<雨の日>



ぱちぱち、と窓を細かく叩く音にフェルトは顔を上げた。
暗くなったのは時間のせいだと思っていたら、天候のせいでもあったらしい。
時間は日没予定時刻をとっくに過ぎていて、暗い空から降る雨はなかなかの勢いで窓を叩いている。

天気予報ちゃんと見てこればよかった、とフェルトは落胆の溜息を吐く。
今朝は寝坊してしまって時間に余裕がなかったから、朝のニュースを見ている時間がなかったのだ。
同様に洗濯の時間もなかったから、洗濯物が雨に濡れないのが不幸中の幸いかもしれない。

「朝はあんなに晴れてたのに……」
どうしようかな、とフェルトはキーボードから手をどけて窓の外を見つめる。
夏も終わるこの時期の雨は意外に冷たいから、雨に打たれて帰るのはちょっと気が引けた。
もうこのまま泊まってしまおうか、なんて自棄気味な気持ちにもなってくる。
本当は、今日はなるべく早く帰りたかったのだ。
だって。

(だって刹那が帰ってきてるもの……。)
仕事の関係で久しぶりに宇宙に出ている刹那は、今日こちらに戻ってくると言っていた。
昼過ぎには戻れると言っていたから、雨に降られる事はなかっただろうけれど。
一ヶ月あまり会っていなかったから今日は絶対に早く帰ろうと思って仕事だって頑張ったのに、昼過ぎに急なトラブルが発生して、こんな時間になってしまった。

無意識の内に溜息が零れる。
「フェルト、どうしたの?」
隣の席に座っていた同僚の子に聞かれてはっとフェルトはまた吐き出しかけていた溜息を飲み込んだ。
「……雨が」
「ああ、降ってきちゃったよね〜」
「傘持ってきた?」
「なぁに? 忘れたの?」
「朝天気予報見るの忘れちゃって」
「あらら」
それはご愁傷様、と彼女は苦笑する。
この様子だと彼女は傘を持ってきているようだ。
すでに端末の電源を落としているから彼女ももう帰るのだろう。

途中まで一緒に入れてもらえないかと思って尋ねてみると、彼女は申し訳なさそうに両手を顔の前で合わせた。
「ごめん、あたし今日彼氏が迎えにきてくれるから、傘持ってきてないの」
「デート?」
「そ。もうだいぶ待たせちゃってるから急がないと……ごめんね!!」
なるほどそれで早いのか、とフェルトが納得する間に、「お先〜」と彼女は帰っていってしまった。
その背中が幸せそうで、いいなぁと無意識の内にフェルトはまた溜息を吐いていた。

きっと、連絡を入れれば刹那は迎えに来てくれる。
だけど宇宙から戻ってきたばかりの刹那に迎えにきてなんて言えないし、そんな我儘も言いたくない。
「……ほんと、どうしよう」
とりあえず端末の電源を落として、フェルトは人もまばらになったオフィスの中でまたひとつ溜息を吐いた。



「グレイスさん、帰り?」
急に声をかけられてフェルトの気合が抜けた。
「え、ええ」
「雨凄いよね。傘持ってる?」
「忘れてきちゃって……」
「そうなんだ、大変だね」
ちっとも大変だと思っていなさそうな顔で言われて、フェルトはやや引き攣った笑みを返す。
「俺も今から帰りなんだけど、送っていこうか?」
車の鍵をちらつかせて言う男性に、フェルトは困ったように視線を彷徨わせる。
「それか、もし予定がないなら食事でもどうかな。グレイスさん、食べたいものある?」
その間にも男性の話はどんどん進んでいってしまう。
隣の部署で働いてる男性で、頻繁にフェルトに話しかけてくる人だけれど、正直あまり得意なタイプではない。
そんなに捲くしたてられると、なんて返そうかと悩んでいる間においてきぼりになってしまう。


その時、鞄の中で震える携帯端末の振動がして、フェルトは鞄を見る。
長いスパンのそれは着信の知らせて、フェルトは男性に一言断って端末を取った。
「!」
小さな画面に表示された「刹那」の文字に、慌てて着信ボタンを押す。
「はい!」
『フェルト、まだ会社にいるのか?』
「うん……もう帰るところだけど」
『下にいる』
「え……え!?」
それだけ言って切れてしまった端末を見つめて、フェルトはまさか、と聞こえた言葉を頭の中で繰り返した。
「グレイスさん?」
「ごめんなさい、私急ぐからっ!!」
怪訝そうな同僚におざなりな謝り方をして、悪かったかなと思ったけれど、その時にはもう廊下まで出ていて戻るのもおかしいと思ったから後日改めて謝ろうと決めた。
エレベーターを待つのも惜しくて、フェルトは階段を駆け下りる。

「刹那!」
ビルを出たすぐのところに二本の傘を持って立っている刹那に、フェルトは駆け寄った。
二本の内、畳まれたままの傘はフェルト自身のものだ。

息を切らしているフェルトを見て刹那は小さく笑う。
「そんなに急いだのか?」
「だ、だって……迎えにきてくれるなんて、びっくりして」
「フェルトの家に行ったら、傘立てに傘が置いてあったから、持って行っていないんだろうと思ったんだ」
「あ、ありがとう」
一度フェルトの家に行った刹那は、フェルトが傘を持って行っていない事に気付いて、わざわざ迎えにきてくれたのだという。
奇しくもさっきフェルトが考えていた望みが叶ってしまって、嬉しいやら恥ずかしいやらでフェルトはわずかに頬を染めた。

「おかえり、刹那」
「ただいま」
お決まりの言葉を交わして、二人並んで傘を差して夜道を歩く。

雨は思ったより降っていて、跳ねっかえりの水が足に当たるけれど、全然苦にはならなかった。
「ごめんね、帰ってきてすぐで刹那疲れてるのに」
「フェルトに早く会いたかった」
さらりと言われる一言は本当に心臓に悪くて、フェルトは傘で表情を隠した。





***
これがくっついた後ならいいんですが。
くっつく前なら刹那はただのタラシです。