移動を再開した。
食堂にいるのはロックオンではなかった。
背の高い彼の姿は食堂のどこにもなく、代わりにいつもの服装に白いエプロンをつけて調理
場に立っているフェルトの手には、今は端末ではなく包丁が握られていた。
その隣には刹那もいて、珍しい組み合わせではあったがそれに対してコメントする他人はこの
場にはいない。
最年少組兼無表情組は机の上に置いておいた端末から、昨日の内に調べておいた情報を呼
び出す。
机の上には地上に買出しにいった時にこっそり買い込んできた材料が山積みされ、その中か
らラム肉を取ってまな板に置いた。。
「刹那、ラム肉、よろしく」
「了解」
フェルトの言葉に頷き、刹那はラム肉をサバイバルナイフで手際よく解体していく。
その隣でフェルトはジャガイモを切り始めたが、今まで包丁を握ったことなどほとんどない彼女
の手付きはかなり危なっかしい。
ゆっくりと皮を剥こうとしているのだが、皮と一緒にかなりの実も削り取ってしまっている。
「・・・・・・できた」
「・・・・・・・・・・」
フェルトがそう言って刹那に見せたジャガイモは、最初の大きさよりも二回りほど小さくなって
いた。
それでも刹那はひとつ頷いて、自分に割り当てられた作業を続ける。
「・・・切れた」
トン、と最後のひとつを切り終えて、野菜をボウルに入れてフェルトが言う。
刹那が端末に続きを促すと、軽い電子音に続いてレシピが読み上げられた。
『大きめの鍋にラムを入れて平らにし、その後、じゃがいも・にんじん・玉ねぎの順に入れ、層
になるように重ねます』
「お鍋・・・」
どこにしまっていただろう、とロックオンが前に調理をしていた時を思い出しながら棚を漁る。
調理室はほぼロックオンの私室と化しているので、見覚えのない調理機材がぼろぼろでてくる
中、ようやく見慣れた鍋を見つけた。
コンロにあげて、端末が読み上げたとおりに鍋に材料と水を投入して火にかける。
『アクがでたらすくい取り、煮立ってきたら塩・胡椒で味つけをし、中火にして約1時間煮込みま
す。アクをとてもキレイに取ってしまうと コクがなくなってしまうので、大雑把に取るようにしまし
ょう』
「・・・アクってなに?」
「知らない」
手の込んだ類の料理などしないので、二人にはアクが何なのか分からない。
軽く煮立ち始めてきた鍋を前に首を傾げていると、ドアの開く音に続いて素っ頓狂な声がした
。
「あーら、なにやってんの珍しい組み合わせで」
スメラギが二人の姿を見て目を丸して立っていた。
その手には酒瓶が握られていて、食事をしにきたのかツマミを取りにきたのかよく分からない
。
すでに軽く頬を染めたスメラギが、青春ていいわねぇなどとからかいながら調理室に顔を覗か
せ、くつくつと煮立っている鍋の中身を見てあらあらぁ、と面白そうに目を輝かせた。
「何、あんた達が料理してんの?」
「・・・・・・・そう」
「ふーん、ほんと珍しい」
「ミス・スメラギ。「アク」とは何だ」
「アク?」
「アクを取らなくてはいけないらしい」
「・・・・・・へーぇ」
そこで机に置かれた端末に気付いて、カタカタと勝手にいじって内容を見ると、なるほどねぇ、
とスメラギは笑みを深くした。
「あんた達、アイリッシュシチュー作ってるのね」
二人揃って首肯する姿にくすくすと笑って、スメラギは鍋の中を指差す。
「この浮かんでる泡みたいなのがアクよ」
「そうか」
「・・・・・・ありがとうございます、ミス・スメラギ」
「微笑ましいわねぇ、ほんと」
さっそくアク取りを始めた二人を見ながら手の中の瓶を傾け、軽い気持ちで尋ねてみる。
「ねー、少し私も味見したいなーなんて」
「だめ」
「だめだ」
即答された上に、これはロックオンの、と駄目押しの一言までつけられて、予想していたとはい
えスメラギは吹き出した。
「愛されてるわねぇ」
