聞かなきゃよかったと後悔してももう遅い。
そんなことばかりだ。


「政宗、顔色が悪ぃがどうした」
「……ほっとけ」
ひでえ顔だぞ、と元親が覗き込んでくるのがウザかったので、スネを蹴り上げて蹲らせておくことにする。
案の定、苦悶顔で蹲った元親には元就がきっちりと追撃をかましてくれていた。
「しかし様子がおかしいのは事実だ。勉強疲れか?」
朝だというのにと元就に言われ、俺は目を擦る。
「あんま寝てねーからな」
「寝不足か」
受験生としての自覚があってよろしいことだとか言われた。
どうでもいい。

だいたい寝不足なのは勉強していたせいではないのだ。



先日、幸村の友人が彼の部屋に来ていた。
俺はその日は勉強をするわけでもなく、参考書を買いに行ったりたまには息抜きで料理をしたりとリラックスする日だったのでずっと家にいた。
そこでたまたま幸村の部屋の前を通った時に聞こえたのだ。

『お前のにーちゃん、すっげーカッコイイな!』
『そうでござろう! 兄上は世界一の兄上だ!』
『ってーか、色っぽいよね〜。俺、あの人なら勃ちそう♪』
『なななな、は、破廉恥でござる慶次殿!!』
何話してやがんだガキ共は、とその時の俺は思った。
その次の幸村の言葉に、俺は凍った。

『兄上は某のでござる!!』
『……いや、幸村は弟じゃん』
『そーだそーだ!』
『ち、血は繋がっておらぬ! ほ、法律上も某は養子であるから……っ!』
『……あの、幸村? お前マジなの?』
『ッ!!』

いけない。
聞いちゃいけない。
俺はわかっていたはずなのに。
体が動かせなかった。

『そ、某はっ……某は兄上を、政宗殿をお慕い申し上げておるっ……!』


傑作だぜ、ちくしょう。
そりゃあ俺はお前をべったべたに可愛がった自覚はあるぜ幸村。
存分に甘やかしたし、何でもしてやった。
完璧な兄でいようとしたし、実際そう見えているだろう。
成長してもその甘やかしっぷりは変わらなくて、両親が心配するほど幸村は俺にべったりの弟に育った。

純粋に幸村が可愛かったから、というわけだけでは残念ながらない。
いつからかは忘れたが、ここ数年の俺の甘やかしは完全に確信犯だった。
俺だけを見るように、俺だけが至上であるように。
そう念じながら世話をしなかったといえば大嘘だ。


だから俺は喜ぶべきなのだろうか。
わからないのだ。

「なあ、元就」
「なんだ」
「For example, お前が長らくベタ惚れの奴がいてさ」
何の話だといわんばかりの表情には答えず俺は続ける。
「お前が甘やかしたせいで相手はお前しか見えなくて。いろんな障害とか乗り越えてお前が好きとか言ってるわけよ」
どうする? と聞いた俺の言葉を、元就はくだらんなと一蹴した。
「甘やかした責任を取るがいい」
「Shit.やっぱそうなるのか」
「どこの犬猫の話ぞ」
「……柴犬、だな」
イメージはそんな感じだと一人で頷く。
思いのほか二人の興味を呼ばない話題であったらしく、話は早々に四方山話へと転がった。


そんな会話から三日後、塾から家に戻ってシャワーを浴びて出てくると佐助の姿はなく、夕飯の上にラップがしてあった。
そういや今日は小十郎がどうしても抜けられない接待飲みで、佐助が迎えに行くとか言っていた気がする。
最寄り駅まで電車で戻ると言う小十郎を、佐助が「俺が迎えに行きたいからいいの!」とか無理矢理説き伏せていたような。
……相変わらずあの夫婦はああだな。

時計を見ると時刻は九時前。
おそらく佐助とはほぼ入れ違う形になったのだろう。
飲み会会場はここから一時間近くかかるとの話だったはずだから……佐助が戻ってくるのは十二時あたりといったところか……

時間がある、と判断すると俺は夕食には目もくれずさっさと階段を上がる。
軽く幸村の部屋のドアをノックすると、いきなりバッタンバッタラという音が響く。
なにかをひっくり返したような。ついでに派手に転んだな……
「幸村、入るぞ」
『ちょ、ちょっと待ってくだされ!』
ガサガサゴソゴソ……ドガッ。
……転んだなあの馬鹿。

『し、下ではいけぬか』
「……じゃあ俺の部屋でいいから、来いよ」
『は、はい!』
上擦った声に肩をすくめて自室へと戻る。
あいつ……またヌいてたのか……まあそういう時期だよな、欠片も人を笑える状態じゃねぇが。
そこへ思い浮かべてる当人が来たとなれば慌てるだろう。
シャワーを浴びていたのは知っているはずだから、その時の俺か?
……やべ、これ以上考えるのはやめよう。

「あ、あにうえ……?」
カチャリと扉が開き、幸村が部屋に入ってくる。
俺は椅子に腰掛けてちょいちょいと手招きをした。
「ええと、おかえりなさいでござる……」
「それは帰ったときに聞いた」
「ゆ、夕食はいかがでござったか?」
「まだ食ってねぇ」
「……ええと」
どうされた、と幸村が細い声で呟く。
「その前にこっち来て座れよ」
「あ、いやしかし」
俺は自分のベッドを示してもう一度座れと言う。
幸村は今度は逆らわず素直に腰をおろした。


「幸村」
「は、はい」
「怒らねぇ、当然軽蔑もしねぇし文句も言わねえ」
だから、言ってくれ。
お前の口から、言ってくれ。
「さっき何してた?」
「……っ!」

みるみる幸村の顔が赤くなる。
俺はゆっくりと返答を待った。

沈黙がさぞかし痛いだろう。
しばらく握った拳を開いたり閉じたりしながら、幸村は震える唇を開く。
「そ、某、は……その……」
「ああ」


誤魔化すならそれでもいいと思った。
それが幸村の結論ならば構わないと思った。
俺の態度が変わるわけではないのだ。俺の思いが陰るわけでもない。

「……そ、その。は、破廉恥なことを」
破廉恥ときたか。
普通にオナニーとか言えよ。

思わず笑いそうになった自分を制して、俺は最後の問いを放った。


「誰で?」






丸々十秒、幸村はその場に固まった。
大きい目をまん丸にして、こわばった顔でそこに座ったまま。


「……幸村」
やんわりと俺が呼びかけると、真青な顔でぶんぶんと首を横に振る。
「い、言えませぬ!」
「クラスの奴か」
「ち、ちが……」
「部活の奴か」
「違い……ます」

か細い声で呟いた幸村は下を向いて唇を噛んでしまう。
ああ、それだと跡が残るというのに。
「じゃあ、誰だ?」
「そ、それだけは……!」
「……」

聞かなくとも答えを知っている俺は意地悪だ。
だが、どうしても幸村の口から、直接、聞きたかった。
……俺は笑えるほど臆病らしい。




だがしばらく待っても幸村は口を開きそうになく、諦めるかと思い出した矢先。
「それは……」
「それは?」
「とても、素晴らしいお方で、某などとても手が届きませぬ。某に昔からいつも優しくしてくださり、守ってくださり、導いてくださる方です。しかし某は……慈しんでいただいているのに、このような汚い感情を……」
ぼたりと、涙が落ちた。



プチリと、俺の頭の中の何かがキれた。





 



***
エロ? ナニソレ美味しいの?