おそらく今頃訓練に行っているであろう人物に呟いて、スメラギは適当な携帯食料を手に取る
とさっさと食堂を出て行くことにした。
その入口に『ロックオン以外立入り禁止』とでかでかと書いておいたのは、優しさからか面白が
っているからなのかは明白だったが。
1時間煮込んだら塩・胡椒で味を調え、とろみをつけたらおしまいだ。
ほぼできあがったそれをそれぞれ味見した二人は、そのまま数秒固まった。
「・・・・・・おいしくない」
「・・・・・・・」
眉をしかめた刹那とフェルトはじっと煮込んでいる鍋を見つめる。
レシピ通りに作ったはずなのに、普段口にしているアイリッシュシチューとは全然違う気がする
。
味付けが間違っているわけではない、調味的には何の問題もないはずだ。
けれど、何かが足りない、物足りない。
「ロックオンが作ってくれるのと違う」
「初めて作ったのだから全く同じというわけにはいかないだろう」
「・・・・・・・うん」
顔にはでていなくとも、落胆の空気が漂う。
その時ドアが開いて入ってきた人物にフェルトと刹那は目を瞬かせた。
ロックオンが訓練をしに行くと、丁度キュリオスの訓練が終わったところだったらしく、アレルヤ
と、そしてなぜかティエリアがいた。
ロックオンの次がティエリアの番なのでいてもおかしくはないが、随分と時間があるなと思って
いると、アレルヤが嬉しそうに尋ねる。
「今日は何を作ったんですか?」
「へ?」
いきなり何を言い出すのかという顔をするロックオンに、アレルヤはあれ、と首を傾げた。
「違うんですか?」
「いや、俺今日何も作ってねーけど・・・」
「えぇ?」
じゃあ誰が作ってたのかなぁ、と言うアレルヤの隣で、ティエリアが予想外な候補を吐き出した
。
「刹那だろう」
「は?」
「先日俺のところにアイリッシュシチューの作り方を聞きにきた」
「・・・・・・・・・・」
無言でロックオンはアレルヤの手にハロを押し付けた。
「ティエリア悪い、俺と訓練の順番変わってくれね?」
「・・・・・・・・・」
「悪いっ」
「・・・仕方がない、今回だけですよ」
「おう」
ティエリアは溜息を吐いて着替えてくると出て行く。
アレルヤの腕の中で、ハロが耳をパタパタさせながらくるくると回転していた。
というわけでロックオンは、『ロックオン以外立ち入り禁止』と書かれた食堂の扉を開けて中に
入った。
そこには刹那とフェルトがいて、二人して慌てて何かを隠そうとしている。
刹那が料理をしているというから気になって来てみたが、フェルトまでいるとは予想外だった。
何だろうと思う前に鼻にふわりと嗅ぎ慣れた匂いが届いて、ロックオンは苦笑して調理室に移
動する。
「何やってんだー、二人して」
「・・・ロックオン」
こちらを見上げてくるフェルトと刹那に、ロックオンは火にかけられたままの鍋を覗き込む。
「おぉ、うまくできてんじゃねーか」
「美味くない」
「おいしくなかった」
口を揃える二人に、そうかぁ? とロックオンは一匙食べる。
あ、とフェルトが咎めるような声をあげたが食べてしまったのでもう遅い。
きちんとレシピ通りに作ったらしく、普通に美味い、初めて作ったのなら上出来だ。
何が不満なんだろうかと、不安そうに見上げてくる二人に感想を告げる。
「普通に美味いぞ?」
「・・・普段ロックオンが作ってくれるのと違う」
「もっとおいしい・・・」
しょげている子ども二人にロックオンは思わず口元に手を当てて、見えないようにする。
思いっきり頬が緩む。
普段作っている自分の料理に対する最高の賛辞じゃないかこれ。
「俺はすっげぇ美味いぞ」
「嘘だ」
「嘘じゃねーぞ。料理ってのはな、人に作ってもらったのが一番美味いんだ」
しかも自分のために作ってもらったんだから尚更な。
ぐりぐりと二人の頭を撫でてやって、ロックオンはコンロの火を止めた。
***
フェルトと刹那による初めてのお料理。